最後の関門
“第五研究所”
「ここにミイネが……」
階段を登ったり降りたり、廊下を右に左に曲がったりしながら、ついにミイネのいる第五研究所まで辿り着いた。辺りには聖水の入った水槽や、手術室のようなベッド、何やらよくわからない機材が大量に散在している。
――こりゃ、探すの苦労しそうだ……。
そう思っていると
「あのお嬢様なら、ここにはいないぞ」
ふわあぁぁ、とあくびをしながら、いかにも寝起きといった感じで、その女性は現れた。否、最初からここにいたのだろう。ただ、俺達がその気配を感じ取れなかった、というだけで。
ぼさぼさの長い金髪、乱れた服装。ミッシェラは自ら際どい格好をしていたのだろうけれども、この人のは無防備な際どさだ……! でも何だ? この溢れ出る気品は。もしかして……
「“風華”、レイユ・タン=アナトーか?」
「いかにも」
髪を手でとかし、本来の流れるような美しさを取り戻すと、彼女はその身分にふさわしい神々しさを身にまとった。レイユ・タン=アナトー。神の直系の娘にして、現在の天使組の、実質のトップである。そういう訳で、この人もクリムの姉にあたる。さっきのズィオンといい、風華といい、長の子どもはやはり格が違うんだろうか……。
「ミイネはどこだ?」
若干気圧されつつも、精一杯虚勢を張る。俺がここに来た目的、それを果たす為なら神にだって立ち向かってやる。……という心づもりで。
「貴様達が此方の予想よりも早く着いたのでな。先に上げておいたのだ。まぁ、七日間はたっぷりつけておいたからな。意識もほとんどないであろう。記憶も、大物だと分かった時点で、封印させてもらったしな。いくら魔族の秘中の秘、大事な姫君、“迷宮”ミイネ=グランデでも、もう元には戻れないだろうな」
「……じゃあ、まだミイネちゃんは、完全に天使になった訳ではない、と?」
「そういう事だ。だが、もう七割は浸食されたんじゃないのか?」
七割。それは、自我を保てるか保てないかのギリギリのラインだと言われている。記憶を封じられているのは幸いだ。とりあえず、そこだけは守られる。あとは、どうにかして自我を取り戻せば良い話だ。
「……それだけ聞けば充分だ。で、ミイネはどこなんだ?」
「着替え中だ。それに、無理をすればあの娘、消える事に」
「妹はどこだと聞いている!」
いずれにせよ、あいつの様子を見ないと何も出来ない。無事でいるかどうか、不安からの焦りが俺を苛立たせる。
「……心配なんぞせずとも、もうすぐ来ると思うが?」
カツ、カツ、カツ。
「ほぅら、来た。お姫様のご登場だ」
「ミイネ!」
ミイネは虚ろな目をして、白いワンピースを着せられていた。短かった黒髪も、すっかり長くなり、その怪しい美しさを際立たせている。ただ、彼女の武器である大槍“滅神”だけは、前と変わらなかった。相変わらず、小柄な彼女とは対照的に威圧感を放っている。
「さて、少し遊んでやろう、童共」
シュルル、と蛇が地を這うような音がした。よく見ると、レイユの指から糸のような物が出ていて、それがミイネの体に繋がっている。
「乱舞:妃」
その一言で、ミイネは俺達に襲いかかった。
『!?』
紙一重で横に飛びのいて、避ける。
「お前も操作系なのかよ……」
糸といい、彼女の命令でミイネが動き出した事といい、レイユが操っている事は明らかだった。
「そうだ。元々、“操者”は私の称号だったのだよ。そして……“轟落:雷”」
レイユは左手で――つまり、ミイネを操っていない方の手で――俺達の方向を指差した。すると、指先から雷が、正確には光でできた矢が、飛んできた。
「八十八騎!」
「鏡命!」
俺は“裁断人”を、クリムは“阻劇手”を、それぞれ構え、攻撃を防いだ。だが。
「!?」
俺は彼女のパワーにおされ、なんとか矢を吸収できたものの、後ろにふっ飛ばされた。
「ローワ! “守の型:八尺鏡野”!」
ふわん。何かに体が包まれるのを感じた。そして、
「大丈夫?」
気がついた時には、クリムの横に戻っていた。
「サンキュ、クリム」
「ほう、なかなかやるな」
なかなかやるな、じゃねーよ。操作系の癖に、むちゃくちゃ直接攻撃もできるんじゃねーか。流石女帝。それに……。一応、物理攻撃の前では鉄壁を誇る俺の裁断人が破られた、となると何かしら他にも特殊系の攻撃を織り交ぜているのだろう。恐るべし風華。
――いずれにせよ、レイユを攻撃しなければどうにもならんが、ミイネが壁になっちまったら、それも出来ないしなぁ。さて、どうしたものか……。
そんな事を考えていると、クリムも似たような事を思っていたのだろう。
「ローワ」
と話しかけてきた。
「何だ?」
「僕があの糸を切る方法を探るから、その間、何とかしのいでくれる? 勿論、援護はするから」
「了解」
ま、それがbetterかな。シャキンッ。お互いに武器を構え直す。
――そういえば、クリムとこうして組んでやるのは、久しぶりだな……。
「私の糸を切る、だと?」
「えぇ、姉さん。僕は貴女に勝ってみせます」
「……せいぜい、努力するんだなっ!」
「!?」
風華が放つ死角からのミイネの攻撃に、鏡命でなんとか耐える。その後も、目では追いきれないほどの連続攻撃。ミイネの得意技、“身滅”だ。それを、感覚だけでいなしていく。こりゃ、長期戦は不利だ。クリム、早くしてくれ……。
一方、クリムは阻劇手を円形に床にぶっ刺し、その陣の中で、相手の術を読み解こうとしていた。“捜の型:八社宮”である。そして、どうやらあの糸は、読者の心とダイレクトに繋がっている事、操られている方には意識が無く、全て術者であるレイユが操っている事などをつきとめていた。
――つまり、あの糸はフェイク。本当の糸は……姉さんの周りの風か! 成程、だったら……
その頃、俺は何十回目になるであろうミイネの攻撃を受け流していた。
――おかしい。どうして“身滅”しか使わないんだ? 確かに、直接攻撃以外はクリムが弾いてくれているみたいだから、彼女の弓は届かないが、それにしても……。まさか、こいつ知らないのか? だったら……
「ローワ!」
「おうよ! “共命”だな?」
“共命”、それは相手の力を俺の“裁断人”に取り込み、上乗せして攻撃を放つ事の出来る術。つまりは、二人の力を合わせて行う攻撃の事である。強大な力は生み出せるが、その分リスクも高い。しかし、躊躇していては此方ももたない。やるしかなかった。
「行くよ!」
『共命:八十八騎!!』
「……何?」
パアアアと辺りは黒い光に包まれた。そして
「そんな、馬鹿な……。私の術が、破られるなんて……」
ミイネは黒い闇の中に、閉じ込められた。“共命:八十八騎”。これは守りに特化した術で、闇の中に入った者には外部からのあらゆる影響を受けさせない、言わば絶対防御。ただし、中からの影響も外には及ぼさないので、ある意味檻のようになってしまうのが欠点である。力が強すぎて、俺達でも制御が出来ないのだ。
「姫は奪還されたか……。だがしかし、その術、相当の体力を使うらしいな」
レイユの言う通り、俺もクリムももう限界に近い。その証拠に、二人ともまともに立っていられず、膝が床についていた。
「……まぁ、これで当初の目的は達したし、な」
「まさか、このまま生きて返すとでも?」
「いや、そうは思っていない」
「だったら」
「俺の目的は、ミイネと話をする事だ」
「……なんだって?」
大方、天使側は俺達が侵入したのはミイネを奪還する為だとでも思いこんでいたのだろう。冗談か、聞き間違いか。真意を図りかねて怪訝そうな顔をするレイユ。まぁ、そっくりそのまま鵜呑みにしてもらえるとは、最初から思っちゃいない。ただ、嘘をつくのだけは性に合わない。俺は、その理由を話す事にした。
「あいつは、ミイネは昔から、あんまり悪魔の仕事をしたがらなかったからな。優しくって思いやりのある、それこそ天使のような奴なんだ。だから、こっちの方があいつに合っているなら、俺はこのまま消える」
「そうか……。では、好きにしろ」
信じてくれたのかはどうか分からないが、一応納得はしてくれたみたいだった。
『解』
闇が、晴れた。