34、カウンセリングの先生Ⅱ
奈美子の心が明るくなっていく様子は、嬉しいものですね。
私は香山先生の言葉を何度も心の中で反芻する。
“人に必要とされている感覚か”
確かに聡を筆頭に父も母も私を必要としてくれる。
確かにそれを実感して眩暈を克服できそうだが、まだ体は休息を求めているところがある。
「私友人以外の他人に必要とされたことはないかもしれません。仕事もうまくいかなかったですし」
「そんな風に難しく考えることはないと思うのよ。何も特別なことはいらないと思うの。人に挨拶したり、買い物したりすることだって、お店の人のお給料に直結しているのだもの、必要とされることだと思うのよ」
「はあ」
私はいまいち納得がいかなかった。
私は加藤さんに挨拶して偽善者と呼ばれたし、買い物することも自分が必要だからしているという気持ちの方が強い。
「佐竹さんは、きっとそういう細やかな必要を今感じられない状態なのね」
「そうですね。買い物は自分が必要だからしているので」
「そうね。確かにそう。必要だから……本当にそうね。でも、佐竹さんの払ったお金が、お店にとって重要なのは分かる?」
「……」
私の払う数千円なんかなくたって、お店は回るだろう。
「佐竹さんの払ったお金は、お店にとってほんの一部。誰もがインフルエンサーのように、大きな影響を与えられるわけではない。でも、その些細なものを大切にしないで、感謝もできないお店、良いお店だと思う?長く続くと思う?」
「確かに……。思いません」
「ならば、お店にとってあなたは必要な人だわ。そんな風にして、この世は成り立っているような気がするの。だから、佐竹さん、きっとあなたにも自分で心から実感できる家族や友人以外の人に必要とされる存在感があるはずよ。まだそれに気づいていないだけ。先ほども言ったけれど、それは仕事とは一概に言えないかもしれないわ」
「仕事ではなかったとしたら、何でしょうか?」
「それは……自分で見つけるしかないわね」
「自分で……見つける……」
「ただ私は今日あなたに出会えて心から良かったと思うわ。大学の可愛い後輩、カウンセリングの貴重なお客様。確かにそれもそうよ。でも何よりも私という存在を必要としてくれたあなたという存在に私は感謝しているわ」
「そういう考え方もあるのですね。私は香山先生にとって、必要な人間になれたのでしょうか?」
「そうよ。私はあなたのおかげで充実した時間を過ごせたのだもの」
「私もです。私も香山先生に出会えて良かったです。なんだか心が温かくて、とても気分がよいです。私ももっともっと見つけてみます。私を必要としてくれる人を。そしてもっともっと必要とされる人間になります」
「佐竹さん。そんなに頑張らないで。十分あなたは魅力的だわ。あなたがあなたらしく輝ける場所、それがきっとあると思う。だから、まずそれを探したら?」
「私が輝ける場所?」
「そう。佐竹さんが自然体でいられて、必要とされる場所」
「そんなところがあったら素敵ですね」
「きっとあるわ。見つけられるわよ」
私は、色々な思いが去来する中、頷いた。
これは私が一生をかけて答えを見つけるべき問いだ。
本気で変わるならば今だ。
香山先生は自然体でと仰っていたが、自然体とは今の自分のままでいいとは違うと思う。
偽善者と呼ばれたような自分、子供がいない悲しみが深すぎる自分は、やはり自分自身のためにも改善した方が良いだろう。
他にもいろいろ聞いてもらいことがあったが、時間が来てしまった。
私は香山先生の目を見てお礼を言った。
スーパーでは怖くて、人の目をみて話せなかった。それを思い出すと、やっぱり心が一瞬ちくりとして、軽く眩暈がした。
しかし、ぐっと踏ん張る。
目の前の今は亡き祖母に似た香山先生の優しい笑みで眩暈はすぐに収まった。
「香山先生、ありがとうございました。今は自分が必要とされる場所なんて家庭以外皆目検討がつきませんが、前向きな希望をいただきました。子供がいない寂しさも夫のために越えていけるかもしれないというのは大きかったです」
「それは良かったわ。私も負けないよう、大学のレポートをがんばるわ」
「また来ます」
「えぇ。またいらして。私、佐竹さんのお陰でここをおしゃべりサロンにすることにしたわ。カウンセリングでは自由に発言できないもの」
「そうですね。臨床心理士がやっているおしゃべりサロン、とても素敵だと思います」
そう言って笑い合った。
私が他人と笑い合っている。
ここ3週間では、考えられなかったことだ。
私は嬉しく思いながら香山先生のカウンセリングルーム、いやおしゃべりサロンを後にした。
お読みくださり、ありがとうございました!