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幼女の魅力が世界を変える 6

 それは思い出したくない記憶だ。同時に、向き合わなければならない記憶でもある。なかったことにはできないけれど、やり直すことはできないけれど。あのときと同じ事を繰り返さないようにすることだけはできる。


 思い返して見ると、どこかで聞いたことがあるような話だと思った。次第に女の子の顔が鮮明になっていき、知った顔が現れる。


 それは今、僕の目の前で死を懇願している幼女と重なった。


 セルシスを抱き寄せると、再び正気を失った彼女は僕の首の付け根に食らいついた。痛みよりも愛おしさの方が強かった。


「……セルシスが、あのときの女の子だったんだね」


 今さら気づいても、もう遅い。


 セルシスは僕に憧れてアルカゼノマーになり、その果てで僕と再会した。僕の方は忘れていたけれど、彼女は覚えていた。だから僕は生かされたのだ。あのとき結果的に僕が助けたことへの恩返しか、それとも別の理由かは今となっては分からず仕舞い。


 憧れの相手が自分のことを忘れていた上に、敵だった。そのときのセルシスの気持ちを考えると、今までの態度も納得できるような気がした。


「言えよ、バカ」


 声が震えた。もう自分の力では支えていられなくて、セルシスにしがみつく。

 憧れの相手に再会できてよかったな、なんて旧家で言っていた自分が恥ずかしかった。他でもない僕のことだったのに。


 けど、いくらムカつくからって憧れの相手の頭を踏むなよ。


「ごめんな。あのとき、手を差し伸べてあげられなくて。ごめんな。あのとき、思い出してやれなくて。ごめんな。また僕は、お前を救ってやれない」


 強く、強く彼女を抱き締める。もう僕の感覚はほとんど残っていない。どれだけ強く抱いても、彼女の温度を感じない。燃えるような彼女の髪を撫でながら、ちゃんと言葉になっているか不安に思いつつ、口を開く。


「一緒に行こう。僕とじゃ嫌だってセルシスは言うかもしれないけどさ。僕は――――お前とならいいかなって、思うよ。大丈夫、怖くないよ。すぐ、終わるから」


 目を閉じて、散らばりかけていた意識をかき集める。心の中でリノとマリアさん、カミュ、それからエマさんに謝っておく。上手く制御できるか分からない。だから死なせちゃったらごめん。あの世で会えたら、いくらでも償うから。


 もしも生まれ変わることができたなら、もう一度出会おう。普通に笑って、普通に恋をして、普通に、普通に幸せな一生を歩もう。


 だから、今はさよならだ。


「セルシス、大好きだよ――」

「わたしは大嫌いよ」

「えっ――?」


 幻聴だと思った。この後に及んで何を期待してるんだと、馬鹿みたいに思った。


 けれど僕から身体を離した彼女は、口元の血を流すように綺麗な涙を溢れさせる。その左目からは赤が抜け、いつもの彼女のに戻っていた。


「わたしは、大っ嫌いだって、言ったのよ」

「何だよ、それ……」


 最期だと思ったから言ったのに。聞こえてないと思ったから言ったのに。


「大好きって言えよ、ばかやろう」


 不思議と身体の感覚が少しだけ戻った。


「嫌に決まってるじゃない」


 彼女は吐き捨てるように言って、僕の肩に顔を埋めた。先ほどとは反対側だ。


「私のこと忘れてたくせに」

「うん、ごめん」

「ロリコンのくせに」

「違うって。セルシスが幼女なのが悪い」

「エマのことが好きって言ってたくせに」

「それは……あれだよ……」


 本人が後ろにいる手前、言い難い。

 さてはお前、わざと言ってるな?


「ヘンタイのくせに」

「セルシスの足だからだよ」


 その返答に、セルシスは身体を離そうとする。僕は必死にその身体を抱き留めた。ちょっと間違えたみたいだ。


「……気持ち悪い」

「うん、ごめん」

「……私のこと、好きなの?」

「好きだよ」

「大好きなの?」

「大好きだよ」

「私、こんな身体だけど」

「胸は大きさじゃな――いっ」


 耳をかじられた。


「……鬼人化しちゃったけど、いいの?」

「いいよ。セルシスはセルシスだろ」


 彼女がどんな顔をしているか見えないけれど、きっと笑みを堪えていると思う。そんな雰囲気があった。素直に喜べよ。


「……仕方ないから、シャルで我慢してあげる」

「うん、ありがとう」

「特別にだからね。心中したいほど私のことが好きみたいだから、大人の私が折れてあげる」


 さてはお前、ちょっと調子に乗ってるな?

 けれど、なんだかそれが心地よかった。


「浮気したら許さないんだからね」


 するわけないだろ。というか、できない。だって、僕はもう――――。


「……しゃる、死なないで…………」

「……死なないよ」


 セルシスの腕に力が込められる。

 マリアさんの再生能力でも、もう間に合わないことは分かっていた。彼女の力は傷を癒やすだけであって、死を打ち消すわけではない。それができるのは神様だけだ。


「嘘つき。バカ。…………ごめんね……」


 彼女は僕から離れ、鼻先が触れ合うほどの距離で薄い唇を開く。


「最後に……その……キ、キス……するわよ」


 耳まで真っ赤に染めて、セルシスは目を逸らして言う。


「か、勘違いしないでね。私のものだっていう証しなんだから……だから…………わたしの初めてをあげるわ」


 ちょっぴり僕は罪悪感を抱く。僕の初めては少し前、エマさんに盗られてしまった。まったく何も感じなかっただけに余計辛い。


「のーかん、に決まってるでしょ」


 僕の思考を読んだかのように言って、セルシスは頬を膨らませる。何だよそれ、かわいいかよ。もっと早くそういう顔しろよ。死ぬのが辛くなるじゃんか。


「じゃ、じゃあ、ノーカンで……」


 セルシスは窺うように僕を見て、静かに目を閉じた。


 マジか。僕からするのか。……そりゃそうだよな。プライドの高いセルシスが自分から僕にキスするはずもない。うわー、最後の口づけか。変な感じに失敗したらどうしよう。


 こうして見ると、意外に睫が長い。可愛らしい小鼻。上気した、ぷにぷにのほっぺ。髪の隙間からわずかに覗く形の良い耳。丸い輪郭。引き結ばれた桃色の薄い唇。細い首筋、華奢な肩。丸みを帯びた細い腕。ぺたんこな、希望しか詰まっていない胸。くびれのあるお腹。小ぶりなお尻。ストッキングに包まれた丸い膝小僧。ちっちゃな足。


 すべてが愛おしく思った。


 これじゃあ、ただのロリコンだ。ヘンタイだ。


 けれど、別に恥ずかしくなかった。


 誰かを好きになる気持ちを恥じる道理なんてどこにもない。


 時代がそれを強いるなら、そんな時代には終わって貰おう。


 幸い、僕には――僕らにはその力がある。


 世界を救った幼女と、救われない僕。


 いや、そんな風に自分を卑下するのはもうやめよう。


 お前が世界を救うなら、僕はお前を救おう。それだけで僕は救われるのだから。


 ちょっと薄目を開けて僕の動向を盗み見始めたので、僕は彼女の頬に手を添える。びくりと身体が震えて、唇はより強く引き結ばれた。


 唾を飲み込んだ音が耳元に響く。緊張で手汗がやばい。色々カッコつけたけれど、幼女とチューしても大丈夫なんだろうか。お互いに合意ならセーフなんだろうか。アウトかな。まあ、どうでもいいか。僕は鬼だから人間の法律なんて知らん。セルシスも人間じゃないって言われてたし、何の問題もないよね。


 心の中で完全な理論武装を固め、小さな唇に自分のを寄せていく。まだ触れていないのに彼女の温度を感じだ。甘い息が僕の唇を撫でる。


 もう少しで触れる――その瞬間だった。地鳴りのような音が響いた。無粋な音の方へ僕らは同時に顔を向ける。そしてあまりの驚愕に声を漏らした。


 発生源は五メートルはあろう巨人だった。いや、巨鬼と呼ぶべきか。頭には二本の鋭く長い角が生えている。それ以外は異様に歪だった。鬼と鬼獣を寄せ集めてつなぎ合わせたような、継ぎ接ぎだらけの身体。眼窩を覗かせたいくつもの顔が苦悶の表情で表皮となっている。


 僕は頭の片隅から資料を引っ張り出した。詳細は不明だけれど、一致する記述を思い出す。


 ――人類政府は合成鬼獣の開発に着手した。複数の鬼と鬼獣を合成することで力の絶対値を上げることが期待されている。


 資料には、完成はずっと先のことだと書かれていた。読んだのは二年ほど前のこと。もしそれが完成したのであれば、あれこそが絶望と呼ぶに相応しい怪物だ。

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