始まりは、パートの中心人物との会話だった
好き嫌いが分かれる内容かと思います。
苦手だと感じられた方は、ページをすぐ閉じられてください。
全編、このような感じで進んでいきます。
はじめに
ひどく疲れはてていた日々の私の身体は鉛のようだった。
夫がいても、気力を失くし、布団にくるまざれるを得ない。
夫が他県に単身赴任すると、今度は目眩が日増しに強くなり、一日の大半を寝床で過ごすようになっていた。
掃除、洗濯は、私の実母がやってくれていた。
実父は、働きに行くための弁当を自分でも作り始めた。
私は、それに甘えた。
いや、甘えざるをえないほど、疲弊していた。
疲弊の理由……。
それは、色々に重なって、今でも私に迫ってくる。
でも今は、その原因を作った自分の性格と前向きに向き合えるようになった。
それまでの道のり、私がどう生きる力を取り戻せたのか、を記していこうと思う。
1、始まりは、パートの中心人物との会話だった
私たち夫婦には、子供がいない。
だから、比較的自分の時間を持つことができた。
子供を作らなかったわけではない。
できなかったのだ。
欲しくて欲しくて、仕方なかった。
でも、できなかった。
私は、いつも寂しさを抱えていた。
心に、悲しみがいつもあった。
その悲しみを家にいると持て余すので、時間もあったし、パートに出ることにした。
新しい出会いがあれば、その寂しさを消せるかもしれない。
そう言ったら、夫も賛成してくれた。
私は、スーパーの商品の補充パート部員として就職することができた。
仕事内容は、商品棚の商品の補充だから、あまり頭を使わなくて済む仕事だ。
時給は安いが、大した実務経験もなく、長年専業主婦だけをしてきた私からしたら、ちょうど良い難易度だった。
それに、レジのパートさんやお惣菜を作るパートさんもたくさんいるから、当初の新しい出会いという目的も果たせると思っていた。
ところが……。
悲しみと言うものは、こうも人に分かってしまうのだろうか。
なぜ、こうも人を寄せるのだろう、望まない形で。
明るくふるまっているつもりだった。
みんなと仲良くしたいと、いつも笑顔でいた。
だから、色々聞かれた。
最初は、「お子さんはいくつなの?」とたわいのない会話。
私は、詰まった。
子供のことなど聞かれるのは予想していたのに、スーパーで子供連れの方が買い物している姿をみたばかり。
その直後の休憩時間での出来事だったので、一瞬心が揺れた。
でも、それを隠して、満面の笑みで答えた。
「いないんですよ。だから十分な時間が持てて働けるんです」
それが……、いけなかったのだろうか。
「みんな、家事や子育てと両立させているのよ。中には、介護をしながらの人もいるわ」
その言葉には、とげがあった。
でも、愚鈍な私には、その理由など分かるはずもなく、あいまいに笑った。
それを見て、そのパートの中心人物の女性、綿貫さんはつづけた。
「私は、今受験生の母親。朝からお弁当作って、洗濯して、掃除して、帰ったら、夕飯の支度。自分の時間なんて、全くないわ~。しかも、勉強なんてたいしてしないくせに、息子が夜食を要求するから、寝たいのに布団に入れないし、だんなは、仕事で疲れて、何もしないしさ。仕事しているのは、あんただけじゃないっつーの。パートなんて、お小遣い稼ぎくらいに思っているんだから!」
私は、よくある話だな、と思って、笑顔を崩さずにいった。
「だんなさんが手伝ってくださったら、綿貫さんの負担も少しは減るでしょうに、ね」
綿貫さんは、冷たい笑顔を私に向けただけで、別のパートさんのところへ行ってしまった。
私は、背筋が凍った。
「私何か失言をしてしまったのだろうか」
そして、次の休憩の時、綿貫さんのところへ自分から寄っていて、自分の苦労話をした。
「子供が欲しくて、不妊治療までしたんですよ」
と、夫や両親が家事に協力的だったことは伏せて、辛かったことだけを話した。
綿貫さんは、同情してくれたようで
「佐竹さんもたいへんだったのね」
と言ってくれたので、私はほっと胸を撫でおろした。
『これで初日からパートのお偉いさんに悪い印象をもたれないですんだわ』
そう。
私は単純だった。悲しいくらいに。
ながらく家の中で過ごしていた私は、人の心の機微に疎かったのだ。
今、思い返しても自分の思慮の浅さに、自分を消してしまいたくなる。
次の日から、ほとんどのパートさんを敵に回すことになるのだから。
今までの私の作風をご存知の方は、この作品は好きでないかもしれません。
あたたかく見守っていただければと思います。