兄妹対決
「ローワって、ほんとっ優しいね」
「何がだ?」
現在第四研究所。もう少しで、メイネのいる第五研究所に辿り着くからだろう。道中黙りっぱなしだったクリムが、急に話しかけてきた。
「だってさぁ、確かに彼女はあれで戦線離脱だろうけど、傷一つ負ってないよ? 誰かが助けたりしたら、すぐ僕達の所に向かってこられるじゃないか」
どうやら、彼は俺が彼女を足止めする際、彼女に傷一つ付けなかったのをとがめているらしい。いや、そうではないのか。だったら“優しい”ではなく“甘い”という単語を使ったであろう。おそらく、俺らしい手段だとでも皮肉っているのだ。
「まぁ、大丈夫だろ」
そんなクリムに俺は、あえて楽観的に言葉を返す。これでも、一応考えた上での行動であった、と分かってもらえるように。ちょっとした口調や言葉の選び方で話者の意図を判断出来るのは、付き合いの長さと信頼の証である。
「まぁ、そうだろうけどねー」
俺は彼女の性格的に、一度敗北した相手にもう一度立ち向かうなどという、見苦しい事はしないだろうと考えた。だからこそ、動きを封じるに止めたのである。クリムのあの言い草、もしや分かってて、俺を試したな……?
……もっとも、あの体勢で自力で脱出するのは、それこそ後ろの壁を壊すぐらいの事をしなければおそらく不可能だろうが。
「それより、おかしいとは思わないか?」
「それこそ、何が?」
慎重なクリムには珍しく、俺の感じている違和を、彼は感じていないようだった。
「さっきの奴がいた、って事は、俺達がココに入り込んでいるのが、あちらさんにバレたって事だろ? それにしちゃ、あれから誰一人として、俺達に向かってこないっつうのは、おかしいと思わないか?」
スムーズにここまで来られたのは、それによる所が大きい。だが、それにしたって先程のような猛者が現れても何ら不思議ではないのだが。何せ、ここは敵陣の真っ只中。神のいる社に次いで、彼らにとっては重要度の高い場所であるはず、なのだから。
「……確かに」
「それは、貴方達が彼女を、ミッシェラを倒してしまわれたからですわ」
何か強力な罠でも仕掛けられているのか、はたまたラスボス的に、敵が待ち受けているのか。先への不安に、俺達が顔を見合わせ立ち止まると、突然、目の前に少女が姿を見せた。白く長いワンピース、ウェーヴのかかった短めの金髪、その小さな顔には不釣り合いなほど大きい丸眼鏡。手には彼女の武器であろう、ハープのような弓の弦が握られている。だが、その少女の正体よりも、彼女の言葉の方が気にかかった。
「ミッシェラって……ロデット=ラ・ミッシェラか?」
「捕縛部隊トップの?」
「えぇ。彼女はその二つ名を雷皇と言いまして、まるで雷のような破壊力を持ち、宙族戦闘部隊指揮官として名をはせ、現在では更にその上、悪魔捕縛部隊の女帝として、君臨していらっしゃいますわ」
あの女が雷皇だったのか……。俺も噂では耳にした事がある。特攻隊の隊長で、自ら先陣切って敵をせん滅していくような奴だ、と。道理で容赦ねぇはずだ。ってか……。
「お前は、誰だ?」
いきなり現れ、内状に精通した少女に、俺は問うた。
「私とした事が。申し遅れました。私、ズィオン=アナトー。宙族護衛部隊総括長をしております。二つ名は、“奏者”」
自身も楽器であるかのように、奏でるように美しい声を響かせる。高さだけならば、年相応の高音なのだが、何故かそこには冷静さが満ちており、得体の知れない空気を生み出していた。
「“奏者”、聞いた事あるな。確か、宙族の誰もが逆らう事の出来ない、音の魔術師、だったか……?」
「その通り、ですわ」
よっぽど余裕なのか、にっこり笑って答えるズィオン。だがそこにはやはり、少女特有の愛らしさはない。この幼さで総括長を名乗っている事といい、二つ名を自ら明かした事と言い、どうやら一筋縄ではいかなそうだ。
しかしそれよりも、明らかにせねばならない事があった。
「でも、アナトーって」
「はい、私、長の娘ですわ。ですから、先程からそこで黙ったままのクリム兄様の妹にあたります」
俺の質問を予測していたかのように、よどみなく彼女は答えた。
「やっぱり、か」
確かに、彼女の名前を聞いた時から、クリムは黙ったままだった。お喋りなクリムらしくもない。すると、しみじみと、感慨にふけるように、
「妹、か。僕が兄様とはねぇ……」
などとぬかしやがった。なんだ、やっぱりクリムはクリムか。
「で、君は俺達を」
「通しては差し上げられませんわ。お二人とも天使におなりになって、皆で仲良く暮らしましょう」
ポロン、とズィオンは弦を弾いた。そして俺は
「!?」
動けなくなった。
「何、しやがった……!?」
「私は“操者”。私の前ではあらゆる者はひれ伏し、私の思い通りに動くのです。もっとも――例外はありますけど。どうやら、兄様には通じなかったみたいですわね」
クリムは愛用の8本槍、彼の二つ名である“狙撃手”を構え、そこに佇んでいた。そして、
「残念だよ。まさか、妹を手にかけるなんて」
本当に残念そうに、悲しそうに微笑んだ。こいつのこんな顔を見るのは、初めてかもしれない。
「僕の二つ名、知ってる?」
「えぇ。“狙撃手”と聞いておりますが?」
「そう、だね。……まぁ、ごちゃごちゃ言ってても仕方ないか。じゃあ、行くよ!」
「どうぞ」
「撃の型:八十八旗、縛」
「操曲第九番“人形”」
ポロロン、ポロン、ポロン。
ズィオンの弦が、旋律を奏でる。一方、クリムの狙撃手は、シャキンッ、と構えられただけだった。ただ、それだけだったのに――俺にはそうとしか見えなかったのに――
「!? 何故?!」
彼達の間では、何らかの決着が着いたらしい。彼らの静かなる戦いは、一撃により雌雄を決したようだ。
実際、俺は身動きがとれるようになっていたし、ズィオンは反対に弦を取り落とし、膝をついて座り込んでいる。それはまるで、標本になった蝶のようだった。
「この私が……体を、支配されるなんて……」
「僕の二つ名、“阻劇手”だって言ったじゃないか。僕はあらゆるモノから影響を受けないんだよ」
俺達にとって、二つ名は大変重要なものである。それは自分で付ける場合もあれば、人々が勝手に呼び出す場合もある。しかし、その意味する所は変わらない。つまり、自分の能力を的確に表しているのだった。だから、俺の“裁断人”にしても、クリムの“阻劇手”にしても、また彼女の“操者”にしても、普段は別の漢字をあてる事が多いのである。
「その、ダーツが……?」
ズィオンは、その意味を正確に理解したようだった。だが、彼女は別の事を忘れている。
「これはただの媒介さ。まぁ、力を集中しやすくはなるんだけどね。基本は僕の力さ」
「……っ」
そう。俺達にとって、また天使達にとって、武器は単なる媒介にすぎない。それは彼女自身、実感していた事だろう。でも、肯定する事が出来なかったのだ。
まさか、全ての攻撃を跳ね返す力が、そんな化物じみた力が、存在するなんて。俺も、クリムの力を知ってから結構な月日が経つが、未だに信じられない。物理的にも心理的にも、外部からのあらゆる影響を受けない、その力を。
「じゃあ、先を急ぐから。ゆっくりおやすみ、My sister」
ポンッ、とクリムが肩をたたくと、ズィオンは床へ崩れ落ちた。それは、糸の切れた操り人形のようで、目を閉じて床に寝かされた様は、まさしく精巧に作られたマネキンのようだった。
「さ、行こうか」
差し出された小さな手が、一瞬だけ恐ろしかった。