41、スーパーの前でⅡ
奈美子、スーパーでの負の感情を払拭できる時が来ました。
ラスト2回。どうぞお付き合いください。
加藤さんは、私を見てはっとした。
私は一瞬「偽善者!」という声が聞こえた気がして、会釈するのをためらった。
しかし驚くことに加藤さんが私の方へ近づいてきたのだ。
「佐竹さん」
その声は、スーパーで勤めていた時とは違うとても実直な声だった。
「加藤さん……」
「佐竹さん。今ちょっといいですか?本来、立ち話で済ませるような話ではないのですが……」
攻撃的な雰囲気が微塵もない加藤さんに、私は戸惑いつつ向き合った。
「佐竹さん。私佐竹さんにお詫びしたくて……。本当に申し訳ございませんでした」
「え?」
私はチーフが謝罪し、スーパー側に落ち度があるのを認めたと言っていた聡の言葉を思い出して、チーフが加藤さんに伝えたのかと思ったが……。
加藤さんから紡がれた言葉はまるで違った。
「佐竹さんがスーパーをお辞めになってから、ずっとお伝えしたいと思っていたのです。佐竹さんのお母様がスーパーにいらした時、私が間違っているのかもと思い始めました」
私はどういうことかと、加藤さんの言葉の続きを待つ。
「私の子どもに私と同じ障害があるのは、前にお話したと思います。息子の障害のことを考えたら、「誰でもできる仕事」にさえ就けないとあなたに言われたようで、あなたを嫌いました。
でも、お母様の必死な顔を拝見したとき、あぁ佐竹さんにもお母様がいて、佐竹さんを思っていたのだと気づいたのです。私と同じだと」
私はあの時の母の心情を想像して、少し泣きそうになった。
「そんな時、佐竹さんの代わりに入っていたパートの女性に、たびたび無視されるようになりました」
「えっ」
「その方は、私の障害をとても怖いと仰って、目も合わせません。そして、斎藤さんが私に就くことも効率が悪い、やり過ぎだとも言いました」
私はあまりの事実に、言葉が出ない。
「私に挨拶してくれていた佐竹さんのありがたさが身に沁みています。あの時は本当に申し訳ございませんでした」
そこまで話すと、加藤さんは頭を下げた。
加藤さんの事情を知っていても、無視するなんて……。
私は必死で言葉を絞り出した。
「あの……大丈夫なのですか?」
我ながら言葉足らずだと思う。
でも加藤さんにはしっかり通じた。
「辛いですが辞めませんよ。こんな良い条件で働ける場所は、私にはここしかありませんから」
私はその言葉に一瞬絶句し、思わず涙ぐんでしまった。
「頑張ってください。なぜ小畠さんが加藤さんのことを正直でかんばりやさんと言ったのか分かる気がします」
加藤さんは、顔をほんのり赤らめた。
「けれど……私は……まだ……まだあの時の傷は癒えていません。やはり今でも思い出すと、心に嫌な感情が湧きおこります」
加藤さんが正直に話してくれた。
だから私も正直に話そうと思った。
加藤さんの顔がみるみる強張っていく。
「佐竹さん、本当にごめんなさい。それに……私が言うべきことではないかも知れませんが、綿貫さんも佐竹さんに謝罪したいと言っていました。子供の受験でイライラしていた感覚で佐竹さんをみてしまったと……」
目に涙を貯めて、加藤さんを見る。
「謝っていただきたくて言ったのではないの。ただ私は……やっとそこから抜け出せる希望を見つけました。それはあの時の経験がなかったら、その希望には辿り着けなくて……」
私は何を言っているのだろう?
自分でも口下手だと思う。
「スーパーでの経験がなかったら、私は一生子供のいない悲しみを背負って生きたと思います。そして、偽善者のように取り繕うこともし続けたと思います。あの経験が自分を変えるきっかけになりました。今の私は、あの時とは違います」
「私にも……そう……みえます……」
「ただ先ほど言ったとおり、まだ傷が完全に癒えたわけではないので……。だから……だからありがとうなんてお礼をいう事はできないです」
下を向いていた加藤さんが、はっと私を見た。
私はどんな顔をしていただろう?
自分でも想像できたのだが、加藤さんにも十分こちらの気持ちは伝わったようだった。
だって花が綻ぶように笑ったから。
「本当に変わられたと思います」
とほっと息を吐いた。
「だから加藤さんも頑張ってください。無視に負けないでくださいね」
嫌みではない。
それは加藤さんが再び微笑んだことでも分かった。
「ありがとうございます!がんばります!」
それから二言三言言葉を交わし、私たちは別れた。
謝ってもらった事実ももちろんそうだが、加藤さんの笑顔が私の心を浄化してくれたように思う。
自分の正直な気持ちを他人に受け止めてもらえることが、こんなに嬉しいことだとは。
それ以来、スーパーでの一件を思い出しても、嫌な感情は薄っすらしたものになった。
いよいよ現在の私が、現在の私を語る時が来たようだ。
私の物語も、ラストが見えてきた。
未来はどうなるかは誰にも分からない。
けれど、夢は恐れを希望に変えてくれる。
そして、それこそが人が自分自身で起こす奇跡なのかもしれないと私は思う。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
次週、最終回です。