第1話 柴犬、死す
ーーママ〜、トイプー買ってよぉぉ〜〜!!
うとうとと昼寝をしていると、娘っこの甲高い声に、吾輩の耳がピクリと反応した。なんの騒ぎだと思いながら、そのまま聞き耳を立てる。
ーーまみちゃん?うちにはもうコタロウが居るでしょ?うちはマンションだから2匹も飼えないのね。だからそんなこと言わないの。
吾輩は所在なさげに耳を畳み、腕と腰を伸ばして大きな欠伸をした。聞いてみればなんのことはない、いつものやりとりだ。まみ殿はどうやら人気犬種ぶっちぎり第一位のトイプードルとやらがお気に召したらしい。それを飼いたいというおねだりだ。
ーーマンションで2匹飼ってるおうちもあるもん!
ーーもう....どこで覚えてきたのかしら.....。そうだけど、お金も掛かるしお世話だって2倍になるの。諦めて?ね?
吾輩は只の犬。出来ることと言えば聞いていないフリをして部屋の中をうろうろするだけだ。しかしこうも騒がしくては二度寝もできぬ。
ーーやだよおおお!!柴犬なんてダサいじゃない!!クラスでも誰も飼ってないもんんん!!
聞き捨てならんな。
確かに吾輩の同族はいつも人気犬種ランキングの4位に甘んじているが、ミニチュアダックスフントがブームの時も、チワワがブームの時も常に上位を獲っている。3位内に入賞こそしないまでもだ。根強い人気を誇る犬、それが柴犬なのだ。
「ワフッッ!!」
抗議の意を込め、まみ殿に向かってひと吠えする。
ーーほら、コタロウも怒ってるでしょ?
ーー犬が言葉わかるわけないじゃない〜〜!!
ーーもう....とりあえず日が暮れる前にお散歩に連れていってきなさい。
さんぽ?!さんぽさんぽさんぽ!!!!さんぽさんぽさんぽさんぽおおおお!!!さんぽさんぽさんぽおおおおお!!!!
こればかりは仕方ない。さんぽと言う魔法の言葉を聞くとテンションが上がって駆けてしまう。めんどくさそうにリードを繋ぐまみ殿に尻尾を振り、吾輩たちは散歩に出掛けた。
*****
楽しいでござるなーーww
さんぽ楽しいでござるなーーーwww
ーーちょっと!あんまり引っ張らないでよ!!バカ犬っ!!
ぐほっっ!!!!
リードを引かれ、喉が締まる。しぬしぬ、やめてくだされ。そんなことしたら死んでしまいますぞ。
まみ殿をひと睨みするが、分別のない子供であるから致し方なし。吾輩も少々はしゃぎすぎていたやもしれぬ。舌を垂らし、小動物のような顔で愛嬌を振りまく。
ーーあ、まみちゃん!!
ーーさ、さくらちゃん.....
恐らくまみ殿の御学友であろう少女に道すがら出逢った。なにやら気まずそうな雰囲気が漂っているが、まみ殿のバツが悪そうな態度の理由はすぐに理解できた。
「あら、田舎者の臭いがすると思ったらコタロウさんでしたの、ごきげんようwww」
噂のトイプードルだ。これが気まずさの根源。
「ごきげんようでござる、ミルクちゃん殿」
随分な挨拶をされたが、とりあえず飼い主様の御学友であれば失礼もできぬと近寄ると、その社交辞令は唸り声とともに一蹴された。
「あらごめんあそばせ。わたくし、お口のクサイ貧乏犬とは馴れ合わないことにしてますの。お尻は嗅がなくて宜しくてよ」
「そ、そうでござるか.....」
似たようなやりとりが頭上でもあったのか、まみ殿を見上げると随分悔しそうな顔をしておられた。
ーーじゃあね〜〜〜ww
ーー............
プルプルと震えるまみ殿。恐らく飼い犬の犬種のことで誹りを受けたのだろう。しかしそれもそうだ、どこもかしこもトイプードル。吾輩の同族・柴犬は街から見かけなくなって久しい。
ーー死んじゃえば良いのに...
「クゥン....」
とりあえず甘え声を出し、気持ちは分かるが物騒なことを言うでないと慰めることに努めた。
此度の不始末は吾輩のせいではあるが、根源は人間の業。同調圧力に屈してはならぬよ。まみ殿には個性というものを理解できる立派な淑女になって貰いたい。余裕が余裕を生むのだ。くだらん中傷に屈してはならぬ。
そんな吾輩の気持ちを知ってか知らずか、まみ殿は突然走り出した。やりきれない気持ちを、汗を流して忘れようと言うのだろうか。
ならば良し、と吾輩も駆けた。
まみ殿を追い抜き、どんどん走る。走る走る走る。走って振り向くと、まみ殿は遠くで此方を見ていた。
ーー死んじゃえば良いのに
ふと吾輩はその言葉を思い返していた。もしかして....
急に悪寒がして首を捻ると、巨大な自動車が此方に突っ込んで来ていた。
こ、これは間に合わぬっっ....!!
恐怖で脚が竦んでいるのに、残酷にも思考だけは可能だった。
しかしいくらなんでも酷すぎる....!!
トイプーめ.....!!この所業、許すまじ!!!
*****
恐る恐る目を開けると、吾輩は草原の中に居た。
「はて....吾輩は道路に飛び出して自動車に轢かれてしまったはずなのだがな。これがあの世というものであろうか」
匂いを辿ろうにもまみ殿の匂いはおろか、ママ殿の匂いもパパ殿の匂いも全くしなかった。これはおかしい。余程のことがない限りはこんなことにならないというのに。
「あれは......?」
遠くの丘の上に何やら建物が見える。あそこならば誰か居るだろうか。飼い主に捨てられた家犬など、死あるのみとよく聞く。吾輩は不安に駆られながら、とぼとぼと歩き出した。
ほどなくして吾輩は、立派な建物の前で座り込んだ。
来たは良いがどうしたものやら。運良く家主に会えれば良いが....と逡巡していると、ガラリと戸が開いた。
ーーおんやぁ?犬っころでねえの。まぁだこの辺さおったとはなぁ
吾輩を見るなり、開口一番に男は言った。
みれば男は着物を着て髷を結っている。不思議なことだ。テレビでは観たことがあるが、ちょんまげ姿の人間など現実には見たことがない。
違和感を感じ、吾輩は周囲をぐるりと見渡した。周りに見えるのは遥か遠くの山々。視界を遮る人工建造物は何一つない。この低い身の丈であるにも関わらず、だ。
おかしい、これは絶対におかしい。
「もしかして吾輩、戦国転移しとる...?」
「栃木県民が戦国時代を無双する」
の原稿を書き終えたため、新作に着手しておりました。
こちらはのんびり書いていきます。
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