第1章 6節 「ロシアのやり方」
ところどころの樹木は枝が太く、雪に見晴らしのよい特等席を与える。地平線は丘の起伏で軽快に曲がっていた。繊細な冬景色が果てしない。
しかしサルナはポンチョもなく走っていた。小銃を背負いなおし、ウサギたちをくるんで片手に持っている。髪の下から靴の上まで、黒に挟まれているにも関わらず真実の白を示す。
襟を顎までつまみ上げた。
「少し寒いな」
モスクワでの証言を整理すると、実行犯は何人もの男女で、いずれも体は強く大きく、防寒も厚かった。恐れることなく大火を更に更に継ぎ足し、しかも野蛮ではなく理路整然とそうしていた。協調性さえ全く優れていたという。
サルナは、ロシア屈指の製造都市クルスクの職人だろうと考えた。イングランド製品を受け入れるイワンには不満もあったに違いない。モスクワより南の高地に乗り上げ、黒い土と白い雪を踏み抜く。
町に着くと、日が暮れかけていた。ベルカを降りて代わりに小銃を置く。ポンチョを着込むとウサギたちが昇ってきた。マフラーを一周だけ巻き、小銃を背負い、通りを進む。
「うるさい町だ。よく住めるな」
夜になっても稼働しているだろう。馬車が虫のように行き交って辺りに車輪の音を張り、その上に話し声が乗る。同じような4階建ての団地が並び、長いだけでなく奥も深い。その1階が作業場だ。ひまわりから油を搾るところや菜類から砂糖をこすところ。サルナは初めて見る大器械の数々を軽蔑した。大袈裟で、何となく痛い。
中心部では鉄が打たれていた。うるさいだけでなく、熱い。しかしサルナはマフラーも取らなかった。煙をできる限り防ぎたい。
「みんな、ここへ」
ポンチョを開いてウサギたちを入れてやった。みぞおちの辺りで支え、閉じる。ベルカはどうしようもないので背中を撫でた。
「あとちょっと。もう目の前。辛抱辛抱」
長い苦痛の末サルナは工業地帯を脱出した。背の低く余裕ある住宅街を歩き、果てには大豪邸を見上げる。
「これか」
サルナは手頃な柵を見つけ、勝手にベルカを繋ぐ。今回はさすがにウサギたちも置いていくことにした。馬の背に乗せ、マフラーをかけてやる。
「いい子にしててね」
長い庭を歩くと、門番は3人だった。
「お待ちください。あなたは何者で、どこからいらしたのでしょうか。またどのようなご用事でございましょうか」
サルナは貴族らしく微笑む。
「トルコと戦い、アストラハンを攻め落としたアンドレの娘、サルナ。モスクワから参った。ボリス殿と、大火のことについて話し合いたい」
門番は快く扉を開け、1人が付き添ってくれる。
自分の家より豪華だった。絨毯の廊下を抜け、中庭の畑は食事スペースが付いている。離れに案内されると、壁は本棚で覆われており、これ以上の収納スペースが見つからなかった。
奥にまたしても食事スペースがある。ボリスが本を読んでいた。
「ご主人様。来客でございます」
ボリスは門番から説明を受けると、離れの外で待っているよう指示した。本を閉じてサルナを座らせる。
「あのアンドレの娘か。女だが疑いようもなく似ている。その上に才気や美しい髪まで携えて。立派なことだ」
「まだ及ばないさ」
ボリスは苦笑し、腕を組む。
「それで、沿ヴォルガにいるはずのそなたがモスクワから来たのか。大火を見たのだろうか」
「いや。報せをきいて飛んでいった。全く哀れな姿だった」
「そうか」
一瞬だけ下を向く。
「それで、ここには何用かな」
サルナは前のめって右肘を突いた。拳と同じ高さから睨む。
「聖職者どもはイワンを犯人として政府から追放したが、全く愚かな自作自演だ。その実行犯こそクルスクの職人だろうと考えている」
その理由を説明し、続ける。
「怪しい奴はいないか。そいつを拷問して、真犯人を吐かせることができれば、民草も教会に呆れると思うのだが」
ボリスも前のめって指を立てた。
「ちょうど、正教会に熱心なコミュニティがある。奴らを逮捕してみよう」
サルナの顔がほころんだ。
拷問を始めて1週間が経ったが、なお知らないの1点張りだ。
素直に話せば、一国正教主義のうち、異教を弾圧する方針は継承すると約束したが、アメも効果はない。苛立つサルナに最悪の報せが届いた。
「ポーランド軍が、ポーランド軍が、ロシアに侵攻しています」
中庭で食事を摂っていたサルナはパンを投げた。腕と脚を組んで深く座る。
「国が分裂しているときを狙ったか。軍規はばらけ、政府は外国を頼れない。卑怯者と言いたいが、頓珍漢なこちらに責任があるだろう」
立ち上がって歩きだすと、ボリスもついてきた。横顔を向ける。
「賭け事をしよう。奴らを処刑し、晒し首にする。即座に自作自演を報じる。本当に実行犯であれば聖職者どもは惑い、罪を認めるだろう」
ボリスは頷いた。処刑の手筈を整える。
当たりだった。
聖職者は「正教会全体を守るにはこうするしかなかった」と釈明したが、もう農民の指示は得られない。むしろイワンが彼らを恩赦したことで好感度が上がった。
貴族の兵団は、中央ロシアで辛くも食いしばって耐えている。
サルナは「ウサギナイト」の渾名と正規軍の指揮権を授かり、戦地へ向かう。




