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秀才①


 不審者との遭遇から約一か月。わたしは放課後の校内を一人歩いていた。


 静かな廊下に、こつこつと低いヒールの音が響く。目的の教室が近付き、わたしは足音を鳴らさぬよう、速度を落として慎重に歩を進めた。


 何人かの話し声が聞こえてくる。扉の隙間からそっと覗くと、その声の中で蹲るように、二人目の攻略対象がひょろりと長い体を縮こまらせていた。


 顔を隠すように伸ばした、肩よりも少し長いサラサラの黒髪。大きな瓶底眼鏡の向こう側で、髪と同じ真っ黒な瞳に怯えの色が混じっている。


 見るからに気の弱そうなこの眼鏡くんが、二人目の攻略対象アルヴィンだ。彼は学年一の秀才で──いわゆるガリ勉キャラである。


 彼の家系には優秀な人が多く、過去に何人もの文官を輩出してきた。宰相まで上り詰めた人もいるという。しかし、彼のひいおじいさんが非常に金遣いの荒い人だった。使い込んだお金を取り戻そうとあらゆる事業に手を出してはことごとく失敗。あっという間に家財を使い尽くし、お家は衰退。貧乏貴族になってしまった。お父さんの代でなんとか持ち直してきてはいるものの、彼の家について「学があっても頭がいいとは限らない」などと馬鹿にする人も多い。


 というわけで、端的に言うとアルヴィンはいじめられっ子だ。入学後すぐのころから教科書を隠されたりノートに落書きされたりという地味な嫌がらせを受けていて、ある日ついに直接的な暴行を受ける。暴行といっても殴る蹴るではない。そう……彼の! 綺麗な! サラサラの髪を! 切るのだ!!


 ブチ切れ不可避。最初にシナリオを読んだときも勢い余ってコントローラーを投げ飛ばすところだった。なけなしの理性で投げ飛ばしはしなかったものの、コントローラーは手の中でちょっぴり嫌な音を立てた。


「こんなぼろぼろの教科書、恥ずかしくないのか?」

「本当に汚いな、ガリ勉は教科書の見すぎでこんなふうにしちまうのか」


 明らかに一度泥水にでも沈められたような、茶色くしわしわになった教科書を指先で摘まむように持ち上げて、いじめっ子たちが笑った。


「そ、れは、君たちが……」

「あ? なんか言った?」

「っ、か、返してくれ」


 アルヴィンは言い返そうとしたものの、いじめっ子の圧に負けたようだ。小さな声で教科書を返すよう求めた彼を小馬鹿にしたように、いじめっ子たちはまた笑う。


「これ以上まだ勉強したいのか?」

「学園でのお勉強以外にも学んだ方がいいことがあるんじゃないのか? 例えば食べられる雑草とか」


 ぎゃはは、と下品な笑い声が教室内に響く。……なんて低俗なんだろう。それでも十六歳か。呆れてものも言えないというのは、こういうことなんだろうと思う。学ぶべきことがあるのはどう考えてもあんたらの方だ。


 そのうちに、いじめっ子の一人が「もう暗記してるだろ? いらないよな」などと言いながらハサミを取り出した。──今だ。


 この後、アルヴィンが教科書を取り戻そうと駆け寄って、いじめっ子に髪を掴まれる。長くて鬱陶しいだのなんだと言われ、ざっくり切られてしまい……ゲームでは、その直後に偶然ヒロインがやってくる。いじめっ子たちはそそくさと逃げ、ヒロインはアルヴィンを慰め励まし、それがきっかけで仲良くなるわけだが、このわたしがヒロイン登場のタイミングまで待てるはずがない。いいか、鬱陶しいのは長髪眼鏡キャラに対する根暗だの陰気だの腹黒鬼畜眼鏡だのという偏見だ!!


 バンッ! と勢いよく扉を開けると、その場にいた全員がびくりと肩を跳ねさせてこちらを見た。まさにアルヴィンがいじめっ子たちに駆け寄ろうとしているところだった。


「……なにをなさっているのかしら?」

「えっ、い、いや、俺たちは別に、なにも……なあ?」

「あ、ああ」


 いじめっ子二人が目を合わせ、へらっと笑う。それじゃあ、なんて出て行こうとするので、わたしは「待ちなさい!」と声を張り上げた。


 いじめっ子たちは再びびくりと跳ねて立ち止まる。ゲーム内でもほとんど描写のなかった彼らだが、こうして対峙しても顔に見覚えはない。おそらく富裕層の子供か新興貴族の子供だろう。先の不審者と同じくゲーム上ではモブ中のモブ、ここで取り逃がしたって問題はないかもしれないけれど……アルヴィンに同じことをする可能性がないとは言い切れない。


 絶対に通さないぞという強い意志を持って、両手を腰に当てる。扉の前に立ちはだかったわたしを見て、いじめっ子たちはどうしていいかわからない様子だ。


「その手に持っているのは、アルヴィン様の教科書ではなくて?」

「あっ、ああ……」

「ハサミでどうするおつもりだったのかしら」

「あんたに関係な……っいや、ベアトリーチェ様には関係のないことです」


 言い返そうとしたいじめっ子モブAの脇を、モブBが小突く。何やら小声で囁いた瞬間Aが改まった口調に直したので、おそらくBはわたしの顔と家柄を知っていたらしい。


「関係あります。わたくし、ちょうどアルヴィン様に勉強を教わりにきたところですから」

「は……? なんでこんなやつに……じゃない、ええと、ベアトリーチェ様でしたら、家庭教師の先生がいらっしゃるのでは」

「いるにはいますけれど、やっぱり同じ授業を受けている人に聞くのが早いこともあるでしょう? アルヴィン様は先日の小テストでも、リシャール王子に次ぐ二番の成績でしたし」


 学園では月に一度小テストが行われ、成績上位者の名前は廊下に張り出される。昨日張り出されたばかりの最新のテスト結果で、アルヴィンは第一王子に続いて二位だった。


「っあんなのは……! 入学テストだって、前回だって同じ順位だったんだ。ズルでもして……」

「ズル?」


 モブAの言葉を遮り、小首を傾げる。


「ズルって、どうやるのかしら? お金でも詰むの?」

「それは……」


 アルヴィンの家にそんなお金がないことは、貧乏を理由にいじめていた彼らだってよく知っている。おろおろと視線を彷徨わせるいじめっ子たちに追い打ちをかけるように、わたしは再び口を開いた。


「この学園には、賄賂に釣られたり身分に忖度して成績を改ざんするような先生はいらっしゃいません。そんなことがまかり通るなら、学園に通った歴代の王族の方々がみな首席であるはずですし、わたしだってもしかしたら、もっと上位の成績だったかもしれません」


 いじめっ子たちは完全に言葉に詰まっている。


「言葉には気を付けた方がよろしくてよ。アルヴィン様の成績に関してズルだと言うのなら、当然その上の方にも同じ疑いを持っているということでしょう?」


 不敬だぞ、と目で語れば、さすがの彼らも理解したらしい。「いや」とか「そんなつもりじゃ」などと言い訳しようとしているが、文章にはなっていない。


「ところで……あなたたちは、昨日の成績表にお名前があったのかしら?」

「っ、い、いえ……」

「あら。なら余計にズルだなんだとは言わない方がいいわね。だって、上位者に名を連ねるほどの実力もなければ、忖度してもらえるほどのお金も身分もないって言っているようなものでしょう?」


 くすっと笑えば、いじめっ子たちはあっという間に顔を真っ赤にした。これが一番効いたらしい。取り繕う余裕もなくなったのか、大きな舌打ちをして教科書をアルヴィンに投げつけると、わたしが立ちはだかる扉を諦め、教室後方の別の扉から逃げるように出ていった。


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