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千夜  作者: たね
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6

 



 日が昇り、遮光カーテンを通して部屋のなかがぼんやりと明るくなってきたころ、チヨは俺を抱きしめたままの状態で、

 「そろそろ出ないと」

と言った。

 俺は眠い目をこすりながら、そのままの状態で軽く伸びをした。

 こうしていると、昨日のうちに情けない姿をさんざん見せたとはいえ、自分がまるで小さな子どもになったようで恥ずかしかった。

 「小塚さんはまだ寝ててください」

 夜通しとりとめもない話をしていたはずが、気づいたら寝てしまっていたようだった。

 多くを語らずもっぱら聞き役に回っていたチヨは起きていたのに、自分だけ寝てしまったことを申し訳なく感じた。

 「え、今出るの? 時間は…」

 寝起きでぼんやりとした頭が徐々に覚醒してくる。

 少し起き上がってベッドに備え付けの時計を確認すると、デジタルの数字は4時32分と薄暗い部屋のなかで浮かび上がっていた。

 「まだ始発出てないよね? 」

 「ごめんなさい。ちょっと寄っていくところがあって」




 彼女がこれ以上、深入りをしてほしくないと思っているのが伝わってきた。

 俺は彼女の腕の中から、身じろぎするように起きだし、彼女もそれにならった。

 「わかった。なら、連絡先を教えてくれないか? チヨさんにお礼がしたいんだ。今度は明るいうちに会おう」

 「お礼ならもうもらってますよ。ここに連れてきてくれたじゃないですか」

 「いや、これじゃ結局お礼になってないし。俺の気が済まないんだ」

 「……わかりました」

 チヨはそう言って、バックの中からメモ帳とペンを取り出して、11ケタの数字を書いて俺に寄こした。




 「小塚さん、最後に私の話聞いてくれますか? 」

 チヨはそう言って、時計を一瞥してから話し出した。

 「私が言うまでもないかもしれないけど、この一晩のことは全部忘れましょう。こんなのどこにでもある話なんです。傷ついた男女が一夜をともにするってことくらい。もしかしたら、隣の部屋の人たちだって私たちと同じような関係かもしれない」



 チヨの話を聞いて、俺は初めて二人の今まで生きてきた道の違いを感じたような気がした。

 こんなこと考えるなんて、チヨに失礼だけれど、口に出して確認することなんて絶対にできないけれど、それでも俺は思ってしまった。




 ―――彼女は今までも俺みたいな男を慰めたことがあるのだろうか。

 俺は、一晩中彼女の腕に包まれていたわけだけれど、相手が望めばそれ以上のこともしてしまうのだろうか。

 健康な男であれば、たとえ彼女が抵抗しても、それをものともしないだろう。

 ついさっきまで、あんなに近くにいたはずのチヨを、急に遠くに感じた。


 「なんで忘れないといけないの? 人からもらった優しさは、ずっと忘れないでおきたいって俺は思うよ。寂しいこと言わないでよ。少なくとも俺は、ほかの誰でもなくチヨさんのやさしさに救われたんだ。見ず知らずの人間にここまでやさしくしてくれるなんて、ありふれたことなんかじゃないって俺は思うよ」

 「私がしたことは優しさなんかじゃないよ。私、そんないい子じゃない。ねえ、お願いだから、忘れるって言って」

 「だから、なんで」

 「もし次会うことがあるとしたら、対等な関係で会いたいから」

 昨日の夜に出会ってから、チヨの本心を初めて見たような気がした。急に取り払われた敬語から彼女の強い意志が伝わってきて、俺はもうそれを受け入れるしかなかった。

 「……わかった。絶対に連絡するから」

 「うん」




 立ち上がった俺をチヨは「見送られるのは苦手なの」の一言で布団に押し戻し、部屋から出ていく彼女の背中を布団の中から見送った。

 彼女はあわただしく身支度を整えると、「じゃあね」と言って、日曜日の夜明けの街へと出て行ってしまった。

彼女がこんな時間にどこに行ったのかは想像もつかなった。彼女の華奢な背中はその問いを拒んでいるようにも見えた。


 彼女がいなくなった部屋で、チェックアウトする支度をしながら、今日はせっかくの休日だし、学生の頃の、久しく会っていない友達に連絡でもしてみようかと思った。



 テーブルにきれいな文字でチヨの連絡先が書かれたメモが置いてあった。


 次にチヨに会うまでに、とりあえず、明るいほうへ明るいほうへと、自分から歩いていこうと思った。


  



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