第1章 8節 「スイス事件」
「綺麗だ」
ジェノヴァの港は両翼をこちら側に突き出し、優雅に丸め、中央から伸びる埠頭を見守っている。美しい海と美しい空に挟まれ、商船や窓の多い館の数々が生活を奏でている。
「うん。ここでいいよ」
マラトはサラセタに乗った。船員は目を丸める。
「泳いでいく気か? 意外に距離あるぞ」
マラトは脇腹を蹴り、淵まで歩いた。じっと港を見詰める。
サラセタを反転させた。
「保安官として命令する。君たちはバルバリアの海賊をスペインに送るんだろ。港に寄ったら逃げられるかもしれないから、そういうこと」
また歩き出し、淵を踏むと素早く反転した。
「待ってくださいっ」
船員たちをやはり無視してしまい、海に飛び込む。澄み渡った海底に足を着け、浮力と共に前進した。
マラトとサラセタの顔が水面を破る。後ろを向いて手を振ってやった。そのまま首も振って水を払う。
「でも1つ失敗したかもしれない」
小銃を取って確認する。乾けば動きそうだ。
濡らさないよう抱え、港の内側に入る。
埠頭に沿うと、小銃を置き、両手から上陸した。次にサラセタを引っ張る。前足が乗り上げたところで勢いよく押された。主人を踏む馬だが甘えるように舌を出し、マラトも笑ってしまう。人々の視線もついついほころんだ。
高貴な制服を濡らす青年が上半身を起こすと、脚の長さが更に際立つ。同じく長い腕で愛馬の鼻を撫でるがとんでもない量の水滴を払われた。また笑う。
膝まである靴から水を落とし、ようやく立ち上がると小銃を背負って靴下のまま歩き出した。
「サラセタ。しょっぱいね」
鼻腔だけでなく肌からもそれを感じる。お陰で空腹が強まった。味のあるものを食べたい。
「あ」
マラトは後ろに振り返った。船はすっかり遠くにいる。
「金」
チュニスで貰った報酬を置いてきてしまった。笑いながら舌打ちし、手持ちを数える。
「まあ、保安官だし。何とかなるよ」
勝手にサラセタの背を叩き、建物の集う町へ入った。
ジェノヴァには古代ローマの面影も残る。多くの建築は1階部分が円形のアーチになっており、その上に芸当ある柱と窓を飾った壁が座る。通りを見越すと、アペニンの山が茂っていた。
「走ろう」
主人が駆け出すと馬も早歩きでついていった。通りの真ん中は彼らのためにあるようだ。坂の商店街に入るがスピードは落ちず、次第に建物の間に木が生えはじめ、舗装が終わり、いよいよ完全な森に迎えられる。
しかし、日が暮れてきたので移動を終えた。頂上に着かないまま、手頃な湖で食べ物を探す。
「サラセタ、静かにしてろよ」
青みがかり、影だらけの視界をマラトは抜き足差し足で進んでいく。剣を抜いた。
一撃で鹿の子を仕留め、掲げてみせる。若干サラセタの影が見えた。
木の葉や枝を集めて火を起こし、どんぐりを主食に腿を食らう。隣のサラセタは花束と水を交互に飲んでいた。
「森の匂いで中和していってる」
海の水分が抜けていき、美しい保安官が横になる。
それからの旅路は爽やかだった。サラセタに乗って山を越えると平野は進みやすく、ポー川を渡る頃には小銃も動いた。橋から撃ち上げ、低空飛行の鳥を仕留めてみせる。晩に食べようと思ったが、道中で苗を待ちわびる田園を通りかかった。教会を中心に正座する人里で鳥は注目を浴び、高く売れ、代わりに米の入った袋をサラセタに結わえてもらう。アルプス越えも安泰だ。
牧草の山を登るとやがて剥げていき、冷え込む高原を突き進む。
岩盤の渓谷に飛び出た。
消えてしまいそうなほど遥かな北に、それでも見上げなければならない山が天を衝いている。ピラミッドの2倍鋭い斜面には、ところどころあられのように雪が固まり、青と白の壮大な筋が駆け降りていた。
「神様はここを創ったとき、山が好きだったんだろうな」
乗馬の保安官はこの景色によく似合った。飾緒の揺れが小さいが、見惚れるうちに理想的な走り方を達成しているからだ。
サラセタが前足を上げる。
「どうしたんだい」
4本足が落ち着くとマラトは目を開けた。愛馬が緊張の鼻息を吹く。
剣を抜き、しっかと辺りを捉える。
小銃に切り替えた。
崖際から1騎の男が飛び出し、逃げていく。
「盗賊か?」
マラトは言いながら脇腹を蹴った。一通り鞭を打つと小銃を背負い、距離を詰める。
彼が左の崖に飛び込んだ。
マラトも続く。雪を滑り止めにしてほぼ一直線に跳ね降り、氷結した湖面に着いたのは全く同時だ。
右側の彼に剣で近付くが、不意に旋回されたので容赦なく加速する。湖から川に登り、雪原の坂道を駆けていく。
「止まれっ。これ以上逃げれば暴力を行使する」
彼は、むしろ反転して迫ってきた。
剣術には自信があるが一瞬だけ後ろを向く。
3人の仲間に挟まれていた。2人は剣だが、真ん中が小銃を構えている。
マラトは右へ転換した。
斬撃を防具でやり過ごして崖に跳ぶ。道なき道を巧妙に戻り、やがて横切るように跳ね回った。間もなくすれ違う3騎に小銃を向ける。前方の1騎も振り返ってマラトを狙っていた。武器を交換したらく、万端で轟かす。
その瞬間に飛び降りた。等価の速度で踏み倒し、3騎のうち1頭も撃ち殺している。
彼を銃床で気絶させ、斜める体を正して追跡に飛び出した。
仲間を助けるか迷っていた2人は愚かにも逃げ出すが、遅かった。素早い装填がもう1頭を殺し、最後の彼は降伏せざるを得ない。
縄で遠慮なく縛る。遠慮なく気絶させる。残る2頭に微笑んだ。
「ごめんね。仕方なかったなんて言えない。天国へ行けるよう祈ろう」
マラトは、元気な方の馬とサラセタに2人ずつ結わえ付けた。押し倒した方の馬に優しく乗ると、愛馬の首が下がる。
「お前は我慢だ。さあ行くよ」
サラセタに先頭を走らせ、2頭も並んで続く。
盗賊が起きてなおスムーズに連行し、ローヌ川の上流を終わらせる町に着いた。雪山を見上げるが川は流れており、草花も茂る。
マラトは町の交番を訪れた。オーストリアの黄色の制服を着た保安官たちが出てくる。
「ちょ、そいつら、ひょっとして盗賊ですか」
マラトは馬を降りて頷いた。
「ここに捕まえといてくれないかな」
保安官たちは歓喜する。
「何ということだ。スペインの援軍がテロ集団の一味を捕まえたぞ」
「テロ?」
マラトがきくと保安官たちは盗賊を叩いた。
「アルプス越えの商人が襲撃される事件が多発してまして。拠点を見つけられず、やられっぱなしでした」
「ふーん」
マラトは盗賊たちに尋ねる。
「拠点はどこかな。正直に言ってくれたら減刑する」
1人が口を開く。
「ジュネーブとチューリヒだ」
それをきくなり、マラトは盗賊たちを馬から降ろした。サラセタに乗る。
「君たちはジュネーブに行って。自分は仲間を集めてチューリヒを叩く」
言うが早いか去ってしまった。




