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天才の欠陥侯爵令嬢は策士な王子に外堀を完全に埋められる

作者: 鳥海柚菜

エルフィ=ランドグアは侯爵令嬢である。


ランドグア侯爵家は智の侯爵と呼ばれ、かねてより学者、作家、図書番など文字にかかわる役職・職業に就くものが多かった。そのなかでもエルフィは特別であった。

なぜならエルフィはランドグア侯爵家始まって以来の天才だったからだ。


一度目にした言葉はすべて記憶し、辞書のようにすらすらと述べることさえできた。

異国の言葉もすぐに覚え、近隣諸国ばかりか少数民族の言語も読み書きができた。

さらには古代に絶えた言葉すら解読し、古文書の解読にも大きく貢献した。

齢わずか7歳にして貴族令息が受けるべき高等教育はすべて終了し、10歳にして研究者としてすでに名を馳せた。


しかし、彼女には大いなる欠点があった。

それは人間関係が全く作れないことだった。

人の感情の機微がわからないのだ。

こういう場面ではこうしなければならない、ということは理解でき、そのとおりに行動しろと言われれば可能である。しかし、なぜそうしなければならないのか、というところはイマイチ理解できなかったし、他愛のないおしゃべりの他人の家がどうとかやれ誰と誰が付き合っているのかには何の意味があるのかがわからなかった。

そもそも誰と誰、の人の認識がろくにできない。

文字であれば完璧に理解ができるのに、現実に生身の人間に発言をされると、とんと理解できなくなるのだった。はっきり言ってポンコツである。


「エルフィ様は本当に淑女のたしなみがなっていないのねえ」

「たしなみ、とは・・・心得ですか?慎みですか?それとも好みですか?果たして淑女の定義とはどういうものでしょうか?淑女とは、淑やかで品位のある女性とされますが、淑やかとは慎み深い、上品な、とあり、これは品位があるとは違うのでしょうか。そうなると、どういった行動をさすのかがいまいちわからなくて、教えていただけますか?」


と、万事こんな感じであり、嫌味が通じないどころか、ほぼまともな会話が成立しないのである。


彼女がこうなった原因は親にある。

父親は学問にしか興味がない。家柄だけいいとんだ変人であり、どういうわけか母親と政略結婚。どうやって子供を作ったのだろうと思うくらいに他人に興味がない父親ゆずりの無関心さを幼い頃から見せていたエルフィに母親はさっさと愛想をつかして家を出て行き、実家の領地に引っ込んだ。父親はエルフィの才能に酔いしれ、とにかく書物のみを与え続け、まともに人としての教育を与えなかった。さすがに執事にとがめられ、令嬢としての最低限の挨拶、マナーは覚えされたものの、歌に刺繍、詩、音楽、ダンスは一切やらなかった。エルフィ自身にも興味がなく、続かなかったというのが正しい。


とにかくそんな彼女は15歳になっても社交界に一切出ることがなく、同じ年ごろの男女が通う学園にも行かず、ただひたすら彼女に特別にと与えられた王立図書館の鍵を大切に胸に抱いて、日がな一日書物を読んで過ごしている。

彼女の能力を必要とするのはもっぱら王族または外交をする貴族であって、何か頼まれごとがあれば呼ばれ彼らに尽くす。その知識は大いに国のためになっており、下手に貴族の奥方となりパワーバランスを崩されるよりも、ゆくゆくは女性とはいえ一代限りの男爵の地位を与えられるのではというのがもっぱらの噂だった。

まあ、エルフィは何の興味もない。本が読めればそれでいいのだ。


「エル」


そんなエルフィだが苦手なものがある。


「エル、そんなに近くで見ていたらますます目が悪くなるよ」


本に覆いかぶさるようにして文字を追っていたエルフィの藍色の髪の先をつん、と引っ張ったのは、この国の第三王子だった。いずれ、この国の筆頭公爵家の養子となると言われている今年17歳になったリシャール王子である。

エルフィはこの王子がとても苦手だった。人としゃべるのは大変に苦痛だが、リシャールは憚らずに勝手にエルフィに話しかけ続け、さすがに無視してはいけないと侍女に何度も嗜められ、仕方なく相手にしなければならない。苦痛である。


「・・・・・・はなしてくださいませ」

「ふふ、エルの舌足らずの声ってかわいいね。本当に、鈴のようだ。粘っこい女狐たちとは大違いで食べちゃいたいなあ」

「・・・・・・はなしてくださいませ」


つまんでいたエルフィの毛先にちゅっと口づけをしたリシャールにエルフィはぎゅっと眉根を寄せる。

か細い声ながらエルフィの拒否の音は十分に伝わると思うのに、リシャールはとろけるような笑顔を浮かべた。


「ああ、可愛い顔を台無しにして」

「私、いつもこのような顔です」

「それは単に目が悪いからだろう。いまはにらんでいるから違うね。本当に可愛いな、その嫌そうな顔ったら」


そう、エルフィはとても目が悪い。

なぜならずっと文字を読んでいるから。明るい時から暗い時まで。

人の顔を覚えられないのは、ろくに見えていないからという理由もある。

一度、父親が眼鏡というものを学会のついでに外国で買ってくれたときはぼんやりとした世界がくっきりとした世界に代わってあまりに感動をしたくらいだった。

しかしその大変貴重な眼鏡というものは、即座にリシャールに取り上げられてしまった。


エルにはっきりとした世界なんていらないよ、と言って。


これで好きなだけ本が読めると喜び勇んでいたエルフィがリシャールに由緒正しい呪いの人形を送ろうとしても責められるいわれはない。

泣きながら乳母に止められて思いとどまったが。


もちろん苦手な理由はそのことだけではない。


リシャールは、白銀の髪に少し紫の瞳を持つ知的な美青年である。少し垂れ目のせいか優し気な印象を相手に与え、左目の下のほくろがまた色っぽいと王宮を訪れる女性たちが騒いでいたことをエルフィも知っている。

将来は公爵として外交官になるとされており、語学も堪能で切れ者とも噂されていることも知っている。

しかし、このリシャール、なぜか5歳のエルフィと出会ったときからずっとありとあらゆる手を使って嫌がらせをしてくるのである。


たとえばエルフィがやっと手に入れた異国の書物を目を輝かせて読んでいればいきなりトカゲをその本の上に落としてきたり(生き物が苦手なエルフィは叫んだ)、外が嫌いだと言っているのに無理やりピクニックに連れ出されたり(日差しに当たりすぎて熱を出した)、馬に乗れるようになったからと一緒に馬上に乗せられてスピード出して遠駆けさせられたり(喉が枯れるほど叫んだ)、絶対に似合わないだろう紫のドレスを無理やり着せられ彼の誕生日会でずっと隣に座らされたり(人前が大嫌いなのでその後1週間は部屋に引きこもった)、、、、とにかくエルフィの嫌なことばかりをするのだ。


他人の顔を覚えるのが苦手なエルフィは、正直に言ってこの国の王様の顔も王妃様の顔も王太子の顔も、第二王子の顔もほとんど覚えてないし、毎回、なんやかんやの依頼に来る貴族の顔もよくわからない。

けれど、リシャールだけは、ほんの幼い頃から嫌というほど構われ顔を覚えた。

人と被らない珍しい髪と瞳の色のおかげもあるのかもしれないが、リシャールの顔は文字でなくても頭の中に映像として思い出せるほどである。

エルフィに「人の顔」として覚えられているのは父親と幼い頃からの母親代わりの乳母と、このリシャールくらいのものである。

ちなみに母親の顔はもうわからない。


「殿下、離れてください」


過去を思い出していたエルフィは、ふと、リシャールが自分のすぐそばに椅子を近づけたことに気が付いた。


「殿下なんてそんなつれない言い方をする子の言うことは聞けないな」

「・・・・・・リシャールさま、離れてください」

「その嫌そうな顔が可愛いから、離れたくないな」


世界が霞かかっているかのような視界のなか、触れそうなほど近くに紫の瞳が見える。

さらり、と額に触れたのは彼の銀髪だろう。同じ色のまつげも今にも触れそう、っていうか、もう鼻は触れているような・・・。


「リシャールさまっ」


エルフィはさすがに怒って彼を突き飛ばした。

不適切である。エルフィとてそれくらいはわかる。一般常識として学んだ。学んだことはわかる。


「未婚の男女がこのような距離感でいてはなりません!」

「このような、とは?」

「触れそうな距離のことをいいます!前も言いましたよね?!」

「だって、エルフィ、それくらいじゃないと見えないじゃないか」

「見える、見えないじゃないんです!駄目なんです!そう習いました!前も言いましたよね?!」

「それはどこに書いてあるの?どの法律?どの戒律?」

「・・・えっ?」


今までも何度か距離が不適切であると怒っていたが、食い下がられたのは初めてだった。

そういえばエルフィも読んだことはない。


「えっ、て。どの本に書いてあったのさ」

「・・・・・・・本ではなくて、令嬢教育の家庭教師の女性が」

「ではなぜその女性が言っていることが正しいと?」

「その、わたしは、あまり興味がなかったので本では読んでいませんが、とても有名なマナーの先生だと聞きました」

「うん、だからその人が言っていることが正しいという裏付けはどこにあるの?」

「・・・・・・裏付け」


そんなこと考え方こともなかった。

エルフィには足りないことが多い。だから興味がなく足りない部分は人に教えてもらって補ってきた(ほかに読みたいものがたくさんあるので)。だから裏付けと言ってもわからない。


「エル、そのぽかんとした顔もすっごく可愛いんだけど、もう時間がないんだ」

「・・・時間?何の?」

「いや、それはこっちの話なんだけど」

「はあ・・・」


なんのことだ、とエルフィは首をかしげる。

変な絡み方をしてきたのはリシャールではないか。


そんなリシャールはエルフィの小さな手を突然握り締めてきた。


「ひぃっ!」


エルフィの喉からひきつれた悲鳴のような声が上がる。

自分ではない体温が手を包んでいることに恐れおののいたのだ。エルフィにこんな風に触ることは父親だってない。


「や、やめてくださいませ・・・さわらないで」

「ああもう、これくらいでプルプルして可愛いなあ。ほんと、食べちゃいたい。いや、そうじゃなくて、今日は真面目に話があるんだ」


エルフィを見つめるリシャールの紫の瞳がとろけそうに甘くなったうえで、彼は何か一人突っ込みをしている。


「お話があるなら、離れてください・・・」

「離れたら一目散に逃げてまた部屋に引きこもって出てこないでしょう」


なぜわかったのか。そろそろと椅子から腰を浮かせようとしていたエルフィは驚きに目を見張った。


「わかるよ、可愛いエルのことだったらなんでもわかる。こんな単純な思考回路ないからね。もちろん、愛の力もあるに決まっているけれど」

「たんじゅん・・・?あい・・・?」


それよりも、とエルフィの顔色はなくなりそうなほど白くなった。

いつのまにかリシャールの頬がエルフィの髪に寄せられたからだ。そのままスリスリと頬擦りされる。

生温かく感じる人の体温と吐息、そしてリシャールの柑橘系の爽やかな香りに包まれ、エルフィはパニックである。


近すぎる。絶対におかしい。

何がおかしいとは根拠を求められても困るがだって物心ついた頃からこんなことを他の誰もしないのだからおかしいに決まってる。たぶん。…おそらく。

知人もろくにいないエルフィとてそれくらいわかる。

論破は出来ないけど動物的本能でわかる。


何か、危険だ、と。


それと同時にリシャールの爽やかな香りと比較して自分の匂いが急に気になった。

そういえば特別に司書の部屋を借りてざっとお湯で洗い流すしかしないで図書館にずっと籠りきりである。図書館独特のインクと古紙とカビ臭い匂いにまみれているだろう。

自身でも時々耐えかねることのあるそれを思い返してエルフィは赤くなったり青くなったりした。


(えっ、このいい匂いがする人にその匂いをさっきからスンスンされ続けているの?)


エルフィは自分にも他人に頓着しない。

しかしふとリシャールの匂いを近くで嗅いでいたら何故かドキドキと心臓が早く脈打ち始めたのだ。

あまりにもいい匂いだったからかもしれない。


「り、リシャール、さ、…」

「エルが赤くなってるのなんて初めて見た。えっ、これ夢じゃないよね?」

「あの、スンスン…?えっと、クンクンしないで…離れて…」

「えっ、なにっ、スンスン、クンクンって。爆発しそうに可愛いんだけど」

「え…爆発とは?」

「とある一部が……こほん。ごめん、ちょっと可愛すぎて動揺した」


リシャールはなぜか自分の頬を自分で叩いた。べちん!と結構な音がしてエルフィはひぃっと頬を引き攣らせる。

リシャールは「我慢しろ俺っ」と時々こうやって自傷行為をするから怖い。


「こんな阿呆なことしてる暇ないんだった。あのねエルフィ、ランドグア侯爵が先日お倒れになられたのは知ってるよね?」

「え?お父様が?いいえ?」

「ええっ、知らないの?」

「そういえば屋敷から連絡が来ていたような。ですが新刊を読みたくてつい追い返してこちらに泊まり込んでしまいました」

「はー…そうか。それでそんなに落ち着いているのか。では何も知らないんだね?」


こくりとうなずくエルフィは父親にも情が薄い。

その後も取り乱すことなく何故か身内でもないリシャールから医師の見解を淡々と聞いた。


「どうやらフグ毒にあたったらしい。控えていた従者が即座に殴って胃からフグの臓物を吐かせようとしたがこんな貴重な機会はないと拒否し、謎の自作胃薬を飲み、その後神経毒にやられて寝込んでいるそうだよ。見立て間違いのしようもない完全なるフグ毒の副作用だ」

「まあ!フグの臓物をお食べになったの?お父様が?!」

「そう。なんで食べるなと言われているものを食べるのかな?幸い意識は取り戻したそうだけど」

「まあまあ、それでは早速お父様にフグ毒の痺れの進行について伺わなくては!」

「いやなんでそうなる?!」

「だってフグ毒なのですよ?誰も恐ろしくて口にできない、けれど書物には臓物を食べたら神経毒にやられて死ぬと書かれているだけ。でしたらどんな経過を辿るかこの貴重な機会に調べて記録しておかなければ!」

「……意識を取り戻した際に侯爵も、うわ言で紙とペンを持って来い!と騒いでいたようだから君たち本当に似たもの同士だね」

「まあさすがお父様、ただでは起きませんのね」


うふふ、と、笑うエルフィに常人はドン引きである。

しかしリシャールは慣れていた。

むしろどんな感じなのかしら?と全開で笑うエルフィにキュンと胸が鷲掴みである。

そんな可愛く笑ってつぶさに観察してくれるのであれば自分がフグを食べてもいい、とさえ思った。



リシャールは年齢に見合わず大変優秀と言われ続けたがことエルフィに関しては残念でしかないというのが王族と高位貴族の総見解である。


しかしリシャールはお花畑になりかけた頭をもう一度自分で殴り、どうにか正気を取り戻した。


「エル、今回は無事で済んだんだが、また何かあったら大変だ。君はまだ親に保護される年齢だから」

「はい。そうですね。我が国の法律では18歳が成人ですし。この男女問わず18歳というところがなかなか諸外国よりも進んだところと思っております。女性のみ16歳という法律を変えたのは先先代の国王陛下でしたが、学園の途中で妊娠出産に至ってしまい十分に学べないという声もございました。もちろん愛しあって早く結婚したいという声もございましたが、家のために学問をあきらめるという女性もそれなりにおり、優秀な女性を育て次代へつなぐという陛下のご見識には私も大変感銘をうけたものです」

「いやその施策せめて僕のあとにしてほしかったけど、エル、そうじゃなくて」

「なにせ女性は従属と捉えられて10歳や12歳で嫁がされる時代もございましたし。他国ではそのような非道がまかり通っているところもいまだあるとか。親にお相手を決められるとしてもあまりに早すぎる結婚として懐妊は少女たちの命をも脅かしていると聞き及んでおります。そのような所業まことに許されるべきではありません」

「いや、エル、きいて・・・」

「私としましてもぜひ国交を結んでいる国には女性たちの教育の権利を広げる施策を布教していくべきと思うのです。そのためにも我が国がいかに優れている国であるかを示さなければならないと思いますし、私もまだまだ知識を深めなければ。ああ、私はこの国に生まれて好きなだけ本を読めて本当に感謝しております」

「わが国でもエルが特別と思うけれど、そうじゃなくてエル」

「そういえばこの間、男性ではなく女性が外で働くのが当然という遠い異国のお話を読みました。女性たちが集団で狩りに出かけたという祖先がですね・・・」

「エル!お願いだから聞いて!」

「っ」

「ごめんね、楽しそうに話しているところ申し訳ないんだけど。お願い、ちょっと僕の話を聞いて?」

「・・・・・・申し訳ございません」


またしても自分の知識の泉に入りこんでしまったエルフィはしょんぼりと肩を落とした。

いつもこうやってうんざりされるのに全然治らないのである。まあ、エルフィの父親も同じ傾向があり、家でもほぼ顔を合わせないながらたまに見かけると好き勝手に好きなことを一方的に語り続けるということを繰り返しているので治る見込みがないともいう。


しかし、リシャールは一度もエルフィを「叱った」ことはない。いつも話の途中でごめんね、と穏やかに軌道修正をしてくれる。

今回のように強い声を出すのも大変珍しいくらいだ。

だからエルフィは彼を怒らせてしまったのかとびくびくとした。


「ああ、怒ってないよ。大丈夫」

「・・・リシャールさまはなぜ私の言いたいことがわかるのです?」

「そんなあきらかにしょんぼりしていてわからないわけないけど」

「・・・そうなのですか?しかし、皆様は私は何を考えているかわからないと」

「大丈夫、エルフィのことが分からない屑は眼中にいれなくていいんだよ。わからない方が阿呆なんだ」

「・・・そうなのですか?」

「うん、だからエルフィは僕のことだけ見ててね。僕の言うこと聞いて好きなだけ本だけ読んでればいいよ」

「・・・はい?いえ、それはなにかおかしい気がします。何かはよくわかりませんが、おかしいですね」

「くっ、なんでふと気づいちゃうんだろう?エルがもっともっと浮世離れしてて、もっと簡単に騙せたら楽なのに」

「え?」

「なんでもないよ」


これだけ近くにいるのに、エルフィに聞こえないようにつぶやいたリシャールはにっこりとほほ笑んだ。


「エル、僕が言いたかったのはね、君の父君がもしもまたとんでもない実験をしでかして儚くなられたらエルの後見は母方のギドルト伯爵家の当主に移るってこと。そうしたら君はホイホイと政略の駒にされるのが目に見えている」

「お母様の・・・しかし、私、おじい様どころかお母様の顔がわかりませんが」

「うん、そうだよね。そんな顔も知らないところ嫌だよね。僕もね、とっても嫌なんだ。だってギドルト伯爵って何回断っても僕の婚約者に自分の直系の孫を勧めてくるんだもの。あんなあばず・・・んんっ、あんな頭が空っぽそうな胸だけ大きい・・・んんっ、えっと、あんな知能レベルが幼い女性は嫌だって言ってるのに。だいたい僕にはエルがいるんだから」

「・・・・・・・・ええと」


書物についてや自分が話すときは高速でも平気であるが、人に矢継ぎ早に話されると途端に頭が鈍くなるエルフィはリシャールの言いたいことがろくに頭に入らず、ぽかんとした。


「うん、最後の僕にはエルがいるっていうところだけわかってくれればそれで」

「私はリシャールさまとなにか関係がございましたでしょうか」


血縁ではないはずだったが、と首を傾げたエルフィに、リシャールの顔がすっと強張った。

「いやわかってただろ、俺」と突然自分で自分の頬をひっぱって笑顔を取り戻す彼は、しかしなんだかいつものようなとろける微笑みではなくて強張った笑顔だ。

これはいつも自分以外に向けているものだな、とエルフィはすぐに気が付いた。

人の顔をろくに認識しないエルフィであるが、認識しているリシャールの表情を読むのは得意である。


「リシャールさまはやはり怒っておられるのですか?」

「え、い、いや、怒ってはいないけど、そうきっぱりはっきり君の口から関係がないって言われるのはさすがに堪える(こたえる)というか」

「堪えるとはどういう意味でしょうか。我慢しとおすという意味かと思いますがそれは怒っているのと何が違いますか?」

「あー、いや、エル、ちょっと待って。お願い、話を戻していいかな?」


リシャールの眉が困ったように下がったので、エルフィは口をつぐんだ。

叱られていないのに、口をつぐむと言う行為をエルフィがするのは彼に対してだけだ。

叱らないのが彼しかいないからなのでその絶妙な違いはエルフィにもリシャールにもわからないが。


「エルが僕のことをなんとも思ってないのはわかっている」

「え?そんなことはございません。リシャールさまは私が顔をわかる大変貴重な方です。確かに苦手ではありますが」

「に、がて……?」

「はい、リシャールさまは私の嫌がることをニコニコとなさるので苦手です」

「はあ?!ちょっと待って嫌がらせと思われてるの?!」

「違うのですか?ですが私にこのようにずっと話しかけるのはリシャールさまくらいなのでよほど私のことが嫌がらせするのが楽しいのかと」

「そんなわけないだろう!!!」

「ひっ!!」


流石に穏やかではいられなかったリシャールがガタンっと椅子を倒して立ち上がる。

乾いた悲鳴をあげて顔色をなくしたエルフィは必死にうつむいた。

しかしリシャールは許さず、エルフィの頬を両側から挟み、自身と視線を合わせる。

紫の瞳がギラギラと見たことのない色を浮かべ、そして、エルフィが見たことのない怒った顔をしていた。


「り、リシャ、さま、も、ももうしわけ、ありませ…」

「それは何に謝ってるの?」

「………怒ってるので」

「なんで怒ってると思う?」

「……………………わかりま、せん」

「ああそう」


やってらんねえな、と彼の口から聞いたこともないような言葉が聞こえてエルフィはついにガタガタと大きく震え出した。

どういう意味ですかとはとても聞けない雰囲気である。

リシャールに怒鳴られたことは涙が出そうなほどショックであった。


「あーほんと無駄ってこと?ならもういいや。もうちょっとお馬鹿なエルに付け込んでうまい感じにもってこうと思ってたけど嫌がらせと思われてたならもうなにしても嫌がらせだと思うんだな」

「は?…え、ええと、あの」

「エルフィ」


珍しく愛称でなく名前を呼ばれ、口調もぞんざいになり、エルフィは目を丸くして彼を見つめ返した。

エルと呼ぶのは自分だけだとキラキラな笑顔で約束させられたことがふと思い出された。

あのときの彼はいつの間にか大きくなって、自分と体格も輪郭も違っている。

美しいと周りが称賛しているのでこれが美しいのかと思っていたくらいだが、じっと見つめてくる長い銀色のまつ毛に縁取られた紫の瞳は、エルフィの豊富な知識の中のどの鉱石より深い色をしていた。


「エルフィ」


もう一度間近でエルフィを見つめ、その名を呼んだリシャールが腕の中にエルフィを閉じ込める。

エルフィは固まった。それは見事に凍りついた。


頬にあたる固い胸の感触も肩を抱く腕もエルフィのそれとはまるで違う。

ドクドクと力強い音が触れた耳から聞こえてきた。


エルフィはパニックである。

これはまさか()()()の……。


「っひ、ひっ、なに、なに…なぜ、どういう、ひっ」

「エルフィ、息、落ち着いて。ゆっくり吸って」


過呼吸気味になったパニックのエルフィに、リシャールの落ち着いた声が染み入る。

なんだかんだエルフィの扱いに慣れているのはリシャールだけである。

まあエルフィに構って困らせるのも彼だけなのだが。


「エルフィ、そのまま息止めないで」

「は、はい………んむぅっ?!」


しかし、おとなしくリシャールに従っていたら突然口を塞がれた。

リシャールの唇で。


「んぐ、むー、むーっ!」.

「ん、……口開けて」

「ぷは、な、なに…ん、んーー?!!」


解放されたと思いきやまたしてもリシャールに口付けられる。むにっと唇の隙間からヌルヌルしたものが滑り込んできて、縮こまるエルフィの顎を白魚のようにたおやかな指がガッチリと掴んで、体をぐいぐいと押し付けられていた。


そう、これは口付けである。まぎれもなく。

男女がする、あの。あの!


(そんなっ)


エルフィは絶望感に襲われた。

自分はこれでも侯爵令嬢であってこのような扱いを受けるいわれはないはずだった。

それともまさか第三王子ともあろうものが、侯爵家ごときになんらかの企みがあるのだろうか。

まさかの非道な振る舞いをされるほどに何かをしたのだろうかとエルフィは涙を浮かべた。


「…………泣くほどいや?」


ようやく口を離してくれたリシャールの声は低い。

知らない人のようだ。

エルフィはしゃっくり上げながらリシャールを悲壮な表情で見た。

その様子にリシャールの喉がグッと鳴った。

悲しそうな、でも、何か決意したような宝石のような紫の瞳がエルフィをまっすぐに捉える。


「でも()は君を逃がすつもりなんで毛頭ない。君はずっと()のものだ」


そうしてもう一度、掬い上げるようにエルフィの顎をとらえ、深く唇を重ねた。


「ふぅ…あ、ぁ…」


もうダメだ。

未婚の身で二度もこんなことをこんな場所でされるなんて、()()()極まりない。

もう令嬢としての自分は死んだも同然だ。

正しく令嬢としていままで何をやってきたかはわからないけど。


エルフィはザッと血が下がるような音を聞いて、そのまま意識を手放した。


***


翌朝、眩しい日の光に包まれ、エルフィは見たことがない豪奢な部屋にいた。

ぱちり、と瞬いた新緑の瞳がキョロキョロと周りを見渡す。


「エル、目が覚めた?」

「………ひいいいっ!!」


そして突如視界に入り込んできた銀色の髪にエルフィは化け物でも見たかのような悲鳴をあげる。


「あ、あ、どうして…っ」

「エルがあのまま気を失ってしまったから僕の部屋に運んだんだよ」


その台詞は読んだことがある気がする。

リシャールの部屋。

つまり、王宮ということ。

そして、エルフィがいるのは、ふかふかのベッドの上である。

そしてそして今は朝である。

ちゅんちゅんと外で小鳥が鳴く音が聞こえる。


「エル寝不足だったんだね。何しても起きなかったよ」

「なななにをしても……??」

「いや、何もしてないけど。ここに運んだだけだよ。誓って」


蒼白になったエルフィは、「既成事実作ってやろうかと思ったけどやっぱりエルが意識があるときに顔見ながらの方がいいかなって」ととんでもないことを言われていることも全く気付かず、ガタガタと寝台を揺らすのではという勢いで震えた。

その視線はリシャールの形の良い唇に釘付けである。

リシャールもそのことに気がついて、エルフィの頬に手を添え、目を細めた。

穏やかな口調に戻ってくれているがその瞳の渇望する光は昨日のままだ。

エルフィの震えが止まるわけがなかった。


「ねえ?もう一度してもいい?」

「ひ、ひどいです…」


ポツリと呟くと、はあっと苛立ったため息をリシャールが吐いた。


「……一晩理性ちぎれかけながらすごい我慢したんだけど。ちなみに、昨日のことなら謝らないよ。エルフィがまさか嫌がらせと受け取っているなんて思ってもなかったし、もういい加減わかってほしい」

「だって、こんな、こんな…っ私、まだ、まだ……」

「早くエルフィを俺のものにしないと、いつギドルト伯爵が余計なことをしてくるか…。ランドグア侯爵はホント当てにならないことがよくわかったし、エルフィの気持ちは全くついてこなくたって一緒にいることには今までと変わりないんだから。だいたいもう遅いよ。取り返しなんてつかないことにしてやったんだからいい加減俺の…」

「私、まだ子供を産む覚悟はできてませんーーーっ!!」

「………は?」


リシャールの苦悩と独占欲にまみれた言葉を華麗に無視してエルフィは叫んだ。

生まれてこの方初めてと言ってもいいほどの声量で叫んだ。


「ひどいです、リシャールさま!私はまだ成人してないのに、婚姻もしてないのに、こんな、こんな…っ」

「エ、エル?ちょっと落ち着いて。何を言って…」

「これが政略のためなのですか?!侯爵家とのつながりなんて尊敬する王家には要らないと思っていたのに!」

「はっ?政略じゃない!俺自身がエルフィを欲しいと…」

「悪阻が始まるのがあと1ヶ月後ですから今のうちに食べだめと消化にいいものを集めていえ食の好みも変わると言われていますから辛いものから酸っぱいものまで集めて、レポートを。はっ、お腹が膨らみ始めるのが5ヶ月ごろと言われていますからそれまでにゆったりとした服を用意してもらわなければ!」

「やけに具体的だな!?そうじゃなくてエル、話が飛んで…」

「もうこうなってはもう仕方がありません!何事も観察が大切です!リシャールさま、ごきげんよう!私、急いで今から日記をつけなくては!

「エルフィ?!」


怒涛の勢いで捲し立ててそのまま走り去っていったエルフィにざめざめと泣いていた先ほどの様子はなんだったんだと言いたくなるほどである。

呆然としていたリシャールは、がしゃん!とエルフィがどこかにぶつかった音を聞いて、ようやく口角を上げた。


「………部屋に繋いでやろうと思ってたんだが、何だか都合がいい方に転がったな」


エルフィの乳母は買収済みである(というかエルフィのことをそのまま受け入れてくれるのはリシャールだけと早々に彼女のことを頼まれている)。


そして乳母がエルフィの本棚にピンク色の背表紙のライトな恋愛小説を詰め込んだのはリシャールの指示である。


まだ15歳のエルフィに閨教育などはなく、とりあえず片っ端から本棚を制覇する癖があるエルフィは、生々しいところはぼかした朝チュンくらいの知識までは持っていたらしい。そしてそれくらいで子供が出来ると誤解したようだ。


本当はヒーローがヒロインを口説く台詞を知ってわかってほしかったがそんなものは華麗に無視されたようだ。

必死に慣れない言葉で口説き続けたのが伝わってなくて残念だが、まあいい。


とりあえず社会的にはもうエルフィはリシャールのものである。

昨日図書館から持ち帰るにあたって、わざわざ人手の多い正門から王宮に入ったし、エルフィが寝こけてるだけなのを知っていて滋養によい食事を用意させ「ちょっと無理させすぎたみたいだ」と誰もを魅了するキラキラの笑顔で侍女に伝え、先ほどだってわざと部屋のドアを少しだけ開けて戻ってきた。

エルフィの先ほどの叫びは廊下に控えていた侍従と護衛には聞こえていただろう。

完璧だ。

今日中に王宮には噂が広まるだろうから、さっさとエルフィの家に責任を取りますと正式な婚約を申し込みに行かねば。

侯爵には手土産として、絶版となっていた歴史書の初版を持っていくくらいでいいだろう。あの人はエルフィ自身には興味がなく御し易い。欲に塗れた伯爵を相手にするよりも1千倍はやりやすい。


本当はすぐに結婚したいが残念ながら2人とも未成年である。

先先代の王に土下座してもらいたい。あと3年も経たないとエルフィが自由にならないなんて、と何度歯噛みしたことか。


父に頼むから順番踏めと怒られても、母にどうか鈍感な幼いエルフィの気持ちを考えてやってくれと泣かれても、兄たちに女性の気持ちを無視するとか本当にないわとドン引きされた顔をされても、痛くも痒くもない。


リシャールはエルフィを手に入れるためだけに第三王子でいつづけているだけだから。

いざとなればいかに自分がこの国に害を及ぼせるか示してでも王命発動させるために。


「ふふ、妊娠自体には絶望しないんだから。エルフィの頭の弱いところ、本当に可愛い。逃げられると思うなよ」


一目惚れの初恋は並々ならぬ執着となり、リシャールという人格をガッツリ形成したのだった。

美貌の王子を止められる者は誰もいない。






「口付けして朝まで同じ寝台で寝るだけじゃないんですか?!」

ちなみに、エルフィが本当の初夜で卒倒するほどにそう叫んだのはまた別の話である。


家に帰ったらエルフィの誤解は解かないまま、早急に結婚にむけて知能フル回転するリシャールのことを、本当はエルフィも気を許していて好きなのですが何せ人と関わらなすぎて気付きません。

エルフィが他の男に口付けされそうになったところでやっぱり子供作るならリシャールとじゃなきゃ嫌!となる話までを書きたかったのですが、とりあえず短編で…。

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