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第1章 3節 「呪われた雷帝」

 1559年。西ヨーロッパは多くの国が新年を迎えたが、ロシアの暦は大きくずれている。

 去年は1年の半分が凍え閉ざされた。今年もそうなるだろう。大地は根雪の一方で、雲さえ寄せ付けぬほどの冬に潜る時期となっていた。

 しかし今日だけは小雪が許される。

 「取るか」

 馬に乗る少女はマフラーを外した。

 ムスリムとの戦争で武功を立てた智将の娘、サルナ。彼は男子を残さないまま病没したため若くして家督を継承し、今なお15歳である。妹たちを沿ヴォルガに置いて、国の都モスクワに向かっていた。

 ポンチョを開くと中の長袖は薄く、真実のように白い。一方の短髪は少し黒みがかる。青い装いと共に顔を引き立てていた。

 「ベルカっ」

 馬の脇腹を蹴り、走り出した。

 やがてモスクワに到着すると、白銀の祭りがそこかしこに漂っている。橋を渡れば更に都心だ。しかしサルナは手前で反転し、また反転して河川敷を降りる。ベルカに水を飲ませた。

 それから広場に向かったが、建築中と噂の大聖堂は既に大きく、神々しい。

 「来年には完成かな」

 柵にベルカを繋ぐ。雪と交わる人々に沿って聖堂へ入った。

 第三のローマ。正教会の記念日だ。

 しかしすぐに祈りを終えて出てしまう。長い脚の早歩きは恐ろしく、間もなく友人たちに追いついた。

 「見いつけたっ」

 2人の間から顔を出し、それぞれ見詰める。大笑いで驚かれた。

 「サルナじゃん。久しぶり」

 「遠かったでしょ」

 2人はスウェーデン戦で活躍した貴族の娘だ。

 「遠かった。だからまずは遊ぼう。モスクワには何がある」

 「あー」

 左の方が言うと、右側も目を合わせた。

 「これから貴族集会だけど」

 サルナは少し怖くなって一歩引いた。

 「知らされてない。どうして」

 「手紙、細かいとこまで読んだ?」

 「読んだ、はず」

 3人は微笑み、集会所に向かった。

 「当主は大変だね」

 「そうなの。いつも遅寝早起き」

 ベルカに目配せした。


 「さて諸君。ここに集うのはロシア全土の貴族である。つまり、それだけ甚大な情勢に直面しているということだ」

 司会の男が演説台から言う。分厚い壁によく響いた。ろうそくの色で暖かかい空気に着席できる。

 「回りくどい話はしなくてもよいだろう。我々のシベリア開拓の支援者で、最重要の貿易相手であるイングランド女王が、ムスリム、スレイマンからの求婚を受け入れてしまった。露土関係は先祖の頃より芳しくなく、我々の代では最悪だ。イングランドがロシアを捨てれば、畑も船も衰えてしまうだろう」

 「それでよいではないか!」

 一同は突然の寒気に後ろを向いた。聖職者の集団がこちらを睨んでいる。

 「扉を閉めて出ていけ。ここはお前らの入ってよい場所ではない」

 司会の命令を無視し、続々と侵入してくる。

 「イワンは何を考えているのだ。中央の我々から多大な税を取って戦争し、そのお陰で得た土地をお前らに与えているではないか」

 「農奴も同じだ」

 しかし、貴族たちも立ち上がって対峙する。

 「戦場で傷を受け、栄光を勝ち取ったのは貴族だ。それに、お前らの代官はことごとく腐敗しているからな」

 「それとも何だ。我々の中には領内のムスリムを改宗させない者も、英国国教会に媚びを売る者もいないぞ。恩義はきっちり返しているはずだが」

 聖職者の一人が唾をはく。

 「嘘をつけ。お前らは免税を受けているではないか。イワンは正教会を裏切り、規律なき宗教政策に飽き足らず弱者と戦争するつもりだろうが、愚かなことだ。天地の恵みも、健やかな家庭も、戦場に吹く風も全て我々の祈りの果実なんだぞ。目を覚ませ。お前らは踊らされているだけなんだ」

 「つまるところ富が欲しいんだな」

 サルナが力強く嘲笑う。

 「ならばお前らには2つの道がある。古き良き職権にしがみついて時に溺れるか、この銃を持って戦うかだ」

 サルナは小銃を掲げた。弾を装填し、聖職者に投げてよこす。

 沈黙の後、最短距離の男がそれを拾った。

 「無礼な小娘め。望み通り撃ち殺してくれる」

 「おい」

 司会が剣を抜こうとしたがサルナに止められた。一人で離れた場所へ移動する。

 銃口を向けられた。

 また沈黙する。

 「どうした、撃てないのか? ああそうか。外せば赤っ恥だもんな」

 震える聖職者は、引き金に弾かれた。


 サルナは無傷だ。深く首を傾げている。

 「仕方ない。こっちをくれてやる」

 剣を抜き、勢いよく投げた。

 彼の靴に刺さる。

 「血だっ。血だー!」

 聖職者たちは我先にと逃げ惑った。貴族が浅い剣を抜いてやると、彼も四つん這いで追いかけていく。

 一同は爆笑した。サルナは武器の血を拭ってもらい、小銃も背負う。

 「お前ら。笑うな。悪を打倒した悪になってしまう」

 中心の彼女に貴族たちはゆっくり従い、やがて笑いが静まった。

 サルナは左の足首を回す。

 「しかし煩わしい。誰か雷帝に伝えてくれないか。気を付けろ、と。きっかけがあれば奴らは農民を煽り、反乱を起こすに違いない」

 「なるほど、感心した。諸君。肝に銘じておけ」

 司会は3度手を叩き、集会を仕切り直した。

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