大掃除 蛇口に映る 顔にやり
長編小説「大好きだけど……」の第四話 神谷来夢編
「社長、何か良い事でもあったんですか?」書類を受け取りに来た秘書に言われた。
今年の年末年始は、独りではないと思うと、仕事をしていても、笑顔がこぼれてしまう。
「何も無いわよ。気にしないで」 いけない、いけないと、表情を引き締めた。
「実は、高田馬場支店の例の件で、株主が説明を求めてまして……」
「その件は、深山君に任せているでしょう。彼はどう言ってるの?」
「社長の判断を仰ぎたいということでして……」
今日は仕事収めなので、午前中で仕事を切り上げ、早く帰って、昴と大掃除する予定。なのに緊急会議が入ってしまった。年末は色々あって、時間の都合を自由に付けられない。
帰宅したのは午後の三時で、それから大掃除に参加することになってしまった。
結局、この広い屋敷の大掃除を、昴独りに押し付けたことになり、申し分け無くてならない。
お詫びに、セックスでもさせて上げて、埋め合わせしたい所だけど、きっと疲れているよね。
そんなことを考えていたら、来夢から電話が掛かってきた。
来夢は、四年前の夏、突然、アメリカに行ってしまった三十歳になる一人娘。
時刻は二十一時。ニューヨークは、朝を向えたばかり。
「もう、ずっと連絡しないで。男でもできたの?」
二週間に一度は電話する様に、言っているのに、十二日に私から連絡したきり。
「忙しかっただけ。仕事一筋。ところでお義父さんとの同棲って、もう始まってる?」
「二十三日に、未季と入れ替わりで引っ越して来たわ。でも、同棲じゃなくて同居。それに、お義父さんはまだ早い。プロポーズすら、してもらってないんだから」
昴と私の関係は、既に娘に話してあるけど、信じて貰えていない。私自身、未だに信じられないけど、彼とセックスしてから、愛の呪いの様なものに、縛られてしまった。
私と彼が、二十四時間以上、離れていると、私は心不全を起こし、死んでしまう。
関係した翌日の九日の夜、実際に意識不明で緊急入院し、死にそうになった。心臓が信じられない程激しくなり、呼吸もできなくなり、意識を失った。でも、昴が駆け付け、手を握ってくれた途端、嘘の様に鼓動が治まった。昴はその原因の仮説を立て、触れ合ってから二十四時間経つと、発症する事を突きとめた。
つまり、一日一回、触れ合いさえすれば、普通の生活を送れるけど、彼とはもう一生、別れる事ができないと言うわけ。
彼は、それでも同居を嫌がったけど、何とか説得して、同居生活を始めた。
「その歳で、プロポーズなんか待ってんだ」
「失礼ね。これでも女なんだから、当然です」
「でも、好きな時にセックスできるから、幸せなんでしょう」
少しドキリとした。今の心の中を見透かされている気がする。
「バカ言ってんじゃないの。彼とのセックスは一度だけ。同居してからも、してないわ」
「クリスマスも? 同棲までしたのに?」
「貴女ね。私たちの関係、信じてないでしょう。本当なんだから……」
「ハイハイ。じゃあ、さほど、ご迷惑でもなさそうなので、明後日、帰るから」
「三十日の何時? 何時まで居るの?」
「十三時五十五分、成田着。三日の十時二十分発で戻る予定。で、未季は、今年はそっちにいるのかな。結婚式の前に話しておきたいことがあるんだけど……」
「残念。今日から武生さんと一緒に婚前旅行。正月はそのまま一緒に、秋田に帰省するそうです」
「ちっ、一人なのは私だけか。仕方ないので電話で話す。じゃ、手ぶらで帰るから」
そう言って、来夢は電話を切ってしまった。
三十歳になるのに未だ独身。女性は子孫を生んで育てる義務を負っている。私は一人しか産まなかったので、偉そうに言えた身分ではないけど、平均二人は子供をもうけないと、人口減少して日本は滅びてしまう。いつまでも、過去の男を引き摺ってないで、早く結婚して欲しい。
それにしても、正月に帰省して来るって、どういうこと。
来夢は、夏には必ず顔を見せるけど、正月には帰省してくれない。年末から正月に掛けて、一年間頑張ったご褒美に、世界各地を旅行する。渡米した最初の年は、帰って来たけど、それからは三年続けて海外旅行。未季も秋田に帰省するので、私は一人ぼっちの寂しい正月を過ごした。今年は昴さんと一緒と喜んでいたら、なぜか来夢まで帰省してくる。あの人と付き合い始めてから、不思議とすべてが好転する。
そんな事を考えていたら、無性に彼に抱かれたくなった。私は、来夢の帰省を報告しておくと言う名目で、彼の部屋に向かった。
「少し良いかしら」
私は、彼のベッドに腰掛けた。彼も文筆活動を停止して、私の横に腰かける。
「娘が明後日の十六時頃、こっちに来ることになったの。三日まで、ここに泊まるけど、構わないわよね」
「何を言ってるの。自分は居候で、ここは君と来夢ちゃんの家でしょう」
「そうなんだけど、あの子、いろいろとあなたに質問してくんじゃないかと思って」
「自分が変な事を言わないかと心配しているんだ。心配しないで、君の恋人に相応しい、紳士の様に振舞うから」
「無理無理、貴方がどんなに頑張っても、直ぐボロを出すに決まっている。素のままの貴方を見てもらえば良いの」
私は、身体を後ろに反らし、そのままベッドに横になった。
「あの子、私に似て、いろいろ仕掛けてくるから、きっと」
彼も、ゆっくりとベッドに横になり、肘枕をしてこっちを見る。
「来夢ちゃんは、私達の事を認めてくれたって、この間言ってたけど、もしかして、まだ詳しくは話してないの」
「全て話してあるし、結婚に関しては、私の好きにすれば良いと言ってたから、それは問題じゃ無いの。でもあの子、貴方を父親として認めていないかもしれない」
「じゃあ、父親として認めてもらえるかの試験なんだ」
「そういうこと」
私は目を瞑って、彼が求めて来るを待った。彼は暫く私を眺めていて、それから耳元で静かに話し出した。
「そう言えば、この家には来夢ちゃんや徹真さんの写真が飾ってないよね。何で?」
ここで、徹真の話を出すか。こいつ、私を抱く気がないな。
「主人の写真と、家族の写真は、彼の部屋に移した。過去は過去だもの。今は貴方だけで良いの」
そう言って、再び、彼に私を差し出した。
「お風呂、入れてくる」
彼は立ち上がって、部屋を出て行った。
おい、いい加減にしろ。
もしかして、お風呂に入った後でと言う意味だったのかもしれないけど、怒りですっかりその気がなくなった。
でも勉強になった。彼を誘う際は、お風呂に入って寝間着に着替えて、すっかり準備してから迫るべきだと。