23、偽善者と呼ばれて
奈美子の思春期の苦い思い出は、著者の実話(に近い)だったりします。
あの時のことを考えると、本当に申し訳なかったです。
奈美子も苦しみます。
「奈美子、医者へ行かない?」
聡が那須へ出立した日の午後、ベッドにいる私に母が話しかけてきた。
私はしばし逡巡する。
「聡と約束はしたからいずれは行こうと思うけれど、今は行く気になれないわ」
正直に自分の気持ちを言う。
案の定母はそれでも医者にいくことを勧めてきた。
「早めに行った方が、のちのち楽よ。今週末那須へ行くのにも、聡さんに報告できるわ。何もなければそれでいいのだもの。取り敢えず、眩暈を調べるだけ」
行きたくなかった。
これではまるで問題児と同じ。
学生時代、問題児と言われた人たちは、こんな惨めな気持ちだったのだろうか。
私は咄嗟にその場をうまく逃れる言葉を言った。
「今日は気分も悪いし、とうてい医者へ行ける状態ではないわ。来週あたり考えてみる」
嘘ではない。
嘘ではないけれど……ずるい。
来週になれば、体調もマシになるかもしれない。それを見越してだ。
その瞬間……
「偽善者!!」
きつく私を指したその声が聞こえた気がした。
中学時代、私をそう呼んだ友の声が。
いや、友だと呼ぶ資格は私には微塵もない。
「偽善者」
彼女はそう言って、私を蔑んだ。
あれは中学3年の夏だったと思う。
みんな受験で、天王山と呼ばれる夏休みを前にピリピリしていた。
私はその時、クラスで4人(男子2人女子2人)選ばれる内の一人で班長だった。
つまりは、クラスの取りまとめ役だ。
私の班には、問題児だと呼ばれていた矢作さんがいた。
彼女は誰ともつるまなかったし、友人もいなかった。
それでも、私の班に入りたいと言ってくれた。
おそらく人畜無害の私なら、心静かにクラスでいられると思ったのだろう。
私は彼女を自分の班に受け入れた。
私も色々話しかけたり、みんなと同じ時間を過ごさせたりと努力したのだが、班の仲間とも彼女は仲良くなれなかった。
そして、彼女から相談を受ける。
「私、奈美子ちゃんの班にいない方がいいのかな?」
私は
「そんなことない!私は矢作さんが私の班に入ってくれたから、給食当番も楽でいいのよ」
実際彼女は、とても手際が良い人だった。
「でも、他のみんなは私のこと嫌っているね」
私は何とも言えなくなった。
だってその通りだったから。
上手く言葉が見つからない。
「矢作さん。他の人が何と言おうと、私は矢作さんのこと悪く思っていないよ!だから、自信もって!」
彼女は、その時本当にほっとしていた。
私もその場をうまく収められて、ほっとしていた。
けれど……本音は違った。
嫌っていなくとも、そこまでの感情はなかった。
私は彼女の求めるまま、善意を与えた。
私は人間ができている自分を演じ、自己満足のためにそんなことを言ったのだ。
彼女は純粋に私を慕い、頼り、信じてくれたというのに……。
それだけではない。
その舌の音が乾かないうちに、私は彼女を裏切った。
それは彼女の私生活のことを他の友人から聞いたことに始まる。
「お母さんはヤクザと付き合っているって。彼女も万引きもするし、社会人と付き合っているって」
私はその時間違いなく“偽善者”だった。
そう。私は彼女の純な思いを受け止められないのに受け止めたふりをした“偽善者”。
だから、平気で彼女と距離を取った。
彼女はひどく戸惑っていて、傷ついた様子だった。
それでも針の筵の中、私を頼って、私の言葉を信じて彼女は私の側にいようとした。
それを無碍にして、よそよそしい態度をとったのだ。
今にして思えば、ただの中学生が吹聴したがる噂だったのだろう思う。
でも、優等生で家族仲が良い私からしてみたら、別の世界の人に思えた。
私はなんて自分勝手で冷たい人間だったのだろう。
人に表面だけの善意を与えて期待させて、平気でそれを踏みにじった。
彼女は、その後すぐ転校することになった。
子どもだった私はそれが矢作さんに謝る最後のチャンスがなくなることを意味することに気づけない。
矢作さんが転校してしまう。もう会えなくなる。そんな自分本位の感傷で私は声をかけることに決めた。
本当に最低で勝手で、善意と無知の仮面をかぶった醜い自分だったと思う。
「矢作さん、今までありがとう。転校先でも……」
すると、鋭い目と声が私を襲った。
「偽善者!」。
その時のことは、私には一生忘れられない。
チーフは私のそういった性質を見抜いていたのかもしれない。
あの時は矢作さんの求めるままに善意を与えて、スーパーでは望んでいない加藤さんに善意を押し付けた。
どちらも独りよがりで、自己中心的な善意であることに変わりはなかった。
そんな心のトラウマを抉らえて、ベッドに寝ていると、ひどい焦燥感にかられる。
このままではいけない!
では、どうしろと言うの?
泣きたくなるのを眉間にぐっと皺を寄せて耐える。
私は嘘はめったにつかないが、自分の気持ちを優先して考えてしまう所がある。
だから、未熟でスーパーでもあんなに嫌われた。
もう消えてしまいたい。
そこまで考えて、息苦しくなって、掛布団をはぐ。
私がこんな最低な人間だったのは昔からだったのだわ。
「偽善者」「偽善者」「偽善者」「偽善者」……!!!
永遠かと思うほど頭の中でリピートし、その日私は一日中ベッドから出られなかった。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました!




