お隣様にご挨拶
高校の入学を二週間後に控えた15歳、磐田瑠偉は引っ越しを明日に控えていた。
高校といっても通信制なのだが。
通信制高校というと家のパソコンで授業を受けるものだと思われがちなのだが、高校によっては週五通学、制服まであるところもある。瑠偉が通うのもそんなところだ。
学校が契約していて比較的安い家賃で借りれる綺麗なマンションがあり、即契約した。
その引越しが今日なのである。荷物はもう運び込まれているはずなのでほぼ手ぶらでマンションを目指す。
マンションは名古屋の中心部から少し離れた…とはいえ交通の便がいい本山駅周辺である。
名古屋一の繁華街である栄や名古屋駅まで名古屋市営地下鉄東山線で一本だし、高校のある千種駅までも五駅だ。この立地には文句のつけようがない。
しかし不思議なものである。近くにスギの木は見当たらないのに三月の爽やかな風にはものすごい量の花粉が含まれていて、本山駅を出て歩き始めた時から鼻水が止まらない。マスクもしっかりしているのに・・・・・・花粉とは恐ろしいものである。
そうして花粉と格闘すること十数分、三階建てのマンションに到着した。
『101』の札のついた部屋の鍵を開け…ん?空いてるんだが…。
身長が182センチ、そこそこ体格もいい方なのだが、武器を持っているかもしれない相手に丸腰で……と思ったものの、普段あまり外に出ないのに無理やり長距離移動をした故の疲れがどっと押し寄せてきた瑠偉は疲れた顔のまま部屋の中に…部屋の中には何故か瑠偉のよく知っている人物がいた。
「なにをしてんだ妹」
「あ、兄の部屋に不審者がいないかチェックを」
「絶賛不審者と対面中なんだが」
もっともらしい不法侵入の言い訳を何故か自慢げに語っているのは瑠偉の妹、瑠美であった。
「失礼な、名古屋には危険がいっぱいだよぉ」
「そうだな、瑠美がその危険の一つか」
「そうそう…って!なに妹にノリツッコミさせてるの!」
うん。理不尽である。
「なんで寮抜け出してんだ」
瑠美は全国的に有名なバレーボール部に所属しており、普段は寮にいるはずなのだが…。
「うーん、にぃにが大好きだから…?」
キラキラ上目遣い攻撃、瑠偉は大きなダメージを受けた。
「抱きしめていいか…?」
「うぇぇ…」
やはり理不尽である。そ、そりゃあ可愛い妹のにぃに呼びは刺さるものなのだ。全国のお兄ちゃんよ、わかってくれ。
「荷物は全部出しといたよん、PCは書斎に置いといた」
「ありがとなわざわざ」
「んっ」
何故か右手を差し出す瑠美。
「握手か?」
「お駄賃は?」
「金欠なんだ…このかりんとう饅頭で我慢してくれ」
「センスがおっさん過ぎない?」
かりんとう饅頭のポテンシャルはおっさんの範疇を超えてるはずでは…?
それからしばらくして瑠美は寮に戻った。このような些細な気遣いができるところが瑠美のいいところの一つである。
2DKと、一人暮らしには贅沢すぎるような新しい我が家に感動しつつ、早めに布団に入って寝ることにした。
その翌日午前九時、一応マンションのお隣さんに挨拶をしておく。一階フロアのニ部を学校が契約しているらしいので、お隣の『102号室』の表札の部屋には同じ学校の人が住んでることになる。
インターホンを鳴らすと
『はい』
という急な訪問者を警戒するような硬い、若い女性の声がした。
「今日から隣に住む磐田です」
『あー!ちょっと待ってね!』
声から緊張感が一気に薄れた。同じ学校の学生だから安心したのだろうか。
はーい、と快活な声を聞かせてくれた刹那…偉は心の中で大きなガッツポーズをした。顔には一切出さないように。
何故なら自分のお隣さんが推しだったからである。
動画系SNSで活動する高校生コスプレイヤー「あいにゃ」フォロワーは三万人。
一切顔を出さない彼女は瑠偉の最推しコスプレイヤーである。
彼女は顔を出していない。だがそれ故に彼女のスレンダーな体型や完成度の高い衣装が目立つ、瑠偉が知る中で1番のコスプレイヤーだ。
顔出ししてないのに何故わかったかって?生配信はほぼ欠かさず見に行ってるからな、むしろわからない方が異常である。決してキモオタではない。よし。
「ご丁寧に挨拶ありがとうね、有栖高等学院二年の角川葵凪です、よろしくね」
「よ、よろしくお願いします」
ペコリと礼をして葵凪の部屋を後にする。うん。可愛い。顔出ししても、いや。顔出ししたらフォロワーが爆増しそうな顔面偏差値を誇っていた。
お隣に推し様が住んでた嬉しさに浸りたいのは山々なのだが、瑠偉にはやらねばならないことがある。MV制作である。
二年前からボカロP兼歌い手として活動している。フォロワーは二万五千人。
自分が歌うよりもボカロに歌わせた方が伸びるのが意外と心に刺さるのだが…。
瑠偉は動画編集ソフトとにらめっこしながら午前中…いや、夕方までキーボードを叩いた。
お隣が推し様だろうと自分の活動に支障をきたすわけにはいかない。
推し様のせいにしたくないから。
【Aina side】
ふぁぁぁぁぁ!
推し様だぁぁぁぁ!
いまさっき尋ねてきたお隣に住む磐田瑠偉くんもとい歌い手兼ボカロPとして活動する「iruwata」様である。
何故か再生回数が伸びていない彼自身のセルフカバー楽曲を何回聞いたか分からないほど聞いている。透き通るような歌声と感情を声に乗せることに長けている歌い手であり、少しダークなメロディに何通りも考察が捗るような深い歌詞。人間の心情を的確に、事細かに綴る彼は葵凪最推しである。
「ふぇぇぇ…イケボすぎる…」
そう。素の声は聞いたこと無かったのだが、やはりと言うべきか、葵凪好みのイケボだった。
高い身長にスラッとした体型、爽やかな水色のジーンズに白パーカー。長い前髪から覗くその目は透き通るような茶色だった。顔立ちも整っている。
(白馬の王子様が…!)
完全に舞い上がっていた。彼の目に私はどう映っていたのだろうか。落ち着いた先輩風に振る舞えただろうか。
「うぅぅぅぅぅ…」
リビングで一人、クッションに顔を埋めて転げ回っていた。
(あぁ、今日の午後七時から配信だし、そろそろ動画のストックも切れる頃だっけ、準備しなきゃ)
「あいにゃ」という名前でコスプレ活動をする私は撮影部屋の小物を揃え、着替えを始めた。
いくらお隣が推し様だろうと自分の活動に支障をきたすわけにはいかない。推し様のせいにしたくないから。
【Rui side】
夕方に作業を切り上げ、コンビニへ一日で唯一食べる食事であるパスタサラダを買いに行く。
なぜなら午後七時からあいにゃ様の配信があるからである。
推し活と両立するのがプロである…などと一人情熱○陸をしながらコンビニへ向かう。
三月の夕方は気まぐれだ。昨日はそこそこ暖かかったのに、今日は上着なしでは耐えられないほどに冷え込んでいた。冷たい風に乗って花粉までもがダイレクトに瑠偉にダメージを与える。ズルズルと鼻をすすりながらコンビニへ入店…ん?
「あら、磐田くんじゃない」
「つ、角川さん、偶然ですね」
ふふふっ、と葵凪が笑う。葵凪のカゴに入っていたパスタサラダは丁度今から瑠偉が買おうとしていたものである。あれ?なんかストーカーっぽくないか?と、推しに通報されるのを防ぐべくパスタサラダの購入は断念し、代わりにパリパリの麺が入ったサラダにした。サラダは健康的かつ美味しいとかいう神の食べ物なのだ。
飲み物とサラダをカゴに入れレジに並んだ。飲み物はブラックコーヒーの紙パック、1リットルタイプだ。味も美味しいしお財布にも優しい。
店内は大学生らしき人で溢れていた。恐らく近くにある大学の授業終わりなのだろう。うるさい。
「レジ混んでるみたいだからこれちょっと借りるね」
「えっ?」
手元のカゴをレジに通してもらった。よしお金を返そう。と思ったものの現金を持ち合わせていない。電子決済に頼りきった若者の権化である。
だがそんな心配も無用だったようで、葵凪の支払いも同じ電子決済サービスによるものだった。これなら送金機能を使える。ありがたい。
「あ、お金返すので、バーコードいいですか?」
ちょっと待ってね、と言いながらスマホを操作する。両手で大事そうにスマホを操作する姿はさながら小動物だった。瑠偉の目測で165センチ位はあるのだが、一つ一つの動きが可愛らしい。
「はい、これ読み取ってー」
と、葵凪のスマホの画面にはチャットタイプのコミュニケーションアプリの連絡先交換画面が表示されていた。決済アプリを介してではなく、チャットで送金してこいという意思表示だろうか。だが、推しの連絡先だ。いくら払っても手に入れられるものでは無い。連絡先交換しなくても送金はできると言うべきか、大人しく連絡先交換しておくべきか。後者を選ぶのなら大金を払うべきだと思う。いや、推しとそこまで深く関わるのはオタクとしてどうなのか?というところがあるので一旦はやめておく。この思考にたどり着くまで0.01秒。
「あ、連絡先交換しなくても送金は出来ますよ」
「知ってるよ、お金はいいから連絡先だけ交換して欲しいな、それで返済完了ってことでいいから」
うん!ということなら仕方ない!推しが望んだんだ。
内心大きな大きなガッツポーズをしながら連絡先交換をした。
「ありがとね、じゃあ帰ろっか」
「そうですね」
冷静さを保てているだろうか、めちゃめちゃニヤニヤしてないだろうか、そんなことに思考を回しながら帰路に着いた。
【Aina side】
ふぉぉぉぉぉぉぉ!推しの連絡先キタァ!
不審者っぽくはなかっただろうか?まぁ、良い先輩風は吹かせただろう。きっとそうだ。
ちなみに今日買ったパスタサラダは彼のSNSにて紹介されていたものだ。彼はサラダをよく食べると言われていたが、ちゃんと今日も買っていた。解釈一致である。
「荷物もってもらっちゃって、申し訳ないね」
「いえいえ、払ってもらったので、これくらいさせてください」
なんと好青年なのだろうか。やばい、解釈一致が過ぎる。天は二物を与えずというのは嘘だったのか?歌が歌えて曲書けて、ついでに顔も整っている好青年だと。神様、配分間違えてはいないだろうか。
「磐田くんは趣味とかあるの?」
ここは先輩が会話を回すべきだろうと思って話を振る。というのが建前で本当は葵凪が瑠偉について知りたいだけである。
「うーん…音楽はよく聞きますね」
知ってます!カワイイ系のボカロをよく聞いてらっしゃるのです!書く曲に反して聞く曲はめちゃめちゃカワイイ系なのだ。いつか歌ってみたの企画してくれないかなぁ…。
「どんな音楽聞いたりするの?」
「色んなジャンル聞きますよ」
「ボカロとか聞くの?私好きなんだよね」
「ボカロとか聞くの?私好きなんだよね」
知っておりますとも!カッコイイ系のボカロがお好きなのですよね!プレイリストを拝見致しました!もちろん、一般公開されているものだが。その100曲近い中に瑠偉の曲も入っていた。まぁ、ボカロ全体が好きなのであろう。
そこから家に着くまでの三分間、軽くボカロについて語りながら歩いた。
こんな日常が続けばいいな、と思いながら帰った。
初めまして!九条輝です!
よろしくお願いします!