第一話 え? 私死んじゃったの!?
「目覚めなさい、絵里」
透き通るような美しい声が聞こえて、私はパチリと目を開けた。
目の前にとても綺麗な女の人が立っていて、横たわる私の顔を優しい表情で覗き込んでいた。
わぁ、美人さんだなぁ。と、うっとりしていた私はハッと我に帰り、体を起こした。
「仕事! 仕事に行かなきゃ! 遅刻しちゃう!」
七時にタイムカードを切ればいいのだが、私は新人なので一時間前に出勤し、掃除をしなければいけないのだ。
慌てて立ち上がりシャワーを浴びようとした私は、周りの景色を見て度肝を抜かれた。
なんと……、なにもないのだ。
スマホもタンスもテーブルもない。一面の白い世界なのだ。
「ここ……どこ?」
私は夢を見ているのだろうか?
ならば、目覚めなければいけない。私は自分の頬をペチペチ叩き、「起きろ! 起きろ!」と叫んだ。
「ふふ……。もう起きてますよ?」
先程私の顔を覗き込んでいた美女が近付いてきて、クスクス笑っている。
「そんなはずない! だってここは私の部屋じゃないもの! これは夢だ! 起きろ私! 遅刻したらまた課長に怒られる!」
美女は悲しそうな表情をして話を続けた。
「可哀想に……。仕事が怖いのですね? あなたのような者のことを何というか知っていますか? 社畜と呼ぶのですよ?」
そんなの知ってる。そう、私は社畜だ。
でも、社畜だからなんだというの?
社畜と認めたところで逃げられるわけじゃない。
だったら私は、一生奴隷のように働き続けるしか道はないのだ。
「でも、安心してください。あなたは死にました。もう仕事に悩むことも、上司に怯えることもないのですよ?」
「……は?」
え……私、死んだの……? なんで……?
美女はニコリと微笑み私を見つめた。
「過労死です。昨日も遅くまで仕事をし、家に帰ったら夕飯も食べずに寝てしまいましたね? そんな生活をしていたので、体に限界がきたのです」
「……嘘……」
「本当です」
「じゃあ……、ここは天国ですか?」
「天国とは少し違いますが、そのようなものです」
私は頬が緩むのが隠せなかった。
やった……! 死んだんだ、私。
もう上司に怒鳴られることもない。大量の仕事を見て吐き気と戦わなくていい。好きなだけ寝て、ご飯もゆっくり食べられるんだ。
私は拳を空に突き上げて、思いっきり叫んだ。
「やったぁーーー!!」
「喜んでいるのが本当に可哀想です。ですが、この場合は辛い仕事から解放されて良かったですねと言うべきでしょうか?」
「はいっ! 良かったねって言ってください。それで、あなたは誰? 神様ですか?」
美女はニコリと微笑んだ。
「私は女神です。あなたは今まで大変な人生を歩んできましたね。そんなあなたにプレゼントをあげたいと思い、ここに呼びました」
えー!? 嬉しい。仕事から解放されただけじゃなく、プレゼントまでもらえるの!?
死んで良かったー!
「ありがとうございます。プレゼントってなんですか?」
「プレゼントは、あなたを新しい世界に転送させます。そこで好きなことをして生きてください」
「新しい世界?」
「そう。剣とか魔法とかある世界です。あなたはよくファンタジーのアニメを見ていましたね? そういう世界に憧れていたことを、私は知っているのです」
素敵! そう、私はファンタジーの世界が大好きなのだ。
よく主人公が異世界転移する話や転生する話などを憧れの眼差しで見ていた。
それがまさか自分にも起こるなんて夢みたい。
「女神様! じゃあ私をとびっきりの美少女に転生させてください。それで素敵な貴族の男性と恋に落ちて、幸せな人生を歩みたいです」
「ふふ。残念ながら転生ではなく、転移です。でも、あなたは可愛らしいから、そのままでも素敵な男性と巡り会えると思いますよ?」
えー。やだやだ。転移っていったらこのままの姿で異世界に行くんでしょう?
激務で髪も傷んでるし、肌もボロボロ。こんな姿で新しい人生をスタートしたくないわ。
「お願い女神様っ! 私を美少女にしてください」
「でも……」
「お願いします」
「……」
女神様は困ったような表情をしていたが、私の熱意に負けたのか、クスリと微笑んだ。
「分かりました。では――」
その瞬間、私の体からポンと煙があがった。
煙がおさまってから自分の姿を確認する。
ハイソックスに紺色のスカート。胸元には可愛らしいリボンが付いている。
こ、これは高校の時の制服だ。
私がビックリしていたら、女神様がニコニコと説明した。
「絵里を十七歳の時の姿に戻しました。社会人絵里も可愛いですが、高校生絵里も可愛いですね」
「えー。金髪碧目の美少女にしてよー。女神サマー」
な、なんか口調も幼くなってきた。
体に精神が引っ張られているのかもしれない。
「ダメです! 私は絵里の見た目も好きなのです。それに、今でも十分美少女ですよ?」
「ほんと?」
「本当です。かわいー絵里ちゃん。よっ、世界一の美少女」
「え、えへへ。そうかな?」
女神様は確実に私をおだてている。
それは分かっているのだが、私は嬉しくなってテレテレと頭をかいた。
「じゃあ、このままでいいです」
「ふふ。良かった。では、話を続けますね」
そんな言葉と共に、私の目の前に分厚い本が出現した。
女神様の不思議な力なのか、本はフワフワと宙に浮いている。
本は高級感のある茶色の表紙に、金色に輝く文字で「スイーツレシピ大全集」と書かれていた。
「あなたに特別な力を授けます。これをどうぞ」
「お菓子の本ですか?」
「そう。この本があればどこでも好きな時に好きなスイーツが作れるのです。あなたは幼い頃、お菓子屋になるのが夢でしたね? お菓子作りも大好きだった。だから、お菓子に関する加護を与えたのです」
そう。私は小さい頃、お菓子作りが大好きだった。
大人になったら仕事に追われてお菓子作りもしなくなってしまったけど、この本を使ってお菓子に関わる仕事に就いたら楽しいかもしれない。
「さらに、絵里が作ったお菓子には魔法の力がこもっています。具体的に言うと、食べるだけで傷を癒し、体力・魔力を回復させられるのです。それだけじゃない。毒、麻痺などの状態異常も治せます」
「す、すごーい! まるで万能薬みたいですね」
「ふふ……。そうでしょう? この本を、異世界に持って行きなさい。きっとあなたの役に立ちます」
「はいっ。女神様。ありがとうございます!」
私はドキドキと高鳴る胸を抑えながら本に触れた。
すると、本はスッと消えてしまった。
「この本は、あなたが念じればいつでも出現し、また消すこともできるのです」
「へー」
「さらにおまけで、ステータスを確認できる能力も授けておきました。冒険でステータス確認をするのは基本ですからね」
「わぁ、何から何までありがとうございます!」
女神様は慈愛のこもった優しい表情で微笑むと、私の後ろを指差した。
「では、行きなさい。あなたの新しい人生が、幸多きものであることを祈っております」
「本当に、ありがとうございます。私頑張ります!」
私はペコリとお辞儀をすると、女神様が指を差した方向へ、ワクワクしながら走っていったのだった。