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幼女のパンツと借金地獄 3

 すぐに復帰した僕は、急いで階段を駆け下りた。股間も無事だ。幼女の蹴りで潰れるほどやわじゃない。舐めんな鬼の力。


 リビングに広がる光景に、自分の目を疑った。

 黒いスーツを着た男たちが大勢押し入り、ソファなどに何かを貼りつけていた。そこには数字が書かれている。


「二万円?」


 値段だろうか。とにかく、この家で勝手は許さない。

 怒鳴ってやろうとしたところで、男がセルシスを突き飛ばしたのが視界に映った。


「お前、何してんだよ!」


 ぶん殴ろうと拳を振り上げる。死んでも知らないからな。セルシスに危害を加えたお前が悪い。

 すると、目の前に紙を広げられた。飛び込んで来た文字を見て、拳が止まる。


 債権差し押さえ命令。借金を強制的に取り立てることを許可した政府発行の書類だ。現時点で借金を返せなければ、金目のものをすべて持って行かれる。

 しかし、おかしい。セルシスたちはお金を持っている。借金する必要なんてないのだ。まさか、偽造か。


 僕の疑念に答えるように、男はもう一枚の紙を差し出した。借用書だ。そこに書かれた文字を見て、僕はリノを振り返る。


「お前、これ……」


 受け取ったリノは首を傾げる。


「なんて書いてあるんだ?」

「ここ、お前の名前と拇印が……」

「ボイン?」


 わずかに膨らんだ自らの胸を見下ろし、リノは無邪気に笑った。


「まだちっちゃいぞ」

「親指で押した判子のことだ!」


 怒りを抑え、連帯保証人のところを指さす。すると、思い出したように声を上げて頷いた。


「ああ、これわたしが書いたぞ」

「何で書いたんだよ!」

「頼まれたんだ。サイン書いてくれって。よく分からなかったから、名前書いた。どうだ? 上手いだろ?」


 僕はリノから借用書をひったくる。不満げな小さな悲鳴が漏れたけれど、そんなものに気を配る余裕はない。問題は金額だ。現金で払えるレベルなら、差し押さえられることもない。


 一〇億円。何度もゼロを数えたけれど、間違いではない。

 セルシスを振り返ると、呆然とした表情で僕を見上げていた。


「そんなに、お金、ない……」


 ゆっくりと歩み寄り、彼女は僕の腕に縋りついた。現金は七億円しかないという。

 そんなに持っていたのかという驚きはあるけれど、今は少ないと思ってしまう。あと三億足りない。


「どうしよう……」

「どうって……」


 どうしようもない。すべて持って行かれる。それで足りなければ、働いて返済しなければならない。

 僕は黒スーツの男に詰め寄った。


「債務者は――」

「逃げたよ。家はもぬけの空だった」

「差し押さえ……はしたんですよね」

「大した金にはならんがな。まあ、そこの嬢ちゃんが言うように本当に七億円持ってるなら、あとはこの家のもの全部差し押さえれば何とかなるだろう」


 全部失う。彼女たちが命がけで勝ち取ったものが、たった一枚の紙きれによって奪われる。そんなの、許されるはずがない。


「子供、ですよ? サインしたの子供ですよ?」

「だから? 返済能力があるんだから問題ない」

「リノは連帯保証人になるって理解してなかったんです。サインを求められただけだ。こんなの無効ですよ!」

「うるせえな。そんなの、そこの嬢ちゃんが嘘吐いてるだけかもしんねえだろ。連帯保証人の欄に名前が書いてある。書いたことを本人が認めてる。それが事実だ」


 駄目だ。打つ手がない。

 リノが僕の袖を引いて言う。


「どうした? 顔が真っ青だぞ」


 お前のせいだろ!


 喉元まででかかった言葉は、乾いた音で遮られた。

 平手の形に赤くなった頬に触れ、リノは呆然とセルシスに顔を向ける。


「ふざけんな! おまえのせいで全部なくなった! この家も、お金も……これから私たちが、普通に生きていくためのものが全部、ぜんぶ……」

「セルシー、泣くなよ。ごめんな」


 セルシスはキッとリノを睨みつけ、拳を振り上げた。けれど、震えたまま放たれることはなかった。代わりにリノを突き飛ばす。


「ねえ、自分がしたこと分かってる?」

「わたし、は……その……」


 言葉を探しているのか、リノは黙り込んで俯いた。しかし、すぐに顔を上げると、苦笑しながら頭を掻く。


「よく分かんないけど、悪いことしたのは分かるぞ」


 それが決定打になった。

 セルシスは握り締めていた拳を解くと、何かを諦めたように弱々しい笑みを浮かべた。


「おまえに期待した私がバカだったわ」


 ふらついた足取りでセルシスは階段へ向かう。途中、黒スーツの男にぶつかってよろめいた。


「セルシー!」


 駆け寄ったリノをセルシスが突き飛ばす。


「おまえの顔なんて見たくない! 私の前から消えて!」


 リノは伸ばしかけた手を止めた。呆然とセルシスの背中を眺める。

 リノのことも心配だったけれど、彼女のことはマリアさんに任せて僕はセルシスを追った。二階の廊下で彼女を捕まえる。


「確かにリノは馬鹿だったよ。取り返しのつかないことをしたよ。けど、そんな風に突き放すなよ。リノだって、少しは反省して――」


 見上げてくるセルシスの目を見て、言葉に詰まった。これ以上何か言ったら、彼女が壊れてしまいそうに思えた。


「やっと……普通の生活が、できると思ってたの……。もう、戦わなくていいんだって……。普通の、女の子みたいに、暮らせるんだって……。それなのに…………」


 崩れ落ちる彼女に、何も言葉を掛けることができなかった。


 彼女はお金を失ったことに絶望しているわけでなかった。

 自分たちの平穏な未来が失われたことに絶望しているのだ。


 しかも、それをしたのが仲間だった。


 敵ならぶん殴って奪い返せばいい。それだけの力は持っている。けれど、そうじゃない。相手は政府の法だ。抗えば、それこそ平穏な暮らしなど望めなくなる。


 九歳の女の子が背負うには重すぎる現実だった。


 本当に救われない。

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