第1章 12節 「ブランデンブルク学芸紛争」
アウクスブルクに着く頃、2人は馬を交代していた。それぞれ柵に繋いで大豪邸にお邪魔する。
「連れてきましたよ」
庭園を眺める主人に話しかけた。こちらに振り向く。
「ご苦労さん」
そのまま立ち話が始まった。
エレータによると、イングランドはドイツの諸都市で手を引き、有力者の反カトリック活動を支援しているそうだ。ロイトリンゲンでは特に根強い。彼らを暗闇から引き込むための囮として、マラトは送られたのだった。
「すまんかったな、青年よ。だが輝かしい武勇伝の数々をきいて、まさか死ぬことはないだろうと私も思ったのだ。現に瑞々しく生きている」
マラトは主人に握手された。目を閉じる。
「母さん、僕有名人になっちゃったよ」
隣のエレータは前髪をいじっていた。
「これでロイトリンゲンもクリア。あとは北の商業圏だけです」
主人は頷き、マラトの方を見る。
「イングランドは密かにドイツを食い、愛を捨てない純潔な教徒は焼き尽くしてしまうつもりだ。現に島国ではそうなっている。カトリックを再伝道し、強い軍を育ててドイツを守らなければならない。だからハプスブルクは兵士となった者に永久に賦役を免除してやっているのだが、マラトよ。エルベを渡り、その自由な民が異教に染まらぬよう、また領主に搾取されぬよう監督するのが次の任務らしい」
「なるほど。了解です」
マラトは拳を見せた。防具が光る。
「任せてください。行ってきます」
走って外に出るとエレータも続こうとしたが、主人に引き留められる。
「送ってやるつもりなんだろう。しかしお前はイングランドに帰って潜り込む予定じゃないか。きっちり休んでおきなさい」
「うーん。それなんですけど」
エレータはポケットから紙を取り出す。辞表だった。
「私、宗教とか興味ないんで。今はあの子が気になるんです」
言うが早いか去ってしまった。主人は1人で呟く。
「寂しくなるな」
マラトは不意な仲間と共にエルベ川を渡った。ブランデンブルクの都ベルリンに入る。保安官の地域首長に就任し、神聖ローマ帝国最重要のポイントを守り抜く。
最も忙しい仕事は兵士の管理だった。賦役免除はドイツ人にとって嬉しく、ポーランドへの出征志願者を増やしてくれる。
にも関わらず戦況は芳しくないようだ。ドニエプルを飛び石のように北上する智将に苦しめられ、師団は勝利よりも生き残りを懸けるようになっていた。領主たちはポーランドを諦めてしまう。自領の利益を守ることに専念し、出征を拒否して人々を畑に抑える。
マラトはサラセタに乗った。隣にエレータも並び、ハンブルクで起こった私兵と義勇兵候補の衝突を仲介しにいく。
8つ年上の彼女が顔を向けてきた。まつ毛が長い。
「どうせイングランドが関わってるんだよ。あの町は魚臭い」
「仮説は現場を見た後で立てよう」
「生真面目だ」
しばらく走ると、2人は剣を抜いた。町郊外の農地が騒ぎになっている。
銃兵が戦列を作ってきた。
「別れて行こう」
エレータの呟きで道を離れ、畑を走る。
左のマラトは小屋に回った。弾を浪費させ、その隙に飛び出す。
「どけー!」
銃兵たちは装填の棒を捨てて散開した。マラトは彼らを追い回し、剣の柄で殴って倒す。
奥に走ると私兵と農民の乱戦だ。騎兵がこちらを見て迫ってくる。マラトの一直線は崩れない。
連続の一騎打ちを驚異的な加速でスルーした。乱戦に突っ込むとエレータも合流し、歩兵を十字に殺す。走り回りながら首を斬り落としていった。
「みんな、あっちに銃がある。拾え」
農民たちは保安官の指さす方へ走った。エレータが先行して騎兵を撃ち、暇を与えぬほど素早い一騎打ちを畳み掛けてやる。
弓兵が農民を狙うがマラトが横切った。急旋回して斬り殺す。歩兵の妨害を跳び越し、構える弓兵たちの紐を切る。
その頃には農民が銃を装備していた。私兵は降伏せざるを得ない。
縄で縛って畑に寄せ集めた。農民たちと囲う。尋問を始めるとエレータは驚いた。
「デンマーク軍なの?」
隊長が頷く。
「ここの領主から依頼があったそうだ。農民反乱を鎮めてほしいと」
「反乱って。ただのストライキだよ」
男が言うとマラトは顔を近づけた。
「戦争にはしたくない。君たちを領主と一緒に人質にする。デンマークの王様が不干渉の約束と、お金を払ってくれたら国へ帰れる」
デンマークはかつての戦争中はバルト、北海にカーテンを広げてドイツの反カトリック化を抑えていた。講和条約でゴトランド島をポーランドに取られると異教密輸の拠点となり、エリザベスとも結んでいる。
とは言え今回の事件には謝罪した。捕虜は解放され、領主は処刑を免れる。
そのはずが教会は死刑判決を下した。他にも罪があるらしい。
「人文主義を履き違えた過激な文学を輸入したのです」
マラトは保安官首長の立場から死刑に反対したが、修道士の弁明を受ける権利しかなかった。ベルリンの交番にはエレータもいる。
「まあ無駄で低レベルな芸術論争は増えましたよね」
修道士は頷く。
「これはドイツ人全体の試練なのです。イングランドに侵され分断し、自分たちの食う穀物も賄えず、随一であった鉱工業さえ衰えました。カトリックの力で統一しなければなりません」
それからというもの、ドイツでは書物までもが異端審問にかけられることとなった。特にブランデンブルクで厳しい。領主には敬虔なカトリック教徒の芸術家や俳優へのパトロン活動が推奨され、論文も検閲が入る。一方のイングランドも水面下で密輸を行って組織的な抵抗力を育てている。
9月になり、エレータはマラトの秘書を辞職した。
「あれからずっと忙しかったじゃん。疲れた」
「そう」
マラトは馬に乗る彼女を見上げて笑った。
「次は何をするんだい」
「ウィーンでスイーツ食べまくる」
そう言うと去ってしまった。
マラトはある計画を思い付く。
11月の上旬、もはや検閲は不要となっていた。
保安官たちでチョコ菓子の販売を始めたのだ。
西インドのカカオはスペインで人気を博していたがドイツでも爆発的に広まった。これにより両地域の交易が栄え、イングランドは淘汰され、自然とカトリックに傾く。マラトの最も理想的な形だ。
「結局忙しいや」
制服で料理をしている。




