第1章 11節 「ドイツ刈り」
海とも見紛うほど広い川を船は進んでいた。人の声でざわめき、指揮官の背を大きく見せる。
寒さはすっかり持ち上がった。反撃の温風と不屈の騎士が下劣なる暴力を裁くため、勇気を澄ましている。
馬が早歩きを始めた。
「何かあるの」
右手側の水面を望むと、1隻の極めて小規模な舟が浮かんでいた。
鉄の衝角を向けている。
直ちに小銃を構え、漕ぎ手を狙う。
「厄介な奴め」
マラトは軌道を直感した。
見事に盗賊の抵抗を沈めた。小銃を背負いなおす。
オーストリアの保安官を集めて行く道で、マラトはチューリヒを通る川の上流に至った。中規模な平船で盗賊の拠点へ駆け込むことにし、保安官たちは準備運動をしている。
「サラセタ、寝るな。これからだぞ」
こくんと揺れる首を固定してやった。徒歩を命じる。
アルプスの険しさから一転、中欧の緩やかな風に恵まれた。牧草の匂いが漂ってくる。マラトは肩を回した。
「よかったよ。腕がなまってなくて」
川が狭まり、チューリヒの町並みに収束していく。
保安官たちは電撃的な捜査で盗賊を一網打尽にした。マラトは船に積み込むのを手伝うと、陸に降りて手を振った。小さくなるまで見送ってやる。反対を向いてドイツへ駆け出した。
満天の恵みに微笑み返すような小麦畑が続くが、集落はない。住宅は散らばっている。むしろ、何もない道こそ集落のようだった。荷を運ぶ者や馬車とときたますれ違う。あるいは同じ方を向く者を追い抜く。いずれにしても緑の制服は必ず一見された。
マラトは、あることを思い出した。素早く周囲を見回す。
「道が合ってるか分からない」
サラセタの脇腹を蹴って加速した。時間をかけずして通行人を目に捉え、追いつく。燕麦を背負う男だった。
「ちょっといいかい。ロイトリンゲンってこの道で合ってるかな」
男は服装に驚いて少し引いた。
「待ってくれ。何だその服。保安官の色違いか?」
マラトは、オーストリアの黄色いものを言っているのだと理解していた。
「色違い。スペインから援軍に来た。東の戦争のせいで治安が悪くなってるらしいからね」
男は2度頷いた。腕を道先に伸ばす。
「ロイトリンゲンはまずはここを真っ直ぐ。突き当りで3方向に分かれるが、右へ行けば、あとは流れるように着くさ」
「なるほど。ありがとう」
言うが早いか小走りで去っていった。
広大な畑を走り尽くし、右へ曲がってしばらくすると森の上り坂に突入する。下り坂に変わり、浅い川を橋もなく渡った。また上り、下り、森を抜ける。小さな町が佇んでいた。
家々は壁が薄く窓も開放的で間隔に余裕があり、庭園や屋外カフェも開かれている。だが予想していたほどの活気はない。
マラトは通りすがりの女性に尋ねた。
「お嬢さん。この町は何ていうのかな」
明らかな旅人に微笑む。
「アルプシュタットです」
「え」
保安官が固まる。彼女は首を傾げた。
「ロイトリンゲンに行きたいんだけど」
「それならここを北に」
マラトは手綱をいじった。
「そう。ありがとう」
小走りで手を振った。
北に行くとまた1つ山を越えさせられた。しかし麓の町はアルプシュタットより大きく、建物の密度も賑やかだ。
暖色系の屋根の筋を見下ろし、太い通りへ駆けていく。
マラトは馬を降りた。町の交番を探してみる。
「その前にお腹空いたな」
豚を焼く肉屋を過ぎた。匂いはしばらく離さない。
「サラセタ」
やはり戻ることにした。
振り返り、しかし即座に止まる。
猛スピードの3騎の男が、人々を端に追いやっていた。
「何あれ」
マラトは顔を鋭くした。前に出て剣を抜く。
「おいっ。止まれ。子供を踏むぞ」
止まらないどころか小銃を向けてきた。
「逃げてくださいっ」
市民が建物に入るとマラトもサラセタに乗った。相手を睨みながら右の曲がり角へ入る。鞭を振るって屋内の人々に警告すると、やはり3騎は追ってきた。農民らしい服を着ている。
「ドイツ人はみんな銃を持ってるのか」
呟くと真ん中が火をつけた。
左腕の防具で守り、右へ曲がる。
「走り続けてろっ」
マラトは愛馬から跳んだ。屋根を踏み抜き、即座にしゃがむ。
3騎は去りゆくサラセタを見て分散した。1騎はそのまま。1騎は後ろへ。1騎は左へ。マラトは後ろに行った彼を追いかける。
傲慢に暴走し、人々は屋内へ押し寄せた。危機の中で頭を守ることしかできない者もいる。
屋根を跳び、跳び、叫ぶ。
「止まれ野蛮人!」
彼は垂直の如く馬の前足を上げた。その勢いで振り返り、銃を向ける。
転がり落ちて対峙した。小銃を投げつけてくるが切り裂いてみせる。彼も剣を抜いたがマラトは動じない。
ステップして右側に回り、足首を掴んだ。落馬の男を気絶させる。
2騎に挟まれてしまった。
「みんな気を付けてっ」
叫ぶと馬を奪い、前方に走る。
男ではなく女だった。
しかもサラセタだ。
彼女は銃を撃ち、向かいの男を仕留めてくれた。
「一緒に来る?」
笑顔で通り過ぎたので驚くばかりだ。
マラトは急いで反転し、その後を追う。
町を出て、農業地域でようやく彼女の横に並んだ。日の沈む反対へ向かっているらしい。
マラトはスカーフに隠れる顔を覗き込んだ。全体的に赤色だがここだけは白い。
「まずは助けてくれてありがとう。自分がききたいことは3つ。あいつら何。あなた誰。どこ行くの」
彼女はこちらを向き、順に指を立てる。
「クラウス、エーリヒ、忘れた。エレータ。アウクスブルク」
「個人名じゃなくて」
エレータはスカーフを取った。茶色のお団子が首筋に似合い、前髪が調和するように揺れる。
「あいつらはロイトリンゲンの富豪のしもべ。イングランドと結んでカトリックのお偉いさんの邪魔をしてる。私はイングランドから来た二重スパイって訳。フッガー家に雇われてる」
「フッガー!?」
マラトは前のめって落ちそうになった。手を伸べてくれたので姿勢を正す。
「もっと堅い子だと思ってた」
2人は走り続ける。




