第3話 追物
菅谷左衛門五郎に連れられて小山城に来た吾輩は、城の中には入れずにそのまま場外北側の犬小屋へと連れて行かれた。
--ここさ入っておとなしくしとけ
途端に下野訛りの喋り方に戻った菅谷左衛門五郎はそう言葉を投げてガチャリと戸を閉めた。
彼の匂いが遠ざかってゆく。しかし良い御仁であった。飯の世話から就職の世話まで、誠に痛みいる。吾輩は心の中で感謝の意を伝えた。
「しかしこれは....」
見上げるまでもなく、その犬小屋には屋根がなかった。木の板で囲われただけの放牧場のような感じだ。広さだけは十分にあり、直径20メートルくらいだろうか。走り回るには十分そうだ。
きょろきょろ辺りを見回すと、隅に固まっている犬たちを見つけた。10数頭は居るだろうか。どれ、先輩方に挨拶せねばなるまい、と吾輩は足を進めた。
「どうも、皆さんごきげんよう。新入りの若輩者なれば、良しなにお願いしたい」
30個ほどの目玉が吾輩の方に向いた。どの犬も薄汚れており、ぼろぼろな毛並みをしている。それよりも気になるのは、目に生気がない。これは.....。
「お、お、、、お、、、、」
「げ、げえ?!!!」
「ブーーーーッッッッ!!!」
皆、吾輩の方を見て目を丸くしている。絶句する者、飯を吹き出す者、その様子は様々だったが、総じて驚いているようだ。どういうことだろうか。
「どうかされましたかな??」
フリーズしている先輩犬たちの奥から、片耳のない雑種犬が進み出てきた。いやここにいる皆、雑種のように思えるが、その者の瞳だけは生気があった。
「あ、貴方様は......随分と高貴な御方とお見受けしますが一体......?」
「失礼致した。吾輩は名をコタロウと言う。犬種は、ほれご覧の通り柴犬だ」
くるりと周り、薄茶色の胴体を皆に披露する。するとどよめきが上がった。
「な、名前持ち?!やはり高貴な御方だべ!!」
「かような見事な毛並み....見たことがござらん.....」
「はあ.....何ということだ......」
よく分からないが吾輩に恐れ慄いているようだ。困ったな。そんな大層な身分でもないし、ただの迷い犬なのだから仲良くしたいだけなのだが。
「こ、コタロウ様....大変失礼致した。それほど高貴な御方とは思わず、ご無礼をお許しください」
片耳の雑種が言う。
「いや、高貴という程ではーー
「それで、そのような貴き御方が何故このようなところへこられたのでしょうか?」
「なにゆえと言われましてもな.....」
まさか未来から迷い込んだなどと言える訳がない。言っても良いが、阿呆と思われるだけだ。ではどう答えようかと逡巡していると....。
「やはり何事かあったのだろう」
「ああ、何と嘆かわしい」
「くそ、、人間めっっ!!」
うーん....困ったな。話を逸らした方が良いかも知れぬ。
「いやなに、大したことではござらんよ。しかし追物とやらをやると聞いたが、どのような遊びであろう?」
吾輩が質すと、先輩犬たちは固まった。ピクリとも動かず、皆一様に尻尾を丸めている。どういうことだろうか。
「んん?」
「こ、、コタロウ様。追物というのはですねーー
ーーおーい、犬っころ。外へ出ろ。
片耳が答える前に、柵の上から顔を出した人間が声を掛けてきた。外へ出ろと言うことは散歩だろうか。嬉しくて仕方ない吾輩は尻尾を振って飛び出した。
小さな簡易の柵に移動すると、馬が駆けられるくらいの広いスペースが目の前にあった。なるほど、ドッグランか。屋根はないが広さだけは十分にあった犬小屋だが、ドッグランまで併設しているとは。
吾輩はふと開いた戸の隙間から、さっと駆けてドッグランに入った。
ふと目に入ったのは先程のお殿様、小山高朝だった。馬に跨り、こちらを見下ろしている。
ーーおお、一番手が先程の赤柴か!
ーー新入りですので元気が良いのでしょうな。
ーーははは、これは楽しみだ。
「あああ.....高貴な御方が....」
「ぐぅぅ....コタロウ様.....」
「申し訳ありませぬ!!某たちのためにっ!!」
なんだなんだ?どういうことだ?なぜ謝る。こんなもの、ただの遊び場ではないか。皆、尻込みしてるということは、何かあって疲れているのかな?
ーーほれ!!走れ走れ!!
ーー駆けろ駆けろ!!
「やった!!走れと言われれば走るしかあるまい!!」
吾輩はドッグランを駆け回った。
まみ殿がトイプーに夢中になってしまい、最近はろくに散歩をしていなかったのだ。散歩の時間がどんどん減るストレスはとてもつらかった。
それがどうだ、新天地でこの自由!
誠に素晴らしい!戦国時代サイコー!!
端の柵まで走り終えた吾輩は、そんな感謝の気持ちを思い出し、新しい御主人様に甘えようと、脚を止めて振り返ろうとした。
カッッ!!!
ビィィィィィィィィイイイインンン!!!
「は?」
振り返ろうと止まった瞬間に、棒のようなものが鼻先ギリギリを掠めていった。なんだろう、なんか嫌な予感がするのだが.....。恐る恐る飛来物を見ると、柵の木板に刺さった棒、どこからどう見ても弓矢にしか見えない。
「まさか......まさか........」
ゆっくりとご主人様の方を振り向く。10数メートルほど離れた位置、馬上で弓を持って残身をつくる小山高朝たちが目に入った。
撃ったよね?これ絶対アナタが撃ったよね?!
ーーふむ、やはり元気があって良いな。
ーー左様でございますな。しかし的の元気が良すぎると言うのも.....
ーーなに1射で終わるなどつまらんと言うものよ。なかなか当たらぬから面白い。
「イヤアアアア!!!吾輩、的じゃないいいっっ!!!」
その柴犬は必死に逃げた。次々に飛来する弓矢を避けるため。当たれば死あるのみ。こんなことがあって堪るかと思いながら、必死に避け続けた。




