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幼女のオットマンは幸福か 5

「ごめんな、僕が止めるべきだった」

「べつに……いいわよ」


 マリアさんたちと離れたところに一人で座っていたセルシスの横に腰を下ろす。彼女はカミュに絶賛嫌われ中だった。


「しゃるしー、だいちあい!」


 もし僕がこんなことを言われていたら、今頃は湖に入水自殺していただろう。セルシスしゅごい。けれどさすがに堪えたようで、滲み出る悲愴感が彼女の周りを暗くしていた。


「ちょっと、近い……」


 肩が触れ合う距離に座り直すと、そっぽを向きながら彼女が言った。けれど自分から離れようとはしない。ぷにぷにのほっぺをつんつんしてあげたい。

 意外なことに彼女は僕にもたれかかってきた。


「私……間違ってない、わよね……」

「大丈夫、間違ってないよ」

「そう。……よかった」


 彼女はかすかな笑みを浮かべる。まだ弱々しいけれど、少しだけ元気が出たようだ。


 湖で大きな水しぶきが上がった。群青色のワカメみたいなのが浮かんでいて、その側に細い棒がある。その先端には大きな魚が突き刺さっていた。どんどん岸へ近づいてきて、その全容が明らかになる。全裸のリノだった。

 彼女は膨らみかけの胸を反らして、快活な笑い声を上げる。


「メシとってきたぞー!」


 さすがリノさん。こんなときでも変わらないスタンス。マジかっけえ。というかお前、水中でその魚に勝ったのかよ……。


 砂場で豪快に丸焼きにして、みんなで突き合った。泣いていたカミュも空腹には勝てなかったようで、今は一心不乱に口を動かしている。


 満腹になった僕たちは少しの間くつろぐことにした。カミュはすやすやと寝息を立てている。

 気づけば僕も眠っていたようで、空を見上げると日暮れが近かった。腕に柔らかい感触があって隣を見ると、セルシスが眠っていた。安心しきった表情でヨダレを垂らしている。粘度のある透明な液体は少しだけ美味しそうに見えた。ペロリ。うん、甘い。


 おかしいな。記憶では僕一人で木に寄りかかってたはずなんだけど……。


 セルシスの寝顔は年相応で、とても可愛い。このときばかりはカミュより可愛いんじゃないかって思わなくもない。半開きになった薄い唇も可愛い。ヨダレを拭いてあげたいけれど、起こしたくない。何よりヨダレが垂れてるのも可愛い。もはやぺたんこな胸も味があって可愛いと思い始めてきた。無防備に投げ出された足も可愛い。幼く丸い膝小僧が可愛い。靴の小ささが可愛さに拍車をかけている。僕の腕の袖をちょこんと摘まんでいる短めの指も可愛い。


 あれ? セルシスってこんなに可愛かったっけ?


「ん……」

「ご、ごめん。起こしちゃったか?」


 そろそろ定期便の時間なので、どのみち起こさないといけなかったけれど。


「ううん……へいき……」


 目を擦りながら寝ぼけ眼で僕を見る。口元が緩みきっていて、かわいい。

 ヨダレに気づいたのか彼女はハッとして僕から顔を背け、ゴシゴシと慌てて拭う。頬を赤く染めて睨んできた。


「な、なによ!」


 いや、何も言ってないけどね。可愛くなったな、お前。


 リノたちを起こして僕らは湖をあとにした。カミュはマリアさんの背中でまだ寝ている。押し当てられて潰れたほっぺが最高だぜ。


 村の入り口に着くと何やら騒がしかった。疑問を浮かべ合い、僕らは少し覗いてみることにした。村の中央に人集りがある。その中心にいたのは――カミュの両親だった。跪いている。その目の前に白色の髭を蓄えた老人が立っていて、厳かな声で言った。


「お前たちは村の規律を破った。よって死を言い渡す」


 僕は自分の目と耳を疑う。けれどそれは紛れもない真実で、老人の横に立っていた男性が狩猟用のライフル銃を構えた。


「どうか、どうか命だけはお助けください!」


 父親の懇願に老人は静かな声で言った。


「ならん」


 銃声が轟いた。父親の額から鮮血が飛び散り、その身体が後ろに倒れる。母親の悲鳴が響き、父親の身体を揺するも返事はない。


「ぱ……ぱ……?」


 ハッとした。マリアさんの背中ごしにカミュがその光景を見ていたのだ。


 いつから起きていた? まさか、打たれたところを目撃したのか?


 カミュはマリアさんの背中から降りて父親の下へ駆けていった。壮絶な光景を前にして誰も止めることができなかった。


「ぱぱ、おちて。ぱぱ?」


 父親を起こそうと必死に身体を揺するカミュ。

 男性は銃の照準を彼女に合わせた。


「殺れ」


 老人の声とともにトリガーが引き絞られる。

 僕たちは慌てて止めに入ろうとするけれど、出だしが遅れたせいで間に合わない。


「カミュ!」


 僕の叫びは銃声によって掻き消された。綺麗な赤色の飛沫がまき散らされる。


「まま?」


 カミュは自らを抱き締める母親を見上げ、笑顔を浮かべた。


「まま! まま!」


 胸元に頬を擦りつけ、ようやく自分を受け入れてくれた母親に思いっ切り甘えようとする。


「ごめんね、カミュ。ごめんね……」


 涙声で我が子を抱き締め、彼女は僕の方を見た。


 ――この子を、お願いします。


 そう言ったのだと思う。聞こえなかったのだ。その声は銃声で吹き飛ばされてしまったから。

 項垂れた彼女はカミュの横に力なく倒れた。


「まま? どーしたの? おちて?」


 薬莢が石に落ちて高らかな音を立てる。慣れた手つきで次弾を装填し、男性は再びカミュを狙う。


「リノ!」

「任せろ!」


 発射された銃弾をリノが槍で弾く。

 マジか。銃を持ってる男性を無力化しろって意味だったんだけど……。どんな動体視力と反射神経してるんだよ。

 これには男性も驚いたようで手つきが鈍る。そこへマリアさんの銃弾が炸裂。猟銃を吹き飛ばした。幼女つよい。


 カミュを連れ出そうとするけれど、母親の死体に縋りついたまま離れない。このままだと格好のの的だ。いくらセルシスたちでも斉射されたら防ぎきれないだろう。


 銃撃の代わりに石が飛んできた。最初は一人の村人からだった。けれど触発された人が投げ始め、それは瞬く間に広がっていった。


 血の水たまりの上、一向に起きない両親が死んでいると認識してしまったのだろう。カミュが大声で泣き叫ぶ。そこへ小さな石が当たり、額から血が流れた。


「お前らっ――」


 激昂して怒鳴り散らそうとする僕の視界に鮮烈な赤色が映る。急激にその熱が冷めていき、顔から血の気が引いた。


「セルシス! 駄目だ!」


 僕の声が届いていないのか、彼女は震える声で言う。それは怒りそのものだった。


「ふざけるな。私たちがどんな思いで戦ってきたと思ってる。暢気に暮らしてただけのくせに。この人たちを殺す資格なんて、私たちを否定する資格なんて、おまえたちにはないのに!」


 彼女の高ぶる感情に呼応するように長剣の纏う炎が荒れ狂う。それは彼女の周囲に渦巻き、すべてを灼き尽くそうと唸りを上げる。


「おまえたちなんて――この世からいなくなれ!」


 剣を振り上げ、炎が逆巻く。このままだと村が焼滅する。


 こいつらはクズだ。けれどクズでも人間だ。彼らを殺してしまえばセルシスは犯罪者になる。そうなれば、もはや穏やかな日常など望めない。


「セルシス、今すぐやめろ!」

「うるさい!」


 彼女の声に応じてか、伸ばした僕の手に火の粉が振りかかる。痛みに声を漏らすと、ハッとした表情でセルシスが振り返った。


「あ、……わ、たし……」


 見る見るうちに炎が萎み、消えた。瞳を潤ませる彼女を抱き寄せ、背中を優しく叩く。


「大丈夫だ。行くぞ」

「……うん」


 リノがカミュを抱え、マリアさんとともに駆け出す。僕はセルシスを抱いてその後ろを行く。その先で定期便が走り出そうとしていた。時刻より少し早い。この騒動に巻き込まれたくないのだろう。


 走るトラックの荷台にリノたちが飛び乗り、僕もそこへ手を伸ばす。届く前に銃声が鳴り響き、急に足がもつれた。倒れる前にセルシスを荷台に投げ入れ、僕は地面を転がった。遅れて痛みが右足を駆け抜ける。


 次弾が僕の頭のすぐ横を抉った。


 足に半分ほど顔を埋めた銃弾を引き抜いて、そこらへ放り捨てる。傷自体は浅く見えるけれど、足に上手く力が入らない。トラックには間に合いそうになかった。


「そのまま行け! すぐに追いつく!」

「まったく、シャルは世話が焼けるな」


 すぐ横から届いた声の主は、銃弾を弾き飛ばしてから僕の首根っこを掴んだ。


「リノ、お前……」

「アハハ、泣くな、男だろ」


 泣いてなんかないもん。というか、助けに来てくれたことは嬉しいけれど、お前はいったい何をする気だ。


「行くぞ?」


 僕の身体を軽々と持ち上げ、まるで槍を投擲するように構える。

 待て待て、嘘だよね?


「リノ、お前まさか――」

「喋ると舌かむ、ぞっ!」


 身体をしならせ、小さな全身を使って槍こと僕が投擲される。叫び声を上げながら綺麗な放物線を描いた僕は、トラックの荷台で待ち構えていたマリアさんの胸に飛び込んだ。


「きゃっ!」


 勢いを殺しきることができず、僕はマリアさんを押し倒してしまう。そのどさくさに紛れ――不可抗力で僕はマリアさんの胸に顔を埋めた。ない。ないけれど、いい。はあ、ママ好き。足の痛みなんて吹っ飛んじゃう。リノのやつ、イキなことしてくれるじゃないか。


「あぶないぞー」

「あがっ!」


 声とともに僕のお尻に何かが叩きつけられた。その衝撃で股間が打ちつけられ、猛烈な痛みが襲う。


「だから言ったんだぞ? バカなのか?」


 天国と地獄の狭間で、僕はその両方を堪能し続けるのだった。

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