表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/13

お節箸 交えて赤らむ 義父と娘

 一月二日の昼、三人で残りの御節を食べつくそうと話をしていた時、母の会社から電話が掛かってきた。

「泥棒が入ったらしいの。ちょっと様子を見て来るから、二人で仲良く過してね」

 母は、そう言い残して、出かけて行き、神野さんと二人きりになった。

 毎日、この人と話をしているものの、それは母との会話のついであって、二人だけで会話するとなると、正直、困ってしまう。

 でも、会話しないで、御節をただ摘まむだけと言う訳にもいかない。

「慶桜だったよね。何学部?」彼もそう思ったのか、先に話し掛けて来た。

「情報システム工学部」

「えっ、四葉商事に入社したから、文系だと思っていた」

 確かによく言われる。でも、バリバリの理系女子で、私は研究開発が大好き。

「裕ちゃんには内緒だけど、本当は日電通に行きたかったの。でも電機業界って給料が安いじゃない。あの時は、なによりお金を稼ぎたかった。だから商社にした」

 母は、今でこそ、社長をしているけど、当時はまだ膨大な借金に苦しんでいた。だから、少しでも母に楽させたいと、修士にも進まず、お金の稼げる商社に入った。

 自分で決めた事なので、後悔はしていないけど、最近は、あの時、電機の大手企業に進んでいたらと、つい考えてしまう。

「日電通で何をやりたかったの?」

「フォトニックネットワーク」

「光ルーター?」

「理系の知識は凄いって聞いていたけど、本当だね。光ネットワークとの違いを説明しなくて良い人なんて、会ったこと無いよ」

「何時も、OOO、OEOの説明と、ETCでの渋滞緩和の説明からするんだ?」

「ホント、助かる」

 Oは光、Eは電子。全て光で処理できるOOO状態だと、高速スループットを得られるけど、現状の光ネットワークのルーターはOEOで、一旦、受光素子で電気信号に変換してから半導体レーザーを駆動する。なので、そこが料金所の様に渋滞の原因になる。この分野でよく用いる説明だ。

「じゃあ、エバネセントでヘッダーを読む技術の開発を遣りたかったんだ」

「なにそれ? エバネセント?」

 初めて聞いた用語で、興味が湧いた。

「なんでもない。忘れて」

「嫌だ、気になる。エバネセントって何?」

 彼は席を立ち、水の入ったコップを持ってきて、上から覗くように指示してきた。

 コップの中は鏡の様になっていて、反射して何も見えない。全反射角以下なので当然そうなる。だが突然、そこに彼の指が現れた。

「これがエバネッセント効果。コップ表面に接触させると、厳密にはサブナノメーター以下に近接させると、近接場光と呼ぶ光のトンネル効果が起こるんだ。その透過した光が再び戻って来て、物体を視認できるようになるんだよ。この光のトンネル効果、近接場光がエバネセントというものなんだ」」

 私は応力歪か何かで、反射角が変わったんじゃないかと、自分で試してみた。けど、軽く触れるだけで、確かに指が視認できる。エバネッセント効果なんて、初めて知った。

「わかった。レーザーを全反射しながら同時に識別できるってことね。で、それをどう光ルーターに使うの?」

「それは、秘密だから言えない。この効果をどう使うか、それは極秘事項だから」

「ケチ。でもそうだよね。自分で考えなくては……」

 まさか、ここで私の知らない新たな方式を教えてもらうとは思いもしなかった。

 その後も、つい興奮して、彼がこの分野をどうやってそんなに詳しく知っているのか問い詰めた。

 彼の大学の同期が、その研究を極秘でしていたらしい。でも、それ以上の詳細はガンとして話してくれなかった。そして、彼は話を逸らそうと、話題を変えて来た。

「北米四葉商事で、ネットワーク・インテグレーションを担当してるんだよね。それなら、光ルーターの研究も出来るんじゃないの」

「商社だよ。ネットワーク・セキュリティーの会社とコネクションを取って、ビジネスソリューションを提供する事務仕事。研究開発なんて、まるで無し」

 年末の時は、母が居たので、話せなかったけど、開発一筋に生きて来た彼に、意見を聞いてみようという気になった。

「実は、もう会社を辞めようかと思ってるの。裕ちゃんには、内緒だよ」

「どうして、七月に主任に昇格したばっかでしょう」

「だからよ。私はずっと、フォトニックネットワーク開発を遣りたかった。でも、一人前と認めてくれるまでは、辞めちゃいけないと頑張った。けど、主任になれたでしょう。だから、会社を辞めて、何か自分を活かせる好きな仕事にチャレンジしようかなって……」

 私がウインクすると、神野さんは、はっとした表情を見せた。意外と初心で可愛い。私はしっかりした父の様な紳士が好みだけど、母が好きになったのが少しだけ分る気がした。

「再就職しても、必ずしも、遣りたい仕事に付ける訳じゃないよ」

「分ってる。研究開発なら何でもいいの。私、意見をぶつけ合って、議論しながら研究する事が好きなの。母には、絶対に理解してもらえないと思うけど……」

「確かに裕子には理解されないね。でも、自分は応援するよ。長い人生だ。お金があるに越したことはないが、遣りたい事を思いっきりやれる方が幸せだよ」

「有難う」

 彼に言われて、心の迷いが振りきれた。

「それじゃ、君の新たな門出を祝って、祝杯でもしようか」

 そう言って立ち上がって、缶ビールを手に戻ってきた。

 私はつい嬉しくなって、ここは日本なのに、彼にハグしてホッペにキスしていた。初心な彼は、耳たぶを真っ赤にしていた。

 第一印象は最低だったけど、今はとても素敵な人だと分かる。私もこの人が大好きになった。母を見ていて、義父になるのもしかたないなと納得していたけど、今はこの人の良さが良く分かる。将来の不安も含め、私を温かく包んでくれる暖かく優しい人。この人は私のダッドに相応しい。そう確信した。

「来夢ちゃんは、仕事柄、ネットワークセキュリティーについても、詳しいのかな?」

「仕事では、さっきも言った様に、突っ込んだ技術的内容は議論しない。でも、個人的には興味が有るし、ハッカー対策の必要もあって、かなり詳しいよ」

「それは良かった。私は、ネットワークセキュリティーが苦手でね。できれば、その辺を詳しく教えてくれないかな」

「いいよ。ハッキングの基礎から、教えてしんぜよう」

 その後、先生気分で、ネットワークセキュリティーについて、教えていたけど、彼は色々と突っ込んだ質問をしてきて、白熱した議論になった。

 専門家同士で議論を交わすのはやっぱり面白い。早くこういう仕事をしてみたい。

 あっという間に、一時間が経過し、重箱も空になった。

 そろそろ母も戻って来そうな時刻なので、二人で片づけを始めた。

 でも、私はもっと、彼に自分を知って貰いたい気がした。彼なら、きっと私の趣味も理解してくれるはず。

「ねぇ、ロボット工学の権威なら、アストロボーイってハッカーを知ってる?」

「鉄腕アトムは知ってるけど、ハッカーは知らない。いや、昔、会社の後輩が雑談してたのを聞いたことがある。アメリカのなんとかと言うハッカー集団に、アストロボーイを名乗ってる奴がいるって」

「お義父さん、やっぱり最高。実は、そのアストロボーイの弟子を名乗るハッカーが、ニューヨークを荒らしまわっているの。うちのシステムも荒らして、困ってる。ザ・ライムライトって聞いたこと無い?」

「チャップリンの映画や、最近はやりの光美顔治療器なら知ってるけど」

「その光美顔器って何よ」

 そんな事を話しながら、ダイニングテーブルを拭いていると、「只今」と玄関から母の声がした。もっと、私の話をしていたいけど、流石に母には知られてはならない秘密。

「二人とも、仲良くしてた」

「ううん、二人で大喧嘩してた。でも、随分、仲良くはなったよね」

 そう言って、私は神野さんにハグして、耳元で「絶対に内緒だよ」と呟いた。

「ちょっと、何をしてるの。やめなさい」

 彼だけでなく、母までおろおろして駆け寄ってきた。少し意地悪し過ぎたかもと、反省した。でも、私には、とても刺激的な良い一時間半だった。

 ニューヨークに戻ったら、早速、行動に移そう。そう強く決心していた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ