2.
チョークの音と、シャープペンシルの音が交差する。黒板に叩きつけられる無機質な音と、紙の上を軽やかに走る音。耳に頻りに入ってくるため私は集中することを諦めた。黒板の文字を早々に書き上げ、神住先生の声をBGMに教科書の文字を目で追う。今日は早退しよう。体調でも悪いと言って。
「以上が今日やりたかった内容になります。時間が十五分ほど余っているので演習でもしましょうか。では、iPadを開いてクラスボックスの免疫のところを見てください。その中の5番、6番を解きましょう。時間は10分です」
10ページほど読み進めたあと、チョークを置く音とともに神住先生の声がはっきりと聞こえてきた。
急いでiPadを取り出し、ペンを持つ。ここの単元は予習しているし、授業を聞いてなくても余裕だろう。制限時間の半分ほどでとき終わる想定をし、問題にとりかかる。
(あれ、これ初めて見る問題だ)
6番の最後の問題は思考力で記述式のものだった。授業中にいっていたのだろうか。
どう記述しようか迷いしばらく止まっていると、神住先生が顔を覗き込んだ。
「わかりませんか?あなたならきっと解けるはずですよ。教科書の言葉をつなぎ合わせみて」
言われたとおりに言葉を探してつないでみる。なんとも言えない拙い文章が出来上がった。
私が難しい顔をしていると、先生が
「最初はそんなもんです。記述は回を重ねるごとにきれいな文章になりますよ」
そう微笑んで教卓へ帰っていった。
神住先生はモテすぎて話すと僻みがすごいこと以外は尊敬できる先生だ。佐倉亜美にはなんとも思ってないといったが、すごい先生だとは思っている。この気持ちが恋愛に発展しないように願って、私はiPadの電源を切った。
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「ねぇ、また響先生と仲良さそうに話してたわね。あなただけの先生じゃないのよ?わきまえて」
きた。生物の授業後はいつもこうだ。心を落ち着けて、暴風が過ぎ去るのを待つ。心を無にしてごめんなさいを言い続けるのだ。
その時、教室の扉が空いて声が響いた。
「神崎ー、お前今日弁当?俺忘れちゃってさ、少しくれない?」
「凛久。そうだけど、全部あげる。私夏休みの宿題したいから」
「はぁ?ちゃんと食べろって!そんなんだから折れそうなくらい細いんじゃないの?」
さも当然のように教室に入ってきた凛久は私の手首を掴むとギュッと握った。少し痛い。
心配する凛久に微笑んで、そっと手を外す。
「大丈夫。私今日は早退しようと思ってて、家でなにか食べるから。弁当は明日持ってきてくれたらいいよ」
戸惑う凛久に背を向けて帰り支度をする。本当は食事をすることすら面倒くさくて、彼に押し付けているだけだ。
制止の声を振り切って靴箱に向かいながら
(明日は上靴に画鋲でも入ってるかもな)
そう考えたが、上靴は持って帰らずおいていく。凛久には親衛隊のことを言っていないが、別に隠しているわけじゃないので彼女らの鬱憤が晴れるならと放っておいている。
「あぁ、つかれた」
誰もいない通学路で一人ポツリと呟いて足早に帰路につく。なんとなく家に帰る気にならず、カフェへと赴き宿題のテキストを広げる。誰かの視線を感じたが、イヤホンを耳に入れ周りへの意識をシャットダウンした。
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いつもなら忙しいお昼時。珍しいほど暇な店内に入店のチャイムが鳴り響く。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは制服を着た高校生くらいの女の子だった。
(おかしいな。あの制服は妹の学校の、だよな?今日は一日中授業だった気がするが.......)
疑問への答えが見つかる前に彼女が目の前までやってきた。そして、お世辞にも女性らしいとは言えないほど骨ばった手でメニュー表を指差す。少し頭を下げた拍子に髪の毛が肩にこぼれ落ち、外が26℃近くあるためか少し汗ばんだうなじが姿を見せた。
(じっと見つめてしまった。だめだ、仕事に集中しよう)
目を閉じて意識を仕事モードにする。
「紅茶のホットとチーズケーキで」
冬を思わせるほど涼やかで冷たい声。なんとなく彼女は誤解されることが多そうだと思った。見た目は真面目なことも相まって、声を聞くときつい性格をしていそうだと思えてしまう。
「かしこまりました。お会計980円となります.......980円ちょうどお預かりいたします。レシートはご入用ですか?」
「はい。ありがとうございます」
レシートを受け取る手を見ると、手首がほんのりと赤く色づいている。思わず硬直してしまった。
(あれは、誰かにつけられたのか......?まさか虐め?それで逃げて?)
席に座る彼女の背中を見ながら、カフェの店員でしかない俺にありがとうと言う姿を思い起こした。
彼女は見た目に反してきっと優しい性格だ。それに気づいている人はいるのだろうか。
そう思うと、店に入ってきたときには堂々として見えた姿が弱いことを悟られまいと強がっている、そう見えてしまった。
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(よし、今日の分は終わったな。もう18時か。そろそろ帰ろう)
机の上のテキストをカバンにしまい、席を立つ。店を出て帰ろうとすると、目の前にカフェで注文をとってくれた大学生くらいであろう男性がレールに寄りかかって誰かを待っている様子だった。
店で働いている彼女でもいるのだろうと思って通り過ぎようとすると、呼び止められた。
「あの、いきなりすみません。少しお聞きしたいことがあって」
私に用事があったのか。営業スマイルを顔に貼り付けて、用件を尋ねる。
「何でしょうか」
「右手の、手首が少し赤いようでした。もしつらいことがあれば、相談してくれませんか」
右手?手首?思考を巡らせていると、凛久に強く手首を掴まれたことを思い出した。
記憶を呼び覚ましているところを戸惑いととったのか、男性は慌てて続けた。
「あ、えっと、すみませんいきなり相談してくれだなんて気持ち悪いですよね。僕の妹と同じ学校だったので、その、」
背が高く、かなりしっかりとした骨格の男性が慌てる姿がなんだか面白くて、クスクスと笑ってしまった。
「いえ、全然大丈夫ですよ。手首のあとは私のことを心配した友人が心配しすぎてちょっと強く握っちゃっただけなので」
男性はほっとしたような顔をして、息を吐く。すると、彼は手をこちらに差し出してきて、
「僕は佐倉水斗と言います。佐倉亜美の兄です」
「佐倉......?同じクラスですよ。偶然ですね」
「そうなんですか?あっと、妹は学校でうまくやれてますか?心配なんですけど話しかけたらうざいと言われてしまって.......。よければ妹の様子をおしえてくれませんか?」
「いいですよ。立ち話もなんですから、連絡先交換しませんか?ラインでお話しましょう?」
我ながら珍しいと思う。初対面でしかも異性なのに連絡先を交換するなんて。見知らぬ私を心配してくれたという事実が嬉しくて、浮かれていたのかもしれない。
夜は嫌な気持ちが頭の中に浮かんでくるので嫌いだが、今日だけは乗り越えていけそうな気がした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。次話投稿は12月27日を予定しています。時間は20時頃です。