幼女の魅力が世界を変える 3
次の瞬間、爆発が起きた。
凄まじい高温が周囲に渦巻いているのが目を閉じていても分かる。けれど、その熱は僕らに対しては決して牙を剥かない。
「大の大人が、幼女の三人も守れないわけ?」
いつの間にか目の前に立っていたセルシスが不敵に笑う。
「お前、力を……」
「使わなきゃ死んでたわ。それに、まだ大丈夫みたい」
赤い筋がもう少しで頬に達する。大丈夫なはずがなかった。それは本人が一番分かっているだろう。恐怖を押し殺して、みんなのために戦っているのだ。
家は木っ端微塵に吹き飛んでいて、軍服の集団も全員が無力化されていた。テーブルの周りだけが無傷の状態で残っている。
「殺したのか?」
「さあ。おまえたちを守るので精一杯だったから」
セルシスはナイフを捨て、普段使っている長剣を手に取る。
「もう動けるでしょ。逃げるわよ」
リノたちは徐に立ち上がり、身体を動かして調子を確認する。
「まだ怠いぞ」
「それでも走るのよ」
各々武器を取って駆け出す。銃声とともに近くの地面が弾けた。
「囲まれてるのか?」
「こっち!」
セルシスのあとに続く。街へ向かっているようだ。
マリアさんが前に立ちはだかる敵を撃ち抜いていくけれど、手数が足りない。
「リノ、行けるわね?」
「任せろ!」
一人加速したリノが敵集団へ突っ込んだ。自殺行為だ。けれど、リノは獣のような身のこなしで銃弾の雨の中を突き進む。目にも止まらぬ槍捌きであっという間に蹴散らした。
「お前凄いな……」
「ん? わたしはすごいぞ。当たり前だろ」
真面目にそう言われると、事実なので何も言い返せない。
全員が無傷で包囲網を突破し、街へ入ることに成功した。ここなら迂闊に銃を撃てないはずだ。流れ弾で民間人を殺しては軍への反発が生じる。それは避けたいだろう。
車を奪って逃げるのがベストだけれど、街の入り口には大部隊が待ち構えているだろう。どうする。どうすれば全員で逃げられる。焦りで思考がまとまらない。
そのとき、前方の小道からエマさんが顔を出した。
「こっち!」
エマさんに連れられ、路地裏に入る。
「みんな無事だったんだね」
「はい、何とか」
エマさんに会えてよかった。これで逃げられる可能性がぐんと上がった。街の中に味方がいることはかなり大きい。
「シャルくん、身体は大丈夫?」
「へ? 大丈夫ですよ! この通り!」
僕のことを心配してくれるなんてエマさん優しい。もっと好きになりそう。
「セルシーちゃんも無事だったんだね。武器もないのに凄いね!」
そういえばセルシスは見慣れないナイフを持っていた。軍人から奪い取ったのだろう。さすがだ。
「エマ、私たちこの街から出たいんだけど――」
「待て待て」
僕はセルシスの手を掴んで立ち止まった。リノたちも立ち止まらせる。
「どうしたのよ。早く逃げないと」
「そうだよ、シャルくん。すぐに追いつかれて――」
「知ってたんですね」
「え?」
惚けた調子で小首を傾げるエマさん。可愛いけれど、可愛いだけだ。
「軍が僕らを殺そうとしてることをどうして教えてくれなかったんですか?」
「いや、私もさっき知って――」
「エマさんが教えたんですよね。セルシスが一人で水浴びをしていて、武器は家に置いてあることを。僕らは家にいることを。僕らをどこに誘導しようとしてるんですか?」
エマさんは戸惑う様子を見せていたけれど、無駄だと察したのか盛大なため息を吐き出した。
「ちょっと焦っちゃったかなー」
「脅されてるんですよね? それで仕方なく僕らを騙したんですよね? 一緒に逃げませんか? 僕らなら、これからもきっと上手く――」
僕の勘違いであって欲しかった。だって、家にいたときは楽しそうに笑っていたのに。頑張れって言ってくれたのに。
そのすべてが嘘だなんて、偽物だなんて、信じたくなかった。
「ばっかじゃないの?」
彼女の口から、聞きたくなかった真実が溢れ出す。
「上手くなんてやれるわけないよ。だって――――軍を呼んだのは私なんだから」
「うそ、よね……。エマはそんなこと――」
「ねえ、その穢れた口で私の名前を呼ばないでよ」
「え……」
何を言われたか分からないというように、セルシスは目を見開いたまま固まる。その姿が面白かったのか、エマさんから笑い声が漏れる。
「ああ、ごめんね。そうだよね。勘違いしちゃうよね。私、あなたたちにとって優しいお姉さんだったもんね。あれね、全部、ぜーんぶ、演技なんだよ?」
「おどされ、てるのよね。エマ、大丈夫よ。私、強いから。エマのこと守るから。だから――」
――本当のことを言って。
絞り出された声は、まるで叶わない願いを口にしているかのようだった。彼女は知っているのだ。エマさんが決して頷いてはくれないことを。それでも認めたくなくて、セルシスは再び口を開こうとする。けれど、エマさんはそれを許さない。
「気持ち悪いんだよね。人間ごっこするのやめてくれない? あなたたちは化け物なんだから」
「エマさん、それ以上喋らないでください!」
「シャルくんさ、この子たちには人並みの、当たり前の幸せをあげたいって言ってたよね。けど、そんな資格ないんだよ。人殺しの化け物が、幸せになっていいはずないんだよ! 不幸に! 孤独に! 生まれたことを後悔して死ぬべきなんだよ!」
初めて聞くエマさんの激昂した怒声。初めて見るエマさんの憎悪の込められた目。紛れもない彼女の感情が、僕らの心に荒波を立てる。背後ではすすり泣く声が聞こえた。セルシスは唇を噛みしめ、今にもこぼれそうな涙を堪えている。
「えま……そんなこと……いわないで……」
「ねえ、セルシーちゃん。なんで私だけがみんなに優しかったと思う? どうしてこんなに仲良くなったと思う?」
セルシスの答えを待たずに、エマさんは薄笑いを浮かべて言う。
「このときのためだよ。信じてた人に裏切られて辛いよね? 悲しいよね? 絶望しちゃうよね? その顔が見たかったんだよ。あなたたちが不幸に泣き叫ぶ姿が見たかったんだよ!」
早くこの場から離れないといけない。けれどエマさんの言葉を聞いた幼女たちはその場から動くことができない。彼女の言葉から逃れることができない。
僕もまた、その一人だった。知りたかった。そこまでして彼女たちを破滅させたい理由を。
「どうして、こんなことを」
「前に言ったよね? 私の両親は死んでるって。あれね、殺されたの。――鬼人化したアルカゼノマーに」
エマさんは顔の半分を隠している前髪を上げた。現れたのは右目を切り裂くような縦傷。美しい顔に刻まれた痛みを思い出したかのように、エマさんは顔を顰める。
「この傷もそう。私はあなたたちアルカゼノマーのせいで、何もかもを失った!」
その場の全員が息を呑んだ。他人事ではなかったからだ。いずれ自分が到達するかもしれない立ち位置。人類にとって脅威となる鬼に、自分がなるかもしれないという恐怖。エマさんの両親を殺した鬼に、彼女たちは自分を重ねてしまったのだろう。脳天気なリノですら、その表情に影が差す。
「だから私は復讐することにしたの。胸の中で燃える復讐の炎に薪をくべ続けて、ようやく、そのときがやってきた。あなたたちが、この街に来た。ねえ、おかしいと思わなかった? どうしてこんなに不幸が重なるのかって、思わなかった?」
エマさんはまるで世紀の大発見を発表するかのように、声高らかに腕を広げる。
「あなたたちが家を失ったのも、畑が荒らされていたのも、作った商品が売れなかったのも、鬼獣の住み処へ行かされたのも、セルシーちゃんの親が訪ねて来たのも、軍が討伐に動いたのも、ぜんぶ、ぜーんぶ――私のせいなんだよ?」
それはつまり、この街のすべてが僕らの敵だということだ。いや、議員だけでなく軍まで動いたということは、政府までもが僕らを消そうとしているということ。
さすがに彼女の利益のために軍が動くとは思えない。しかし心当たりはある。アルカゼノマーは基本的に勇者協会を辞めることができない。そこでしか生活を続けていくことができないからだ。外に彼らが就くことを許される仕事はない。だから死ぬまで政府の管理下にあるのが普通だ。
けれど、鬼王を倒して莫大な報奨金を得てしまったセルシスたちは政府の管理を外れた。それは政府にとって、好ましくない状況だろう。命令に従わない強大な力など邪魔でしかない。一刻も早く消し去りたいはずだ。
エマさんと政府の利益が一致した。
その結果、人類のすべてが敵になったのだ。僕たちにはもう、どこにも居場所なんてありはしない。




