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第1章 30節 「災いの西進」

 小麦畑にいよいよ種がまかれた。土は大事にそれを包み、そこかしこから水を恵んでやる。地上では人が家畜を追っていた。

 10月5日、要人を見送ったマラトとサルナはそのまま館に泊めてもらう。馬を繋ぎ、食堂に案内された。

 長机に警備兵が座るが2人は小さなテーブルで料理を待つ。司祭たちが座るような席だ。

 「なあ」

 サルナは机の下でウサギを撫でながら尋ねる。

 「お前、手紙の書き方を教えたことがあったよな」

 「アントウェルペンのお芝居の後だね」

 「書く宛はあるのか」

 マラトは、思い切って少し前のめった。

 「それ。よく考えたら親戚もよく分かんないし、遠くに友達もいない。と思ってたらここにいてね」

 背もたれを使い、代わりに長い腕を伸ばす。笑顔が制服と髪に挟まれる。

 サルナは苦笑した。

 「ロシアは遠いぞ。きっちり届くか」

 「貴族宛だったら丁重に扱ってもらえるかなと」

 そこに料理が運ばれてきた。底の深く香辛料も多いポトフだ。

 サルナは人参を切ったものももらい、ウサギをテーブルに置いた。左手でかじらせる。

 「まあいいだろう。だが書くからには西欧の情勢も併記してくれ」

 「嬉しいよ。そして頑張る」

 2人は揚げたような具材を芳しく噛み砕いた。


 すっかり深まった寒さに新たな喜びが灯り、1562年。

 マラトがロシアにとっては早い新年の挨拶を怒られた頃、プラハの講話条約も決着を見た。

 内容は以下の通り。

・ポーランドはヴィツェプスク、オルシャ、モヒリョウをロシアに譲る

・ポーランドはサーレマー島、ヒーウマー島をロシアに売却する

・講話に参加した諸国はロシアの一国正教主義を尊重する

・講話に参加した諸国はポーランドにおける教皇至上権、禁書目録の適用を認める

・ポーランドはロシアが戦争のためにサインした借用証について、全額の支払い義務を負う


 これによりロシアはドニエプルの西側に進出し、バルト海への入口も確保した。カトリック、新教徒双方を受け入れない第3世界となり、干渉も断交も受けずに済む。いい形で平和を迎えることができた。

 ガルガリン砲によるショックはあるが、ヨーロッパ全体に春が訪れる。

 しかしそのイングランドが動き出した。

 エリザベスはブルボン家のルイと結び、領土割譲と引き換えに兵隊への物資援助を約束した。

 これによりブルボン家及びフランスの新教徒ユグノーが蜂起、内戦が勃発する。

 ユグノーはフランス西部を占領し、領土割譲の第1段階としてルアーブルにイングランド軍を駐屯させた。一方の国王軍もセーヌ川、ロアール川を下って反撃に転じ、戦況は膠着状態に陥る。

 ユグノー貴族はカトリック教徒を、カトリック貴族はユグノーを弾圧し、ジュネーブ協定による秩序は崩れ去った。宗教だけでなく、複雑な利害が衝突し、フランスの戦後復興の願いは苦悩によって切り裂かれてしまった。

 戦乱が続き、秋。

 マラトはサンセバスティアンの町を拠点に国境警備を任されていた。情勢把握のため調査に出向くが、日に日にフランスの治安と経済は悪化していく。農村では家畜が早くも肉にされていた。

 スペインに戻ってマラトは休憩する。砂浜までサラセタを歩かせて西を向かせた。海を見ながら布に包んだ豆を食べ、愛馬にも分けてやる。水筒は存分に飲ませた。

 「マラト殿」

 背後からの声に振り向くと、保安官が歩いてきていた。

 「ここにいましたか。フランスはどうでした」

 「戦況は変化なし。ただし庶民の生活はもっと苦しくなってる」

 「左様でございますか」

 言いながら彼は紙を取り出した。マラトに手渡す。

 「国王陛下から転勤のご命令です」

 「また?」

 思わず挟んでしまったが会釈をして続けさせる。

 「イングランドに新たな動きあり。海軍増強の監督のため、カディスに行っていただきます」


 イングランドは、スペイン領西インドの北方、デラウェアとメリーランドに植民を開始した。フランスからの避難を望むユグノーも送り、更にセントローレンス湾で漁船活動を奨励してスペインの覇権に下から圧力をかける。エリザベスはロシア自立の鬱憤を晴らすつもりだろう。

 英西は静かに戦争へ近付いていた。

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