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零段目 「稲荷山への誘い」


 迷うはずのない道を迷っていた。



   * * *



 真夏の強烈な日差しは山の木々の木漏れ日となって僅かながらも遠くに感じる。

 しかしそれでもこの土地の蒸し暑さは肌にまとわりつく。


 ただひたすらに歩き続け、上下する胸も熱を帯びる。

 終着点の見えない散歩は、はじまりからすでに疲労の頂点に達していた俺をじわじわと疲弊させ、精神力を削っていた。

 

 足を止め、リュックサックからすでに温くなったペットボトルの麦茶を取り出す。

 喉を潤した途端に汗が噴き出す。

 首に掛けたタオルでその汗を拭っていると、石段の十数段前方を登っていた男がこちらを振り返った。


「もう、バテたのか。軟弱者め」


「うるせえ、こっちは徹夜明けなんだよ! このサイボーグ!」


 悪言(あくごん)には悪言で返す。それが彼等の遣り取りの常であった。



 ――彼等がこの山を訪ねたのには理由(わけ)がある。


 別に深くもなんともない理由が。



   * * *



それは、三時間前の出来事だった。



「稲荷山に行こう」



 大学の同期であり、悪友である佐久(さく)が唐突に部屋を訪ねてきて、唐突な一言を放った。



「ああ、行けばいい。勝手に行けばいい。佐久、お前が一人で勝手に行けばいい」

 

 大事なことなので、三回言った。


「何を言っているんだ。当然お前も行くんだ、久慈(くじ)


 俺はわざとらしく、大きく溜息を吐いて見せた。


「俺はたった今、高分子化学のレポートからの脱却が済んだんだ。そんな俺は今、何よりもまず、睡眠を欲しているんだよ! そんな弱った俺にお前はなんという無茶を言うんだ。坂上(さかがみ)教授以上の悪鬼だな貴様!」


 俺がまくし立てると、佐久は少し考え込んだ後、生真面目な顔にさぞ名案が思い付いたと言わんばかりの表情を乗せた。


「分かった、肉を奢ってやるぞ」


 佐久は「分かった、分かった」と繰り返し、俺の左肩に手を伸ばす。

 まるで部下に軽いノリで諭す上司のように。こいつはいつから俺の上司気取りをするようになったんだ。


「どうせ雀肉とかほざくんだろう! 貴様のやり口はこの三年で学びきったんだよ。経験は全てを物語るぞ!」


 疲れ切った身体で叫んだせいか、息が切れる。

 そして、この薄い壁のアパートで早朝からこれだけ騒いで近所迷惑で怒られないかと今更ながら冷や冷やした。

 目の前の佐久はそんな俺の内心を知る由なく、相変わらずにマイペースを決め込んでいた。


「今ならニシン蕎麦をつけても良いぞ、それも二杯」


 佐久は二本の指を立ち上げて、俺の眼前に見せつけてくる。


「百万歩譲って麓まで行くとして、お前はどうせ登るとか言い出すんだろう。しかもてっぺんまで登るまでは帰らないと言い出すんだろう」


 俺は過去の佐久の言動から、想像できる未来を導き出す。

 疲れ切った脳みそでもそのくらいは容易に想像できる。


「当然だろう」


 佐久は、「何を当たり前の事を言っているんだ?」と言わんばかりの顔をしている。

 なんでこいつは俺を巻き込むことを前提に生活しているんだろうか。

 

 その時、頭の中で「ぷつん」となにかが切れる音がする。

 今日という今日は、こいつの傍若無人ぶりに終止符を打たなくてはならないという使命感にかられた。


「……何故そこまでして稲荷山に行かなきゃいけないんだ」


 佐久は生真面目な顔を更に生真面目にして、顔をずいっと寄せて語り出す。


「伏見稲荷には『伝説』があるんだよ、久慈」


 意味ありげな視線を寄越すが、俺はそんな話かと呆れる。


「狐に化かされるなんて、もう聞き飽きた話だぞ」



「……違う、願いが叶うんだ」



「願い……可愛い彼女ができるとかか」


「お前の野望の程度が知れているな。いっそ出雲まで行くか?」


「じゃあ一体どんな願いが叶うんだ」


 俺はイラっとして話の先を促した。


「一番会いたい人に会えるんだそうだ」


 佐久の静かな表情に一瞬気圧されてしまった。


「ずいぶんとお安い伝説だなあ、おい」


 俺はくだらないと笑って見せる。しかし、佐久はそんな俺を無視して続ける。


「それがそうとも限らないんだ。その伝説では、未来の一番幸せな時間における自分に会えるんだから」


「それこそ安いぞ。それにいつから理論物理学に転向した!? タイムマシンでも研究するつもりか!」


「ただの俺の個人的興味さ。この手の話を検証するには主観と客観が必要なんだよ。お前は主観、俺は客観。ほら、ぴったりじゃあないか」


「……色々と引っかかる言葉があるんだが」


 その言い方だとまるで俺に客観性がないみたいじゃないか。


「お前の力が必要なんだよ、久慈」


「気持ち悪いこと言うな、失せろ」


 本当に気持ちが悪い。


「なあ、久慈。仮定には実験を持って答えるべきだと思わないか。お前も言ったじゃあないか。経験はすべてを物語ると」


「それとこれとは話が違う」


「見せてくれよ、お前が持っている『霊感』っていうものを。俺にお前の手腕を見せてくれ」


「お前、本当、マジ、いい加減にしろよ」 


 俺は佐久をめいっぱい睨み付けた。





 俺はもっと早く気が付くべきだったんだ。


 佐久の話術に乗せられていることに。


 佐久に対する一番の対処法は無視を決め込むことと知っていたのに。


 その時の俺はやはり疲れていたのだ。



   * * *



「騙された」

 


 俺はなぜか佐久と稲荷山の麓まで辿り着いていた。


 バスと電車を乗り継いで向かっている最中、少し目を瞑ったことで俺は少しだけ冷静さを取り戻していた。


「そもそも別に今日じゃなくても良くないか!?」


 今更ながら気付いた事実に俺は愕然とする。


「今日はお日柄が良い。そして、今日は満月だ」


「だからなんだと言うんだ」 


「お前は昔から満月の日には霊力が高まるという常識を知らないのか。無知なのか」


「うっせえ、てめえは民俗学に転向しろ。そして俺の人生からさっさと退()ってくれ」

 

 それから俺たちは麓で朝食をとり、言い合いをしながら俺たちは稲荷山を登り始めた。



   * * *



 山を登り始めてから一時間が経った頃、先に異変に気付いたのは佐久の方だった。


「久慈、お前気が付いているか。さっきから時計が全く進んでいないんだ」


 佐久は後方を歩く俺を振り返り、腕時計とスマートフォンのディスプレイを向けてきた。


 そこには、体感していた時間と明らかに合わない時間が表示されていた。

 そしてそれを確認している間も、秒針は一切動くことはなかった。




「化かされた、か」



 佐久が呟き、俺は静かにキレながら呟いた。



「佐久、てめえ、マジふざけんなよ……!」




 

 俺たちは、迷うはずのない道を迷っていた。



 参道を埋め尽くす朱色の門と、辺りを覆う緑のコントラストはやけに現実的で、この異常事態を余計に際立たせていた。



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