第7話 仕官は叶うか
南進を続け、利根川を渡ったコタロウ一行は足を止めた。
南北に流れる思川は、東西に流れる利根川に合流していたため、道標を失ってしまったのである。順調に進めてはいるとは思うが、この先どうしたものかと、小高い丘に登って南方を見た。
「ふむ、何やらごちゃごちゃした建物が見えるが、アレが岩槻城だろうか....。自信がないでござるな.....」
分かる者は居るかと訊ねると、全員耳の裏を掻き、否と態度で答えていた。それであれば致し方なし、とりあえず訪問してみるしかあるまいとコタロウは思った。
「本当に太田様の元で仕官が叶うでしょうか?」
「礼儀正しくしていればきっと大丈夫でござるよ」
何も確証はない。しかしやらねば何の可能性もない。ふと小山高朝の顔が浮かび、恐ろしくて尻尾を股の間に挟んだ。ああいう人間も居るのだから、あまり期待してはならないなと思う。
街道を進んで村に入ると、人間たちの視線が痛いほどに突き刺さった。それはそう、犬の群れが列をなして城下へ向けて進んでいるのだ。皆、何事かと思った。立派な毛並みの犬を先頭に、みすぼらしい犬たちが一糸乱れぬ隊列で進んでいる。
──な、なんだありゃあ.....
──あっちは城だよな?太田様のところへ行くんだろか
──犬肉もずいぶん食ってねえが、太田様の犬だとすると....
ざわざわと聞こえる村民たちの声に、太田というキーワードが混じっていることに気がつくと、コタロウは安心した。
「やはりこの村は太田様の支配下のようでござる。ならばゴールはすぐそこであるな!」
「そのようですね」
安心した途端、小石がコタロウの身体を掠めた。
「あ痛っっ!!!!な、何事でござるか?!」
石が飛んできた方向を見ると、町民の子供が薄ら笑いを浮かべていた。恐らく犬の列が珍しく、なんとなく石を投げたのだろう。
「おのれ小僧!!コタロウ様になんという無礼をっ!!」
毛を逆立てて牙を剥く片耳。今にも飛びかかって喉元に食いつきそうになる武人女をコタロウは制した。領主に仕えようと向かっているのに、ここで領民とトラブルになるのはまずい。
「やめよ、大したことはござらんよ。吾輩の不注意であった。この程度、サッと避けなければ仕官など叶わぬというもの」
「そ、そんな.....」
吾輩は少し後ろを向き、皆に声を掛ける。
「人間に危害を加えることは罷りならん。飛んでくる石は登用試験だと思って全て避けよ。なに、追物の矢に比べたら大したことはあるまい」
そういうや否や、また飛来物だ。
吾輩に当たりそうになったそれを片耳が口でキャッチすると、投げた子供を睨みながら噛み砕いた。どうやら泥団子だったようだ。牙を剥きながら子供を睨む。
────ひえっ.....母サマ〜!!犬が睨んだ〜〜っっ!!
────あらあら、そんな訳ないじゃないの、この子ったら
「殿下、先を急ぎましょう」
「そうでござるな」
吾輩たちは歩みを早め、街の中心にある建物を目指した。恐らくあそこが太田様の屋敷。早く庇護下に入りたい、そう思いながら。
*****
「くそ....彼奴らは時勢を読めぬのか。ゲホッ....」
「資顕様、お休みになられた方が.....」
畳に手を突いた主君の傍へ、老いた家臣が水を持って駆け寄る。太田資顕は礼を言い、水を煽った。喉を通るといくらか痛みが引き、顔色が少し戻ってきた。
「すまぬな」
「いえ、この太田家を支える資顕様にもしものことがあれば、亡き資頼様に申し訳のうございます。今が踏ん張りどころなれば、今は御自愛頂きますよう....」
「そうであるが、しかしな.....」
太田家の家長である太田資顕は病の身にあった。つい先日、父が亡くなり家督を継いだというのにこの体たらく、我が身の弱さを恨んでも恨みきれぬという表情を日々浮かべていた。
ましてや北条家からは、軍門に降れとの圧力が日に日に増しているというのに。確かに、既に時代は上杉ではない。北条の時代が来るという直感が追い討ちをかけ焦燥を煽る。
「太田家は難しい立地にございます。関東の奥地であれば日和見できたやもしれませぬが、ここは北条と上杉が睨みを利かせ合う要衝。先代からずっとこうです。今この状況は資顕様のせいではございませぬ」
「だから口惜しいのよ。我らの選択次第で大局が変わるというのに、こうも家中が纏まらんとは」
資顕は弟の資正のことを思い浮かべた。日頃から犬遊びに興じて全く家事に協力しないどころか、親類を引っ張って松山城へ引っ越してしまった。諌めようにも、いや諌めはしたが太田家の家臣の半数を引き連れて行ってしまったものだからどうにもならない。
「全く、あの不出来の弟めが.....一枚岩となって北条家に仕えれば太田家は安泰だというのに。なぜこの大局が読めぬのだ」
そう呟いた折、屋敷の外が騒がしくなっていることにふと気がついた。来客だろうか、来客にしては騒々しいが、と資顕は思った。口元を拭って水を置く。バタバタと走る音が響く音を聴き、急報かと身構えた。
「資顕様、失礼いたします」
「何事だ。騒がしいな。何ぞあった?」
居室の襖を開けた下男は、どう報告したら良いか悩んでいるような顔付きをしている。何やら、あの....とか、その....とか伝えあぐねているようだ。
「なんだ、ありのまま伝えよ。時間が勿体ない」
「はい。その.....犬が座っておるのです」
「は?」
喋らせてみたが要領を得ない。犬も座るだろう。そんなことで報告に来たのかと資顕は溜め息をついた。この下男も先代から仕えて信の厚い者であったが、そろそろ交代させた方が良いなと思った。
「犬たちが、背筋を伸ばして座りこんでいるのです。大手門の前で、魚鱗の陣形を組んで......」