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EP8:、

 

 【⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎…⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎】


 ………


 【⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎…⬛︎⬛︎】


 ……んあ…?

 何処だここ?


 気がつくと真っ暗な空間に1人、俺は全裸で立っていた。


 ………体は動かないが視線は動く。


 【⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎……⬛︎ォ】


 なんだ?

 白いボヤが遠くに…いや目の前か?

 遠近感が掴めないな。

 頭に霧がかかったみたいだ。

 

 【⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎…カルカ】


 さっきから聞こえる()みたいのはなんなのだろう。

 幻聴?

 そうかこれがイアグラ草の副作用か。

 

 【オレガダレカワカルカ】


 俺に対して言っているのだろうか、だとしても意味のわからない質問だ。


 はぁ?…わからねぇよ。

 誰だよお前?


 【オレハ⬛︎⬛︎ダ】


 ハッ、何言ってんだよ。

 冗談か?


 【オレハオマエダ】


 だから何なんだよ。

 どういう意味だよ。

 

 【俺ハお前ダ】


 しつけぇなぁ。

 幻聴ってこんな感じなのか?

 まぁ、幻聴らしいっちゃらしいな。


 ん……そういえば目の前にあった白いボヤが消えたな。


 目を離していないのにいつ消えたか分からなかった。


 【俺はお前だ】


 幻聴は繰り返し言ってきた。

 それにだんだん幻聴の声が透き通って来た。


 【俺はお前だ】


 さらに声がだんだん大きく近くなっている。

 

 【俺はお前だ】


 今までで1番大きく、透き通った声がした。


 そして目の前に俺がいた。

 紛れもなく俺だった。


 突然の事態に混乱した。

 

 幻覚…だよな。

 流石に現実な訳ないよな。

 にしてもなんで俺が出てくるんだ?

 

 【俺がお前だからだよ】


 うおっ…!?

 喋った…。


 返答が来るとは想像していなかったから驚いてしまった。

 …ってかこいつ俺の思考を読んだのか?

 まぁ自分の中の幻覚とか幻聴ならそうゆうもんか。


 【俺は⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎だよ】


 ……は?

 今、目の前にいる俺は何て言った?

 

 いや俺が……だとしたらあり得るのか……って事はこの俺は……。


 【せいぜい苦しめステイ・セント】


 目の前の俺は白いボヤとなり消えていった。

 そして俺は真っ暗な空間に1人取り残された。


 ここで俺の記憶は途絶えていた。

 


――



 「うっ……!」


 目が覚めた。


 「俺は……」


 はたして()()はただの幻覚だったのだろうか。

 だとしたら相当なものだ。

 

 「クソっ!……わっけわかんねぇ………」


 (ガタッ)


 すると左から物音がした。

 音がする方を見るとそこにはクレンがいた。

 クレンは前よりも痩せている様に見えた。

 それに顔色も悪い。

 風邪にでもなったのだろうか。


 「………」


 だが爺さんならまだしも、なんでクレンが俺の部屋にいるんだ?

 もしかして寝ている俺の首でも狩りに来たのだろうか。

 全然あり得る…。


 だがクレンからはその様な殺意や悪意は感じなかった。

 それに最初は部屋が暗くてよく分からなかったが、クレンの目元が紅くなっていた。


 「…………あの日……なんで俺を宿から追い出した?」


 クレンに会ったら最初に聞く事は決まっていた。

 返答しだいでは冗談ではなく本気で手が出てしまうかもしれない。

 爺さんがいない今なら可能な事だ。


 「…………ご……悪かったわ」


 「………」


 クレンはそれだけ言うと部屋から出て行った。

 そして入れ替わる様に爺さんが部屋に入って来た。

 爺さんの両手には水が入った桶があった。


 「おや、セント様。早いお目覚めですな」


 「……クァイさん…俺は何日くらい寝てたんですか?」


 「2日程ですな。アクリア様はまだ副作用で寝ておりますが今のところ問題ありません」


 「そうですか……」


 結局爺さんとクレンは俺を捨てなかった。

 

 なんというか…まぁ、一安心だ。


 「………クァイさん、まだ俺を捨てた理由を言えませんか?」


 だが、逆に何故今回は俺を捨てなかったのだろう。

 キリコさんがいるからとかだろうか。


 「…正直に言いましょう。

 ……貴方を捨てたのはクレン様に命令されたからです」


 「…………まぁ、なんとなくそうだとは思ってました」


 「……先日言えなかった理由のは私自身、口止めはされていませんでしたが、もしあの状態の貴方がこの事実を知ったらクレン様に危害が及ぶかもしれないと思ったからです。

 ……実はですね、私の仕事は貴方の護衛ではなくクレン様だけ護衛する事です。

 なので私が貴方をどうしようが問題は無かったのです。

 …ですが貴方を裏切った事はそれもまた事実。

 誠に申し訳ありませんでした」

 

 正直『ふざけんな』と思った。

 まだ俺の怒りは消えてなどいない。

 謝っただけで許す訳がない。 


 売られた時の恐怖が、折に入れられた時の絶望が、長い時間狭い空間にいた時の孤独感が、奴隷商人に殴られた痛みが……俺をそうさせる。


 だが…。

 

 「…………そうですか」


 ……まぁ…そうだな。

 ここはとりあえず許してしまおう。

  

 「クァイさん……クァイさんも俺にステゴロの戦い方教えてくれますか?」


 前を向こう。

 

 そして、強くなって正々堂々、正面から2人を殴ろう。

 


――



 俺は目覚めた事を知らせる為キリコさんと話したかった。

 修練場にキリコさんはいると爺さんは言っていたので俺は修練場に来ていた。


 ……だが修練場には誰もいなかった。


 「キリコさーん、いますかー?」


 呼びかけに反応は無し。

 俺は修練場を歩き周り、キリコさんを探し始めた。


 俺はどっかの部屋にでもいるのだろうと思い、ちょうど真正面にあった扉を開けた。

 開けるとそこには地下へと続く階段があった。

 地下は真っ暗で何も見えない。

 この階段は何処まで続いているのだろうか。

 

 「………行ってみるか」


 こういう所はだいたい何かあるのがセオリーだ。

 俺は少しの好奇心と共に階段を降りて行く事にした。


 それから階段を降り続けてだいぶ経ったがまだ階段は終わらなかった。

 俺は見えない壁を頼りに体を支えていたので転ぶ事は無かったが、せめて灯りになる物を持ってくれば良かったと後悔した。

 だが暗い空間に目が慣れてきたので近くの地形なら少し分かる。

 ……階段はまだ終わらない。


 そして降り続けて行くと下に微かだが明かりが見えた。

 

 「やっと…か……」


 ずっと暗い空間にいた為明かりを見たら凄く安心した。

 俺は足早になり階段を降りきった。

 降りた先には弱々しい光を放つ石が1つと扉があった。

 

 「ステイ、何の用ですか?」


 「……いっ!」


 びっくりしたー。


 扉の向こうからキリコさんの声がしたのだ。

 …どうやら俺の判断は正しかった様だ。


 「キリコさん、イアグラ草の副作用から起きたので報告しに来ました」


 俺が扉の近くまで寄ると嫌な匂いがした。

 その匂いは何処かで嗅いだ事があった。

 確か、半年くらい前に…。


 「そうですか、クァイは良くやってくれましたか?」


 「はい…」


 「それは良かった…」


 (バキッ!ベチャッ!)と、キリコさんのセリフと重なり何かが壊れ落ちる様な音がした。


 「あ、あのキリコさん……大丈夫ですか?」


 「えぇ……」


 『何があったんですか?』と聞こうとした瞬間、俺は思い出した。


 「…………あ」


 そうだ、この匂いは俺がアイルと出会った日、帰って来て家の玄関で嗅いだ匂いだった。


 ……濃い血の匂い。

 

 「キ、キリコさん………何してるんですか?」


 我ながら匂いの正体が分かっているのに良く聞けたものだ。


 「…………ステイ、中に入って来て下さい」


 「…………えっ!……………は…はい」


 今考えると、何故俺はこの時素直に入ってしまったのだろうか。


 (ガチャー)


 扉を開けると、その先にはキリコさんが立っていた。


 そしてその横には足がロープで吊るされ、へそから上が無い女のが……あった。

 その下には血を受け止める為の桶、その中には頭部と骨が入っていた。

 背骨と肋骨だろうか。

 

 「ッー…………キっ……キキキ…キリコっ………キリコさんっ!?」


 『どういう状況なんですか?』なんて到底聞けなかった。

 俺は湧き上がる吐き気と恐怖で腰を抜かし、倒れてしまった。

 

 ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい…逃げないと。


 「落ち着いて下さいステイ。貴方は殺しませんよ」


 「………ほっ本当…ですか……?」


 「えぇ、大事な弟子ですから」


 そう言うキリコさんのその目は闇の様に真っ黒だった。

 信用するにも信用出来ない。


 「……なっ………なんで…………殺したん……ですか……?」

 

 「食べる為です」


 「…はぁ???」


 そう言うキリコさんの口元を良く見ると、口紅の様に赤くなっていた。

 

 「なっ……なななんで人を食べるんですかっ!?」


 至極真っ当な質問だ。


 「……私はヴァンパイアですから」


 「ヴァ…ヴァンパイア…?」


 ヴァンパイアとは俺の知ってるヴァンパイアの事だろうか。

 人の血を吸い、十字架とにんにくに弱く、不死身の悪のカリスマと言われるあのヴァンパイアの事だろうか。


 「えぇ、私達ヴァンパイアは人間を食べる事でしか生きていけませんから」


 「……普通の食べ物じゃ……ダメなんですか?」


 「……はい、栄養にならないので」


 人間は味わう為に食事をする事が本来の目的ではない。

 本来、食事とは死なない為に行う行為だ。

 その為に人間は野菜を育て家畜を殺す。

 だからキリコさんのやっている事は生物として何も間違っていない。

 

 だが俺と同じ人間が食べられているというだけでここまで気持ちの悪い事だとは思いもよらなかった。

 

 ヴァンパイア……人間じゃない、化け物。


 「…そ、そうなんですか」


 俺はつい納得してしまうところだった。

 

 「あぁ、言っときますがこの女性は罪人ですので問題無いですよ」


 大アリだろ。

 

 「私は罪人しか食べないので、そこら辺の常識はきちんとしてますよ」


 そんな常識は知らん。

 どんな世界だよ。


 異世界。

 

 そうだったな…。

  

 「キ、キリコさん……なんで俺に自分がヴァンパイアだっていう事を明かしたんですか?」


 そうだ、キリコさんは別に自分がヴァンパイアだと俺に正体を明かす必要なんてないじゃないか、それにキリコさんなら隠そうと思えば隠し通せたはずだ。

 なのになんで俺に自分がヴァンパイアだということを俺に隠さなかったのだろう。


 「……まぁ、元々隠すつもりなんて無いんですよ。それにもし貴方が偶然私の食事シーンなんかを見て正体を知ってしまったら誤解が生まれそうですしね。

 こうやって早めに知ってもらっていた方が楽ですから。

 それにステイには………いや、これはまた別の機会に言いましょう」


 なんだ?

 何を言いかけんだ?

 気になるな。


 「そ、そうですか」


 「えぇ、では修練場に戻りましょうか」


 「………は、はい」


 結局、俺はまんまとここに来させられたわけだ。

 嫌な思いをしただけじゃないか。


 それより、キリコさんはヴァンパイアだった。

 この世界にもヴァンパイアがいた事に驚きだ。

 首都じゃそんな存在聞いた事なかったからな。

 

 キリコさんが死体を食っていた事に最初はびっくりしたものだが、今はもう何故か落ち着いているし大丈夫そうだ。

 自分でも自分の落ち着きっぷりに驚いている。

 死体に慣れてきたのだろうか……嫌だな。


 にしてもヴァンパイアか……ちょっと面白そうだな。


 「キリコさん、ヴァンパイアって普通の人間とは何か違うんですか?」


 暗く長い階段を無言で上がっていくのは苦痛だ。

 ちょうど良い、気になる事は聞いてしまおう。


 「違い…そうですね……まぁ、なんといっても肉体のスペックですかね。ヴァンパイアは視覚、聴覚、嗅覚…つまりは五感が格段に良いです。獣人の比じゃないですよ。

 さらには肉体の再生、肉体の強化、不老不死とかですね。まぁ他にも色々あるんですが大体は肉体系ですね。

 もちろん良い事だらけじゃないですよ。

 日光に触れたら燃えてしまいますし、鏡に写らないので自分の姿が見れなくなりますし、相手を見ただけで魅了してしまう事だってあります」


 こう聞くとヴァンパイアは凄いんじゃないか。

 特に不老不死なんてチートだろ。


 「へぇー……でも最後のは良い事なんじゃないですか?」


 魅了…女には困らなそうな能力だな。

 羨ましい。


 「いやいや、もしそれが醜女に発動してしまったらどうするんですか」

 

 「確かに、それは嫌ですねー…」


 冗談…なのか?

 いや、意外とガチで言ってそうだな。

 

 「ですが…やはり日光に当たれないというのが1番キツイですね、なにしろ1日の半分が奪われますから」


 確かに日光に当たれないのはキツイな、能力がある分代償も大きいって事か。

 そりゃあ世の中そう美味しい話だけなんて無いよな。


 「……だから修練場に窓が無いんですね」


 「えぇ、そういう事です」


 ん?待てよヴァンパイアってなんかこう…もっと大事な設定なかったか…。


 「あっ!そうだ」


 「どうかしましたか?」


 「……キリコさん、キリコさんは最初からヴァンパイアなんですか?」


 そうだ、ヴァンパイアには元来、仲間もとい眷属を増やす能力があるものだ。

 この世界のヴァンパイヤも同じ様な能力を持っていても何もおかしくない。

 つまり俺が言いたい事はこういう事だ。

 『キリコさんは元からヴァンパイアだったのか、それとも他のヴァンパイアの眷属なのか』と。

 

 「………なんだ、知っていたのですか」


 この返答をするという事は本当にヴァンパイヤには眷属というものがあるのか。

 お願いすれば俺もヴァンパイアになれる可能性だってあるな。

 まぁ、なる気無いけど。


 「まぁ、えぇ。風の噂程度で聞いた話なんですけど」


 「……私は生まれた時からヴァンパイアでしたよ。両親がヴァンパイアだったのでヴァンパイアの中では純ヴァンパイヤとなりますね。それと、眷属というのは純ヴァンパイアしか作る事が出来ません。もし眷属が眷属を作れたとしたら今頃世界はヴァンパイアしかいませんからね」


 「キリコさんは眷属とかいるんですか?」


 「えぇ、1人だけですが。……最後に会ったのは300年くらい前ですかね」


 「その人もキリコさんの弟子ですか?」


 「えぇ、そうです。3人の弟子の内の1人ですよ。……おっと今は5人でしたね」


 弟子とはリリスさんと爺さんとその眷属、それと俺とクレンの事だ。

 今までキリコさんや爺さんから聞いた話をまとめると弟子になった順はこんな感じか。

 眷属の人→爺さん→リリスさん→クレン→俺

 改めて考えると本当に少ないな。


 キリコさんはこんな山奥にいて寂しくないのだろうか。

 俺だったら耐えられそうにない。


 「……そういえばステイ、[アイル・ストゥー]と言う人を知っていますか?」


 「えっ!?」


 俺は驚いた。

 突然キリコさんの口からアイルの名前が出てきたからだ。

 

 「はっ、はい。俺のこ……友達です。アイルがどうかしたんですか?」


 一瞬『恋人』と行ってしまうところだった。

 まぁ、バレても良いんだけどなんか恥ずいから隠しとこ。

 

 「いえ、別に大した事ではありませんよ。数ヶ月前からここに手紙が届いていましてね。

 最初は配送違いかと思ってたんですが毎月来るもので……そうですかステイの友人だったんですか。なら安心です」


 「……」


 会いに来れない代わりに手紙でのやり取りか、前世はスマホでのやり取りが当たり前だったから思いつきもしなかったな。

 それにしても半年近くも返事を返せなくて申し訳ない。

 絶対心配かけてるよなー…。


 「アイル……会いたい」


 俺は小声でそう呟いた。


 「ステイ、今日から修行は始めても構いませんね」


 「はいっ、よろしくお願いします…」


 「いやー……私も久々の指導なので上手く教えられるか不安ですよ……ははは」


 「?……今はクレンにも教えてるんじゃないんですか?」


 「………いえ、あの子はここに来てから一度も修練場に顔を出してませんよ。ずっと部屋に引きこもってます」


 「えっ!?……なんで?」


 「さぁ?…クァイに聞いても『わかりません』の一点張りなんだ」


 「……そ、そうなんですか」


 なんでだ?

 クレンは衛兵になる為にわざわざここに来たんじゃないのか。

 なのに何故半年もの間何もしないのだろう。

 

 「キリコさんは何か言わないんですか?」


 「えぇ、無理に付き合ってもらう必要はありませんから。………それにあの子はもうダメです」


 「『ダメ』?……何がですか」


 「私が初めてあの子に会った時から、あの子の目には光がありませんでした。

 だいぶ辛い事があったのでしょう。

 ですが私に出来る事は何もありません。

 今、彼女は何の為に食事をし、呼吸をし、思考しているのでしょうか。

 正直、今生きている事が不思議なくらいです。

 クァイもそれが分かってるから帰らないのでしょう」


 「………そうなんですか…」


 俺はこの話を冗談だとは思う事はなかった。

 何故なら心当たりがあったからだ。

 今朝見たクレンの痩せた体と俺が捨てられた日に聞いた彼女の悲痛を知っているからだ。


 『助けよう』とも一瞬だが思った。

 だが、それは俺が否定した。


 ッ……なんで俺を捨てた奴なんか助けてなくちゃいけないんだよ。

 ふざけんな。

 『前を向こう』なんて言ったけど別に許した訳じゃねぇから。

 俺なら分かれよ。


 「まぁ…クレンの事は気にかけてやって下さい」



 と、キリコさんは俺に言ったが、俺に出来る事なんてたかが知れてるだろう。

 まぁ、前みたいに話しかけてみるか。

 それが何になるか分からないが、何もしないよりは良いだろう。

 

 「はい……」


 上を見ると修練場の光が見えた。

 

 「あー……腹減ったなー」


 修練場に戻るとキリコさんは「ちょっと待っててください」と言って倉庫に何かをとりに行った。

 待つ事1分半、キリコさんは戻ってきた。

 そしてキリコさんは何かを渡してきた。


 「ステイ、修行ではこれを着て行います。洗濯は自分でやってくださいね」


 俺が手渡された物は服と帯だった。

 それは柔道着…いや、それよりも軽く袖が短い、空手着に近い服だった。

 にかにも格闘技っぽい。

 

 昔、高校で柔道の授業を受けた事があるので着方はだいたい分かる。

 そうして袖に腕を通すと強くなった気がする。


 「うん、似合ってるじゃありませんか」


 近くにあったデカい鏡で自分の姿を確認した。

 KARATEをやりに来た留学生みたいだなと思った。


 「じゃあ、早速基礎からやっていきましょう」


 「はい、よろしくお願いします」


 「……っと、その前に。ステイ、『ジケイ大戦』は知ってますか?」


 俺は聞いた事の無い単語に眉をひそめた。


 「その反応は知らないようですね。大事な事なので修行を始める前に説明しておきます」


 「えぇ…はい…」


 「『ジケイ大戦』とはですね、年に1回だけ行われるジケイ会館の催しみたいなものです。

 これに出場できるのは各分館1人までで来年から衛兵として城で働く事が決まっている者のみです。

 つまり…ステイが出るとしたら4年後ですね」


 「各分館から1人……」


 俺はこの言葉に引っかかった。

 そんな俺を横目にキリコさんは話を続けた。


 「『ジケイ大戦』を行う理由は主に3つあります。

 1つ、どの分館が1番強いのか知らしめる為。

 2つ、首都や周辺の町に住んでいる人間へのアピール。

 3つ、『ジケイ大戦』の優勝者は1年目から王専属の衛兵となれる。

 と、こんな感じです。

 もちろん出場しなくてもステイなら良い衛兵になれると思いますがどうでしょう……出てみたいとおもいませんか?」


 「どうでしょうって言われても……まぁ、この分館には俺しかいない訳だし…」


 厳密には2人だが数には入らないだろう。


 「………ちなみに、分かっていると思いますが大戦で戦う時は各分館専用の武器を使います」


 「ん?……って事は……俺は武器相手に素手で戦うんですか!?」


 「えぇ」


 「……えぇー…」


 そんなの、下手したら死ぬんじゃないか…。

 

 「まぁ、ステイには強制的に出て貰いますけどね」


 「えっ!!何で!?」


 さっきまで出なくても良いみたいなニュアンスで言ってたじゃん!


 「だってせっかく身につけたステゴロを実戦する場なんてそうそうありませんから」


 「……………クソっ」


 「……と、言う事で張り切っていきましょー」


 キリコさんはこの話題を自分からふっといてサラッと流した。

 

 「お、おぉー……」


 ぎごちない返事が修練場に響く。

 

 「…ではステイ、はじめに聞きたい事があります。勝負で1番大事な事は何だと思いますか?」


 「……勝つ事…?」


 当たり前の事すぎただろうか。

 

 「正解です」


 良かった、合ってた。


 「ステイは後4年半しか時間がありません。20年近くあればもっと良い勝ち方を教えられてあげれたかもしれませんが、ジケイ大戦は待ってくれません。

 ですのでステイが4年半という短い時間の中でいかに勝つ事が出来るようになるか。

 その方法を教えていきます」


 「………は、はい」


 なんか凄そうだ。


 「とっ!言ってもステイはまだ体が貧弱すぎです。このまま始めても余り良い修行が出来ません。ですから初めの半年は身体作りからですね。ではステイ、この山をとりあえず3往復……いや5往復ですかね。登って降りて来てください」


 「…うそん」


 いきなりハードすぎませんか。


 それから俺はこの富士山の倍近くはありそうなこの山を降り始めた。

 ルートは自由、兎に角ブロー町まで降りてステゴロ部までを5往復するのが目標だ。


 山はまだ霧が晴れていなく足場が不安定で、しょっちゅう転び落ちそうになった。

 何度、三途の川が見えただろうか。

 

 途中足が上がらなくなりこのまま動けなくなってしまうかと思ったがアイルの事を考えると自然に歩き始めていた。


 そうしてなんやかんやで1往復目が終わりステゴロ部に戻ると爺さんが水とご飯を用意していてくれた。

 食べた記憶が無い程に一気に腹に吸い込まれてしまった。

 俺はご飯を済ませると急激な眠気に襲われた。

 だが俺は何故かまた山を降り始めていた。


 それから日が何度落ちただろうか……いや違うな。

 俺が落ちたんだ。

 足を滑らせて崖の下に。

 頭が痛い。

 体中が痛い。

 助けは絶望的、まだ3往復もしていない。

 

 「……はぁ、はぁ…」


 呼吸をするたびに肺が痛い。

 肋骨が折れている。

 立ち上がる事すらままならない。

 

 「……アイル」


 そして…それからまた2度、日が落ちた。

 

 久々にステゴロ部に戻ると看板の近くにリリスさんがいた。

 

 「よーステイ、やってるなー!」


 リリスさんは俺を見つけるとすぐに駆け寄って来た。

 

 「……リリスさん、起きたんですね」

 

 「おう、だいぶ前にな!でも心配だったんだぞ、ステイが何日も帰って来て無いっていうからー」

 

 「す、すいません。怪我しちゃって」


 「大丈夫か?」


 「は、はい」


 本当は全然大丈夫ではない。

 だが余計な心配はかけたくない。

 でもまぁ、リリスさんは本当の事言ってもあんま気にしなさそうだな。


 「じゃあ後1往復残ってるんで…」


 「おう、終わったら付き合えよー」


 リリスさんは相変わらずだった。

 俺は軽く頭を下げ、五つ度山を降り始めた。


 「…はぁ、はぁ……風呂入りて」


 ……そこからの記憶は無いに等しかった。

 あるのは足元にある石と段差の画像だけだった。


 もう降っているのか登っているのかすら曖昧だったかもしれない。

 だがリリスさんと別れてからまた『ステゴロ部』の看板を見た時は達成感で涙は出なかったが、泣いていた。


 「………終わったー……」


 俺は看板の近くで仰向けになり寝転んだ。

 

 「……空ッ」


 ずっと下を向いて歩いていなければいけなかったから空なんて見てる余裕がなかった。

 久しぶりに見た空はただただ星が綺麗だった。


 「お疲れ様ですステイ」


 すると星を遮る様にキリコさんが視界に入ってきた。

 

 「キリコさん……」


 「とりあえずご飯にしましょうか」


 キリコさんは寝転がった俺に右手を差し出した。


 「は、はい……」


 俺はキリコさんの右手を受け取り立ち上がった。


 「……ご飯の前にお風呂ですね」


 「俺……臭います?」


 「えぇ」


 「ハッ」


 こうして俺の修行は始まった。



――



 キリコさんが言うには風呂場は3階に上がる階段の手前の部屋だったよな……。

 俺は爺さんからもらったタオルをかつぎ階段を上がっていた。

 

 「ここだ…」


 (ガラッ)と俺は勢いよく風呂場の扉を開けた。

 

 で……そこにはちょうど風呂上がりのクレンがいた。

 

 「キャァアアァ!!」


 クレンの悲鳴が鼓膜を突き刺した。


 裸を見られたのがよほど嫌だったのか!


 だが俺は少し安心した。

 何故ならあのクレンがいかにも普通の女の子らしい反応をしたからだ。

 

 「ご、ごめっ…」


 (ピシャ!)


 急いで扉を閉めたが気まずい事になってしまった。

 これでまた、クレンとの溝が深くなった気がする。

 完全にやらかした。


 「はぁー……」

 

 自然とため息が出ていた。

 

 「セント様、どうかしましたか?」


 クレンの悲鳴を聞いて来たのだろう。

 階段の下から爺さんが話しかけて来た。


 「クァイさん……すいません、俺が無神経だったばっかりにちょっと壁にぶつかっちゃって、その音でクレンがびっくりしたりみたいです」


 「………そうですか…気をつけてくださいね」


 「はい……」


 何故俺は嘘をついたのだろう。

 だが、その時の俺はその方が良いと思ったんだ。


 「出たわ……」


 階段で座り込んでいる俺の後ろからクレンの声がした。

 

 「はーい…」


 俺は振り返る事はなく返事をした。

 顔を見れなかった。

 

 そしてクレンの足音が遠くなって行くのを確認し、俺は風呂に入った。

 

 久しぶりの風呂は最高に気持ち良かった。


 「……ぷはっ…あ゛ー……ぎもぢいー……」


 お湯で血管が広がり一気に体中に熱が行き渡る。

 縮こまった玉袋がゆるくなっていくのが分かる。

 『風呂は命の洗濯よ』とはよく言ったものだ。


 30分は浸かっていたと思う。

 だが物足りない気分だ。

 

 体を洗おうと思い石鹸を手に取った。

 

 「この匂い……薬液の『リエン』か…これで作った石鹸は崩れやすいんだよなー」


 (ゴシゴシゴシュゴシュ)


 体を洗い風呂を出て、俺はキリコさんとリリスさん達と一緒にご飯を食べた。

 キリコさんは「明日は体を休めて明後日からの修行に向けて寝てください」というのでご飯を食べた後、俺はすぐさま自室のベットに寝転がった。


 この富士山より大きい山を5往復、そしてお風呂に入りご飯も食べた。

 眠気はMAXだった。

 だが寝れない。


 理由は自分の中で明確だった。


 あの時に見た、クレンの裸が脳裏から離れなかった。


 もちろん性的な意味ではない。

 そんなくだらない理由だったらどれだけ良い事か。


 あの時、クレンの体……と言うよりも首、両手首と両足首、それに胸、クレンの肌は真っ白だったから一瞬で分かった。

 分かってしまった。


 赤く細く変色した皮膚、それはただ単に爪で掻いてできたものではなく何かで斬った様な後だった。

 しかも手首に至っては血が出ていた。


 誰かにやられたのか、それとも自分でやった物なのかは分からないがその傷らしきものが体中にびっしりと…。


 「……………クソっ」


 この事実を知ってしまった以上、俺はどうすればいい…。


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