27、人の気持ちを考えられないということ
奈美子、今がどん底です。
聡に診断結果を伝えることは気が重かった。
自分の性格に難があったから、スーパーであのようなことが起きた。それは分かっている。
しかし、たった1週間勤めだけで心療内科に行くことを勧められるまで自分が弱いとは夢にも思わず正直落ち込んだ。
私は努めて何でもなかったように、聡のLINEにメッセージを送った。
“取り立てて異常はないって。ちょっとストレスが溜まっただけみたい。少し休めばよくなるわ”
聡からはすぐに返信があった。
仕事中なのに、よほど心配だったのだろう。
“取り敢えず異常がなくて良かった。週末には帰る。その時、話を聞くよ”
ベッドの中で身も心もさらに重くなる。
“聡になんて話そう”
正直に言えばいい。
そう思うが、大企業で戦っている聡からしたら、きっとどうしてそんなことでここまで心壊れたかは理解できないだろう。
あの時、自分の思いを加藤さんに押し付けた。
それを「偽善者」と呼ばれた。
理由は私が加藤さんの気持ちを考えられなかったから。
そして、矢作さんもそう。矢作さんの気持ちを考えられなかったから。
私はスーパーや学校で、人の気持ちをちっとも考えられなかった。
いや人生全般で、かもしれない。
眩暈とどうしようもない自己嫌悪と戦っている内に、週末が来てしまった。
薬で少しは抑えられているものの、私の眩暈とストレスは、存外しつこい。
1週間ぶりの聡は、新しい職場での充実ぶりが顔つきに表れていて、整った顔立ちがより引き締まって素敵に見える。
それを素直に嬉しいと思う気持ちもあったが、今の自分と比べて”惨めだわ”と下を向くしかなかった。
「奈美子。大丈夫か?」
開口一番、私の体を気遣う聡。自分だって疲れているだろうに。
私は必死で作り笑顔で対応する。
「平気よ。眩暈の回数も減ってきたわ」
それは本当だ。
ただベッドに横になっているばかりだからという理由は言わないでおく。
「偽善者!」
矢作さんの声が頭の中で聞こえた。
くらっ。
必死で堪える。
そして、顔に貼り付けた笑顔を一心不乱にキープする。
こういった表面上だけの笑顔を人に見せるのも偽善ではないのか?
そう思い立った途端、私は耐えきれずに膝から崩れ落ちた。
「奈美子!」
聡が急いで私の体を抱く。
その温かな体温に心拍数がだんだん落ちついてくる。
「大丈夫よ。本当に私どうしてしまったのかしら?」
「奈美子。無理せずベッドに入れ。話は後で寝ながらでいいから」
やっぱり話さないといけないのね。
でも何から話せばいいのだろう?
私の心は論理的に話ができないほど、壊れてしまっていた。
それに気づけず、加藤さん、綿貫さん、斎藤さん、小畠さん、チーフの顔を順に思い浮かべる。
ぐらり。
だめだ。思いだしただけで、眩暈がする。
そして、あの5人を思うと、吐き気までした。
私が口を開きかけた時に、寝室のドアがノックされた。
「奈美子。聡さん」
母が顔をのぞかせる。幾分顔色が悪い。
私は心配になって、声を出そうとするがうまく声にならない。
「奈美子。体調はどう?」
こくんと頷いた私の代わりに聡が答える。
「今眩暈が出たのです。ちょっと休ませます」
「そう……」
母は、泣きそうな顔になった。
そして「聡さん、ちょっといいかしら?」と聡をリビングに連れて行ってしまった。
私は母の様子に心配を募らせながらも、何もできない自分に涙をのんだ。
私は人として致命的な欠陥を抱えている。
それは人の心を大切にできないということ。
「偽善者」と「悲しみを撒き散らす」のと。
いったい今までどれだけの人を傷つけてきたのだろう?
もしかして聡も?
そこまで考えてぞっとする。
最後の聖域まで私のおぞましさが侵そうとするのを、必死で食い止めた。
聡がそうだったのなら、とっくに離婚話が出ているわ。
夫婦仲は良いのだから、大丈夫。大丈夫よ。
私やっぱりおかしいわ。聡とのことを疑うなんて。
そこまで考えて、天井を見あげる。
私は……どうしてこんなに色々なことが信じられなくなった?
仕方ないわよ。
私は欠陥品だもの。
社会で害になる存在だもの。
そんなことを考えて、私は睡眠薬を手にする。
もういや。なにも考えたくない。このまま眠ってしまおう。
そして、一気に飲み干す。
母が干してくれた日なたの香りがする枕に顔をうずめながら、やはり顔色が悪かった母が心配だと涙をひとしずく流しながら、現実に耐えられずに静かに無意識の深淵に落ちていく私だった。
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