5.補足と後日譚
それから3日後。僕の部屋に南山田先輩が来ていた。
南山田先輩からの情報によると、あの事件が解決した翌日、110号室と112号室、他数室に窓修理の業者が入り、その際に参野氏に管理人から以下のような説明があったそうだ。
『いや、うるさくなっちゃうけどごめんね。すぐに終わるとおもうから。え?ああ、そうだよ。3年前に110号室の網戸の金具が緩んでることを教えてくれた子がいたんだけどね、1か所だけ修理するのは単価が高くなるから空き室にしといたんだよね。どうせ満室でもないし。で、先日退去間際に、112号室の網戸の金具が緩んでるらしいって教えてくれた子がいてね、この際だし、不具合のあるとこまとめて修理しようってことになったんだよ』
つまり、110号室が何年も空き室になっていた理由は寮生の自殺でもなんでもなく、網戸の金具が緩んで脱走可能になっている部屋を空き室にしていただけだったのだ。
「意外なところから意外なことが明らかになったもんですね」
「参野君、『これで何の心配もなく寮で残りの日を過ごせる』と喜んでおったぞ」
「それは良かったです」
正直、事件は解決したけど『それはそれとして110号室での自殺って本当にあったのかな?』とちょっと気にはなっていたのだ。
「と、そこであの日の事件についてなんじゃが、2点ほど分からんことがあっての。聞いても良いじゃろうか?」
「?はい、どの点です?」
「まず1点目。ワシらが一度部屋に入ってからもう一度外に出て110号室の窓を確認したとき『あった!』と叫んでおったじゃろう?あのとき一体何を見つけたんじゃ?」
「ああ、そう言えば説明してませんでしたね」
あのときは、その後僕が
「参野さん、お願い、というか提案があるんですが。先程の芙蓉さんに連絡をとってお願いしてもらえませんか?『この110号室の真上の部屋に住んでいる人と話がしたいので仲介してもらえないか』って」
と言っただけで参野氏も南山田先輩もおおよその真相を察してくれて話が進んだので細かい説明をしていなかったのだ。
「あの脱出方法なら、210号室と110号室の窓の間に何かの証拠が残ってるんじゃないかと思ったんです。で改めてその辺りを観察すると、よく見ないと分からないレベルでしたが不自然な汚れが見つかりました。靴のつま先に近い部分で壁に踏ん張ったり、110号室窓のサッシの上辺に乗ったりした跡だと思いますが、これで自分の推測に確信が持てました」
「そうじゃったのか。さっぱり気付かんかったの」
「僕も1回目の現場確認では気付きませんでした。110号室窓の網戸や窓枠を掴んだ跡がないかとか、サッシの下部周辺に踏んだ跡はないかとか、そんなとこばかり確認してましたからね。そこから上なんて完全に意識の外で見てもいなかったです」
しかし、意識を向けて観察してみれば証拠はちゃんと残っていた。リョート氏も胡桃さんも別に痕跡を隠そうと思ってなかったのだから当然と言えば当然だが。
「ふむ、1点目は理解できた。そこで2点目なんじゃが、瀬川君は何で2階から降りてきたなんて脱出方法に気が付いたんじゃ?それまでの話の流れでは全く思いつきそうにない発想と思えるんじゃが。しかも今聞いた210号室と110号室の窓の間の証拠を確認する前にほぼ真相を確信していたように見えたのじゃが?」
「ああ、それは……あの時はまず『なんでサッシに足跡が無いんだろう?陸上のハードル走みたいに跳び越えて外に飛び出たのかな』と考えたんです」
「下手すると後ろの足を壁にぶち当てることになりそうじゃの」
「ええ、ですからすぐに『そんなわけないな。普通はこうやって出るよな』と頭の中で『普通』の出方をシミュレートしてて気づいたんです。『普通の出方でこんな足跡がつくはずない!』って」
「どういうことじゃ?」
あの日撮った足跡の画像を見せながら説明する。
「この足跡を見て、『窓に一番近い足跡、すなわち窓から出て着地したときについたと思われる左右の足跡のうち、左足の足跡だけが酷く乱れて足跡の原型が分からない。このことから察するに、着地後に窓と網戸を閉めた後、左足を軸に回れ右するように回転しながら右足を塀に向かって踏み出し、そのまま塀に向かって進んだ』と僕らは推測しました」
「そうじゃな」
「でもこの考えだとわざわざ『後ろ向きに窓から出た』ことになります。普通そんなことしますか?」
「ありゃ?……言われてみればおかしいの」
「普通は前を向いて窓から出るでしょう?最初は壁側に踵が向いた足跡がつくはずです。その後、網戸や窓を自分で閉めたにせよ、協力者が閉めたにせよ、あんなつま先が壁側を向いた状態からクルリと回れ右するような足跡がきれいに残ったりはしません」
「ふむ……いや、ちょっと待つのじゃ」
一旦納得しかけた南山田先輩だが何か思いついたようだ。
「ん~、例えば『最初から網戸や窓を自分で閉めるつもりで片手を窓サッシに突いてクルリと半回転しながら窓から出た』とかの可能性もあったんじゃなかろうか?これならそう不自然でもなく壁側を向いて着地できると思うんじゃが?」
「ネタ画像で見る『笹食ってる場合じゃねえ!』のパンダみたいな体勢で跳び出るってことですか?」
「そうそう、それじゃ」
「でもそれだと窓の真正面に着地せずに、右か左に着地点がずれるんですよ。南山田先輩、110号室の網戸を動かすときに網戸の正面で足跡を跨いで立ちましたよね。あんな位置に足跡はつかないんです」
「あー、確かにそうじゃの」
「で、後ろ向きに出る状況を考えたら『高い位置から降りる』場合ではないかなと。インスタでアップされてる赤ちゃんや小動物が階段を下りる動画みたいな。そんな連想から2階から降りた可能性に気付いたんです。気付いてしまえばまあ、これでほぼ確定かな、と思えたので」
「なるほどの。いや、説明を聞いてスッキリしたわい……お、そろそろ時間じゃの」
「そうですね、出ましょうか」
今日は南山田先輩と僕は参野氏からケーキバイキングに誘われている。あの日胡桃さんと連絡を取ってくれた芙蓉さんも来るそうだ。
参野氏にとっては依頼料というか事件解決料の支払いのつもりのようなのだが。
「支払いはワシに任せてくれ!後輩たちに払わせるわけにはいかんからの!」
そう、めでたいことに先日の合格発表で、参野氏も芙蓉さんも先輩と僕が通うS大学に合格し入学が決まったのだ。
と、いうわけで南山田先輩は事件解決に合格祝いも兼ねて会計を全額持つ気満々だ。
いつもは僕も南山田先輩に奢ってもらいっぱなしだけど、今日はいくらか払って後輩たちの前で恰好付けさせてもらおうかな?
などと考えながら南山田先輩に続いて部屋を出たのだった。