敗北宣言
「ギャー。」
叫び声とともに怒号をリズは飛ばす。喜んでくれると思っていたであろう青年は今にも泣きそうな顔になる。どうやら木々が必要ということはこれからご飯である。ということはご飯を取りに行けば食事が早くできる。主が喜ぶ。こう思ったらしかった。
(しかしネズミとは。まるでネコだね。)
ここまでマリウスになりきるとは思っていなかった。
(こいつは負けたよ。)
そう敗北宣言を心ですると、リズは青年を励ます。
「はじめてにしては、じょうできだよ。」
リズの手が届く場所、青年の足をよしよしと撫でる。すると青年は耳をかすかに動かし、頭を垂れる。
(頭を撫でてほしいってことかい?)
頭も足と同じように撫でてあげる。まるで本物のマリウスのように髪の毛はやわらかくなめらかだ。
(こんなもんかね。)
十分に頭を撫でてあげた後。手を頭から離す。しかし。すりすりと頭をリズの腕に摺り寄せるのだ。
「まだしてほしいのかい?」
尋ねるとマリウスはうんと言う。
(まったく。とんでもない甘えん坊だね。)
敗北宣言をした手前、リズは青年に甘くなる。よしよしと存分に撫であげてあげた。
「さて。ごはん。」
もうこれ以上ないほど撫で上げた後、気を取り直し、リズは青年のおしりをたたきご飯だよという。
「ごはん。ミルク。」
マリウスは待っていましたとばかりに言う。しかしリズはギクッとなる。さっき飲み切ってしまった。そうだ。ネコのマリウスの朝はいつも牛乳だったのだ。仕方ない後で買いに行かなければ。今はとりあえず。
「にんげんは、みずだよ。」
そう言って、青年を台所の水道まで連れていく。
「もちあげてくれるかい。」
手を開き、上に抱きあげてくれるようにマリウスに言う。マリウスはしばらくわからないというような顔をしたが、リズがだっことなんとかいうとわかってくれた。
「これが、すいどうのあけかただよ。」
そういってきゅっきゅと右に栓を回して水を出して教えてあげる。どこまでもネコになろうとする男だ。1からいろいろ教えなくては。
「わかった。」
マリウスは不思議そうに水が出るのを見ると納得したようだった。それじゃあと水をコップの半分まで入れるように頼んでみる。
「つぎはがんばるんだよ。」
コップを差し出しエールを送る。
「頑張る。」
嬉しそうにそう言うと、マリウスは蛇口を捻る。思いっきり。ばっばば。ものすごい水圧がマリウスの手を襲う。
「ぎゃっ。」
青年は嫌そうな声でその手を離す。コップとともに……。
「え。」
リズはパンとジャムを取り出していたところだった。驚いて振り向いたときには遅かった。宙を舞うコップと水しぶき。そして怯えている青年の顔。スローモーションで見えたときリズは朝ご飯をあきらめた。
(まったくしょうがない子だね。水が苦手とは知らなかったよ。)
後から話を聞いてみると、マリウスは水が苦手だという。そんなところもネコのマリウスに似ているんだねと思いながら、優しく青年のマリウスをあやして慰める。そしてマリウスが布団で泣いている間にリズは床に散らばったコップの破片を集めて捨てる。それが終わると今度はマリウスを布団から出す。
「みずはわたし。マリウス。あんたはパンだよ。」
そう言って今度はテーブルにパンを置くように教えてあげる。マリウスは泣きながらリズの言葉にこくんと頷く。
「がんばる。」
「えらい。」
リズはあきらめない彼を褒める。青年はゆっくりとお皿に乗ったパンを慎重に運ぶ。そろりそろり。
(今の私と歩く速度が同じだね。)
そんなマリウスの様子を見ながら彼が成功するのを見守る。
「カタっ。」
音を立ててお皿はテーブルに乗る。長い時間がかかったが、何とかマリウスはパンをテーブルに運ぶことに成功したのだ。
「主!」
嬉しそうにリズを呼ぶマリウスに近寄り足をいっぱい撫でてあげる。マリウスは青年のため、リズが足をうんと延ばしてもマリウスの頭には届かないのだ。だから妥協案の足なのだ。しかしさすがネコのマリウスになりきるだけはある。青年は再び頭を下げて、撫でることをご所望するのだった。
「もうひるだよ。」
そんなこんなでやっとのことで昼ご飯になったパンとジャムを見つめる。
「これ何?主。」
不思議そうに赤い色の瓶を見つめる。
「イチゴだよ。」
瓶を開けながら答える。パカッと音が鳴り、蓋があくとそのイチゴの芳醇なにおいが部屋に流れる。
「良いにおい。」
マリウスはクンクンとにおいをかぎながらにこにこという。
「そうだろ。」
リズも嬉しくなる。これは老女だった時にリズが種から育てたイチゴをジャムにしたものだったからだ。
「こうやるんだよ。」
リズはスプーンにたっぷりのイチゴジャムを取りパンにつけて延ばす。こうやっていっぱいにつけて頬張って食べるのよ。と教えてあげる。
「食べる。」
マリウスは楽しそうにリズがパンにジャムを塗るのを見ると早速イチゴジャムの瓶に手を伸ばした。
「だめだよ。」
リズはスプーンの扱い方にも注意を入れる。1つ1つ注意しなければこの子は本当に危なっかしいからだ。リズの指摘に素直にマリウスは頷くと、先ほどのようにそろりそろりとジャムをスプーンですくい運ぶ。そしてパンに到達する。マリウスはうんと言い、慎重に慎重にジャムをパンに塗っていく。やっと食べられるようになった。
「できたね。」
リズの言葉にうんうんと言い、口にパンを運ぶ。
がぶっという音がしそうなくらい口を大きく開けてマリウスはその1口目を口にした。
「うまい!」
本当においしそうに食べ、マリウスは1言目を発した。
「そうだろう。」
リズはその様子をいとおしげに見ながら、幼児となって初めての食事を青年のマリウスと取ったのだった。
一方。王宮の隅の一角では。
「そろそろ定期観察の時期じゃない?」
薬師のニコは同僚のアルに言う。
「ああ。そういえばそうだな。」
アルは、目を通していた論文から手を離し、ニコに答える。
薬師である魔女は王宮に仕える王宮魔女に属するものと、リズのように外で生計を立て暮らす王宮専属魔女に属するものと2種類いた。そして王宮の外に身を置く魔女の観察は、王宮の命令で王宮魔女がすることとなっている。つまり監視だ。何かよからぬことを企んでいないか。違法なものを売っていないか。反乱を考えていないか。魔女とは、民衆にとっては偉大な存在だ。その魔女に裏切られたとなれば王宮の立場は悪くなることもある。まあ、そのため危機管理の一つとして王はこのような仕組みを考えたのだった。
「やだなー。なんか嫌われ役なんだもの。」
王宮に仕えるものもこの観察で外にいる薬師の魔女からは嫌がられるため、この観察自体を楽しみにしている王宮魔女はいないのであった。
「でも毎年人気の所があるんだよな。」
「ああ。リズさんの所だろ。」
「そう。長生きのリズ。」
魔女と言っても彼女彼らは魔法を使えない普通の人間。そんな人間が70歳をむかえてまだぴんぴんと元気に過ごしているのはこの国にとって珍しいことであった。そのためそんな名がついたのだった。
そして人気の理由は、観察を嫌がらずむしろ丁寧に迎えてもてなしてくれるから。嫌がらず、いろいろな質問にも辛抱強く耐え答えてくれるということで王宮からも信頼されていた。
まあ、リズにとってみればネコのマリウスとの2人生活の中で、しゃべる相手がいない寂しさをその観察の時期は毎日のように人が尋ねてくれ埋めてくれるため、喋り相手として歓迎していただけなのだが。いいように皆解釈して、リズを慕ってくれるのだからどちらもWIN―WINなのだろう。