4、加藤さんという人
奈美子が負のループにはまっていきます……。
その翌日、私が入って3日目、私は事務室の扉を開けるのがいささか怖かった。
また、加藤さんに無視されたらいやだな……、そして昨日の休憩時にも2、3人のパートさんが、あからさまに私に冷たい目を向けてきていたから。
でも、私は努めて明るくふるまった。
みんなと仲良くなりたかった。
そう、加藤さんたちとも。
加藤さん以外の人たちは、名前も知らない仲。
そう、まだ何も始まってもいないのだ。
「おはようございます」
そうにこやかに入っていった。
「おはようございます」
何人かがすぐあいさつを返してくれたので、とりあえずホッとする。
しかし、やはり加藤さんは黙ったままだ。
「加藤ちゃん、おはよう」
綿貫さんが、加藤さんにあいさつする。
「わたっち、おはよう」
加藤さんが、満面の笑みになる。
本当にびっくりした。
加藤さんって、笑うんだ。
偏見も良い所だけれど、私はこの3日間、加藤さんの笑顔を見たことがない。
綿貫さんに勇気をもらって、私も加藤さんに名指しであいさつした。
「加藤さん、おはようございます」
場の空気が変わったような気がした。
加藤さんは無言。
代わりに、綿貫さんが私に言う。
「おはようございます。お仕事、慣れてきましたか?」
私は加藤さんに無視されたショックを隠して、綿貫さんに謙虚な気持ちで言った。
「私、さっそくミスしちゃって。こんな簡単な仕事でもそうなのですから、私ってどんくさいですね」
笑いを誘うのは無理かもしれないが、自分に対する率直な感想だし、わざとらしくもしないから、反感など買うはずがない、私はそう思った。
が、また、その場の空気が変わった。
加藤さんから、怒気のようなものを感じる。
私は、背筋が凍った。
このスーパーに就職してから背筋が凍る体験を何度もしたが、私には加藤さんがなぜこんなに不機嫌なのか、皆目見当がつかない。
理由が分からないということは、得体のしれない恐怖をかきたてると私は、この時知った。
自分が預かり知らぬところで、何かが起きている。それも喜ばしくないことで。
怖い。
正直、顔がひきつった。
綿貫さんが、その場を取り繕うように言った。
「だれでも最初はミスしますよ。気にしない、気にしない」
その言葉も届かないほど、私は動揺していた。
そこが、長年家という人間関係のぬるま湯につかっていた私の弱点だったのだろう。
久々のこの嫌な感じにすっかり飲まれてしまっていた。
加藤さんは、その間に私から離れて、お茶を一口飲んで、他の人に言った。
「斎藤ちゃん。今日もフォローよろしく!斎藤ちゃんがいるから、安心して仕事できるよ」
斎藤ちゃんと呼ばれた若い女の子は、笑って言った。
「加藤さん、そうやって私をやる気にさせてくれる。だから好き~」
私は、その会話が別世界で交わされているように感じていた。
私という人間は、加藤さんの世界にはいない、もしくは……排除したい存在かもしれない。私はエプロンに手をかけて、決意した。
“今日も仕事をがんばろう。よけいなことを考えてちゃだめだ”
「佐竹さん、リラックス、リラックス」
そう言ってくれた綿貫さんの声を聞き逃してしまった。
聞こえなかった私は、何も言わず、エプロンに袖を通し始めた。
どうしてこうなのだろう。
そして、私はこの時どんな顔をしていたのだろうか。
それなのに、加藤さんの事務室からでていく声はしっかり聞いていた。
「なめんなよ」
私のことではないかもしれない。
でも、気の弱い私の背筋を凍らせるには十分な言葉だった。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。