第1章 9節 「エリニャの火砲壁」
今年の冬は長い。氷点下を越える日もあるが続かず、雪解けは滞る。
それを破るようにサルナの正規軍は行進していた。短い日の昇る前から沈む後まで歩き続け、更に指揮官の信じられないほどの早歩きを信じて離さない。ベルカが疲れると降りてやるがスピードは落とさず、ウサギの励ましを受け、姿は美しささえ包んでいた。騎兵たちもこれに習って徒歩を駆使し、あるいは歩兵馬車の乗員や馬車馬を細かく交代して雪道を強行する。
正規軍がモスクワを発ったのは3月の20日だ。ブリャンスクの敗報の翌日であり、サルナは即座に反撃の手立てを判断した。
「南の師団を引き寄せておき、中央に加勢して押し込む。両軍を分断すれば最悪の危機は免れるだろう」
ポーランド軍に奪われたスモレンスク方面へ向かい、東スラブの鋼の足腰が大地を叩く。
サルナはウサギを走らせた。
「ベルカっ」
しばらく並走し、背後を確認すると馬に乗った。ウサギの回るような速さで鞭を打つ。
雷の侵攻には雷の反撃を。そのままスモレンスク東方の集落エリニャを捉えた。北に回って丘を目指し、上り坂の前でようやく減速を始める。背後を確認してからベルカを降り、ウサギたちを迎えて丘を進む。
頂上に軍団が並ぶと、サルナは遠方に幾らかの騎兵を発見した。反転して西へ走ってしまう。
「偵察兵に見つかった。明日にでもここで戦うことになるだろう」
小隊長たちを集め、ウサギを撫でながら見下ろす。
「ポーランドの騎兵は古いが、つまり銃に倒れないほど強いということでもある。入念に土地を観察しておけ。目まぐるしい動きを要求する」
「はい」
ウサギはもはや彼女の威厳を象徴していた。彼らが測量のため丘を下りると、今度は全体に叫ぶ。
「お前らっ。飯は十分にあるぞ。遠慮なく食え。噛め。それはロシアで取れた飯だ。ロシアの飯だ。ポーランドに奪われてはならない」
兵士らは西日を沈める勢いで叫び返した。戦闘準備に動き出す。
深い夜になり、サルナは小隊長の1人を起こした。ベルカやウサギはいない。
「案内しろ。確かめたいことがある」
ポンチョとマフラーの少女が男と歩いていく。
「しかしサルナ殿。ポーランド騎兵が相手とはいえ銃火器は使うべきですよ」
「無礼だな。誰が全く使わないと言った。馬鹿か」
丘を踏みしめながら下りる。
1匹のウサギが股をくぐった。
「どうしようもない」
笑顔をこらえられず、両手に受け入れて自由な夜景を見せてやる。
「先の戦争で仏西の諸都市を破壊し、締めにイングランドは完膚なきまでカーンを侵した。私たちはあれを攻撃には使わない。ただ守ることは必要だ」
丘を下り切り、偶に後ろを振り返りながら進み続ける。
ぐるっと体を回した。ここが気に入ったらしい。
「位置をよく覚えておけ。他の隊長たちに伝えるのだ」
ウサギを走らせ、丘へ帰り始めた。
翌朝。丘に陣取るロシア軍の前で、ポーランドの師団が朝日を見上げる。影のせいでこちらから詳細を見抜くのは困難だった。
しかしサルナは動じない。自分と砲兵を頂上に残し、斜面に軍を並べる。左翼を少し前に出していた。
ポーランド騎兵は早期決着を狙い、突撃を始める。
サルナは更に鋭かった。
「放て!」
一斉砲撃は早すぎた。ポーランド騎兵の手前に着弾し、傷はない。
サルナは笑った。
全体を狙うのではなく右翼に集中砲火したことで敵左翼が遅れ、隙間が生じる。あるいは敵右翼に押し込む騎兵もあった。誇り高き陣形が乱れる。
サルナはマフラーを取って馬の脇腹を蹴った。ウサギたちと共に戦列から飛び出し、剣を挙げる。
「左翼、進めっ」
真摯な横隊を保ったまま早歩きで前進する。強靭な騎兵が迫ってくるが指揮官を信じ、揺れない。
サルナは小隊長たちに目を向けた。
「止まれっ」
剣を振り下ろし、騎兵に立ちはだかる。
3列の銃兵がしゃがんだ。サルナはその背後の槍兵との間に飛ぶ。
ポーランド軍は密集しておきながら規律がない。
「放て!」
最後尾の1列が立ち上がって一挙に撃ち込む。その音をきいて2列目が立った。反撃を加え、最前列も発砲すると騎兵は見事に倒れていった。銃兵を前に散開することすら叶わず、生き残りは酷く薄かった。
突進力のない彼らは戦列を越えて槍の群れに到達するが、もて遊ばれるだけだ。
次の波が来るまで時間は十分である。
「放て!」
寸前の大騎兵とかち合い、苦痛が地に倒れると大半がポーランド軍だ。鋼のロシア人は激突の度に強度を固め、敵はなお効率の悪い駆け引きに取り憑かれる。2度目の一斉砲撃が動きを操ったのだ。
サルナは騎兵を率いて南に回り込む。西へ突き進み、前線の方を見るとようやくポーランド軍が白兵戦に持ち込んだが左翼を押し込んで右翼に接してしまい、最強であるはずの騎兵がもたついている。
その遥か背後から北上した。
「しっかり隠れてっ」
ベルカの4本足でウサギを律し、愚鈍な敵左翼に戦場を与える。
首が跳ねた。そのままサルナは剣を振るい、密度の薄い地点まで走り抜ける。走りながら小銃を天に突き上げた。
反撃の合図である。
分断されたポーランド軍は屈強に合流を試みるがロシア騎兵の杭は深い。サルナは迎え撃つと、かち合った兵を自分諸共馬から落とした。首を刺し、やってくる騎兵も前転で交わして小銃で仕留める。ウサギが股をくづったのでジャンプした。ベルカに乗る。
騎兵指揮官を追った。
一兵士と戦う彼の肘を切り、剣が落ちる。そのまま敗北した。
ポーランド軍は撤退を決意し、北西と南西に敗走していく。
その後、サルナの軍は国境を越えてポーランド領に侵入した。南の師団も拘束されており、一先ず危機は脱した。
しかし試練は続く。
「オーストリアがカトリック義勇兵を送り込む、と」
ウサギと睡眠していたサルナは体を起こした。
「なんだ。義勇兵か。大したことないだろう」
「騙されないでください。どうせドイツ人の傭兵ですよ」
サルナはテントの天井を見た。考える。
「ならばこちらはムスリムを頼るとしよう」
楽観的に眠ってしまった。




