松飾 二人で括り 母笑顔
東京の冬は、ニューヨークよりも温かい。天気が良く、陽光が降り注いでいるからかもしれないけど、身体は温かく感じる。
でも私の心は失恋の傷心をいつまでも振り払えずに、雨はやんだけど、曇り空で寒々と冷え込んだまま。
この角を曲がると、大きな塀に囲まれた我が家だといのに、このままではいけない。
私は引っ張っていたキャリーケースを引き寄せて手を放し、顔を両手でパチンと叩いた。
この年末年始、本当は彼氏と二人で、ここに来る予定でいた。私もこの人と結婚するつもりなのと、母に紹介したかった。でもそれも叶わない。
その落ち込んでいる心を、母に悟られない様に、明るく元気に振舞えるように、私は気合を入れ直した。
角を曲がると、うちの門の前に、人影が見えた。どんな人なのか、ここからは良く分らないけど、おそらく母と同居を始めた母の恋人に違いない。
父の亡霊に憑りつかれ、ずっと独りだった母も、漸く再婚相手に巡り合った。
相手は、未季の婚約者の父親で、今年の夏、従妹の未季を紹介するお披露目の宴席に、母が付き添い知り合った。でも、その一年前の葬式にて、既に顔を合わせていて、母は、その時から、将来結ばれる運命を感じたのだとか。
母に運命の人と言わせた男が、一体どんな人物なのか、見極めて遣ろうと近づいた。
キャリーバックがゴロゴロと音を立てているのに、その人は夢中になって門松を設置していて、私に気づかない。
白髪の多いぼさぼさ頭に、水色のダウンのジャンパーを着ていて、正直、父とは全く違うやぼったい男で、がっかりだった。
「こんにちは、お義父さん」
驚いて振り向いたその顔も、大きな獅子鼻に、左右非対称の顔で、正直、不細工顔だ。母の嗜好は理解できない。
「あれ、四時頃って聞いていたのに早かったね。裕子が待っているから、先に行ってて」
丁度、スカイライナーがあり、最短時間で帰宅できた。
この神谷邸は、歯科医をしていた父がバブル時代の崩壊直後に立てた豪邸で、小門を潜ってからも十メートル程歩かないと、玄関に辿り着けない。
私は砂利道ではなく、車道側を歩いて、玄関に向かった。
「只今」
靴を脱いでいると、母が顔を出した。
「随分と早かったわね。あの人に会った?」
「今、挨拶した。裕ちゃんが好きなら構わないけど、趣味悪くない?」
「あら、外見で人を判断するなんて、あなたらしくもない。どうしちゃったの? 失恋でもした?」
母は察しが良い。あれ程注意していたのに、彼氏への怒りが、母の恋人への八つ当たりになっていたのかもしれない。
「私が男に興味が無いのは、裕ちゃんも知ってるでしょう」
「そうよね。でも仕事ばかりしてないで、婚活しなさい。子孫を残すのは義務だし、彼がいるってだけで、人生は変わるから」
何とか誤魔化せたけど、その仕事ですら、今は夢中になれない。
失恋の痛みからではない。以前から、自分の仕事に疑問を抱いていて、私はこんな仕事をしたかったんじゃないと思い続けていた。
彼に相談しても今の仕事を続けろというし、彼の為にも、その感情を抑え頑張ってきた。
でも、それも必要なくなった。
「今、お茶をいれるわね。珈琲の方が良い?」
「ハーブティーにして」
彼とは、今年の正月に旅先のエジプトで知り合った。同じニューヨークのフォレスト・ヒルズだと盛り上がり、旅行から帰ってからも度々会って、急速に親しくなった。
二つ年下の普面で、仕事は二流で大した男ではないけど、どんどん好きになり、私がこの人を支えて生きて行くと決めた。彼は私一筋に愛を注いでくれていると誤解し、結婚相手として付き合ってきた。
それなのにクリスマスイブの夜、私とデートの約束をしてくれなかった。
私が東京に行こうとしつこく誘ったこともあるけど、彼は二股を掛けていて、私より五つも年下の金髪女を選んだ。彼に重い女と思われ、あっさりと逃げられてしまった。
これで三人目の失恋。私は男を見る目が無いらしい。
「はい、どうぞ」
母特製のハーブティー。荒んでいた心が静まって落ち着いていく。
その時、玄関からあの男の声がした。
「裕子、玄関の注連縄は、ここで良いか?」
母は嬉しそうに玄関先に駆けて行った。
お茶を飲み終わり、部屋に荷物を運び入れている時、玄関先の二人を覗いて見た。そこには最近見たことが無かった幸せに満ち溢れた母の笑顔があった。
今年の夏、父の十三回忌に帰宅した時とは大違いで、毎日が楽しくて堪らないみたい。母は、私と違って、すべてに於いて抜かりなく幸せを勝ち取っていく。
居間に戻ると、母がきちんと彼を紹介してくれた。電話で話しは聞いていて、元ハナダ自動車のエンジニアとは知っていた。けど、まさか、あの世界をあっと言わせた人型ロボット『ハシモ』の開発主任の天才技術者とは知らなかった。人は見かけによらない。
「今はプータローで、家で小説を書いているの」自慢げに紹介するところが、母らしくない。
「ねぇ、裕ちゃんの最も嫌いなタイプじゃなかったの。自称小説家なんて」
「そうよ。今だって自称小説家なんて大嫌い。でも、この人は自称で終わらない。私が見込んだ男よ」
昔の母では考えられない発言。恋は盲目で、おかしくなっている。褒めた訳でもないのに、でれでれとするこの男が、母を狂わせた。
私は、この男の正体を見極めて、母の結婚を阻止しなければと真剣に考えはじめた。
その後は、彼が「おせち料理の仕込みをしてくる」と席を外し、互いの最近の生活状況を話し合った。
私は男の気配を悟られない様に細心の注意を払い、仕事を中心に、ニューヨークでの生活を話す。
母は仕事の話は一切せず、あの男の話を続ける。
「そこは、以前、電話で聞いてるから」と突っ込みながら、全てを開けっぴろげに話せる母が羨ましかった。
「この間のクリスマスには、あのカラクリオルゴールを直してくれたの」
小鳥が飛びまわって囀る、母の大切にしていたオルゴール。父が母にプロポーズする時に、何故かこれを渡して来て、開けると小鳥がポンと婚約指輪をはじいきたという母の宝物。
実は私があれを壊した。小学生の時、友達に見せたくて、こっそり持ち出そうとして落としてしまった。
母はその事を知っていたのに、自分が落として壊したと父に言い、必死に修理先を探し回った。
何処も無理と断わられる中、一軒だけ、同じ品が買える程の高額で修理すると言ってきた所があった。でも結局、複雑すぎて直せないと突き返された経緯がある。
「嘘、あれを直したの?」
「そう、私のために徹夜で頑張って、『君の大切な思い出の品でしょう』と渡してくれた。パパとの想い出を大切にしているって知りながら、そんな私を愛してくれる」
それが本当なら、ロボット工学の世界的権威というだけでなく、機構学に熟知した超一流のエンジニアということ。彼は、その道のプロも投げ出す複雑な芸術品に近い精密機械の構造を理解し、修理したと言う事になる。
「後で見せてあげるね。それで彼にはまだ内緒だけど、彼の腕を活かせて、小説のネタにもできる様な仕事を考えているの。丁度、二月に駅前ビルの三階事務所の契約が空くの。だから……」
母は、からくり人形の様な複雑な貴重品の修理を請け負う、ちょっと変わった便利屋事務所を彼に任せるつもりと打ち明けてきた。
確かに、凄い技術を持っているみたいだし、反対する理由もない。
「いいんじゃない」
七月の時とは、別人の様に明るく楽しそうな母を見て、私はもう二人の関係を邪魔する気を失くしていた。