幼女の母性に抗えない 3
少し驚いた表情でトラプさんは僕に報酬の二〇万円を渡した。もちろん、女性になった僕に驚いていたわけではない。玉に瑕はなかった。まさか生きて帰るとは思っていなかったのだろう。舐めて貰っては困る。
僕らは裏口から外に出された。議員がアルカゼノマーを招いていると噂されることを嫌ったのだろう。入るときも裏口まで遠回りさせられた。まあ、また依頼してくれると言っていたし、よしとする。
「次からは楽ちんだな」
リノの言うとおりだ。トラプさんはあの森にベニテングダケがあると知らないようだった。次回はあそこで採取して、適当に時間を空けてから渡しに行けばいい。なんて簡単なお仕事。
裏道に出た僕たちは、狭い路地を抜けて大通りに合流する。相変わらず街の人から注がれる幼女たちへの視線は冷たい。幸いにも幼女たちは金を得た興奮で気にならないようだった。
彼女たちが持っていた金に比べれば、はした金だ。けれど、むしろ身近な金額になったことによって、より実感が増したようだ。この年齢で二〇万円は大金に違いない。
その足でオニム呉服店へ向かう。幼女たちの本命はこちらだ。売れないと言われていた彼女たちの商品。引き取る前にせめて並んでいる様を見たいそうだ。
商売の邪魔にならないよう、少し離れたところから店先を眺める。店頭に並ぶそれを見たときには、彼女たちの表情がパッと華やいだ。初めての経験だろう。少し誇らしげにはにかむ姿は、みんな年相応の表情をしていた。どうか売れて欲しいと願わずにいられない。
「ちょっとだけ待ってみるか」
「うん!」
驚いたことに、一番始めに返事をしたのはセルシスだった。笑みを浮かべ、すぐに商品の方へ視線を戻す。普段から気を張って大人ぶっているけれど、こうやって子どもっぽい一面を見ると安心する。本人はそのことに気づいてないだろう。そこがまた微笑ましい。
彼女たちは過去のことを話す際に『小さい頃は』とよく口にする。僕からしてみれば彼女たちはまだ『小さい頃』なのに。幼さを捨てなければ生きていけなかったのだろう。
だから、これからはもっと子どもらしく振る舞って欲しい。それでいいんだって教えてやりたい。
けれど現実はそう甘くない。店頭に並んだ彼女たちの力作は見向きもされなかった。時間が経つにつれ彼女たちの顔は曇っていった。
「行こう。今日は美味いものを食べよう。僕が腕をふるってやるからさ」
誰もその場から動こうとしない。けれど、すぐにセルシスがため息を漏らした。
「おまえが作ったって美味しくなるわけないでしょ。私とマリアで作るから、おまえは踏み台でもしてなさい」
「酷い言いようだな」
「事実でしょ?」
悪い気はしなかった。セルシスが空気を変えようとしてくれていることが分かったからだ。いつもはツンツンして悪態を吐く生意気なクソガキだけれど、本当はとても優しい子なのだ。年長者としてみんなを支えようと頑張っている。
「アハハ、わたしも手伝うぞ」
「冗談は脳みそだけにしてちょうだい」
ちょっとよく言い過ぎたかもしれない。本当に酷いやつなのかも。
おかげで雰囲気が和らいだ。食料品店で買い物をして行こう。今日だけは好きなものを買ってやる。頑張ったんだから、ご褒美がないと。
「――セルシス?」
しゃがれた声が背後から届いた。振り返ると、そこにいたのは中年夫婦だった。お世辞にも清潔な格好とは言えず、使い古された衣服のあちこちが継ぎあてだらけで、男性の方は無精髭にボサボサの汚れた髪。女性も伸ばしっきりの髪でろくに手入れがされていない。貧困に喘ぐ生活をしていることは簡単に想像がついた。
この街は他の集落と比べて裕福なので、ここまで貧しい人はいないはずだ。外からやってきたのだろうか。
それよりもだ。彼らはセルシスの名を呼んだ。嫌われ者のアルカゼノマー。忌み嫌う彼らの名前を進んで呼ぶ者は希だ。よっぽどのお人好しか、知人に限られる。
「ええと、どちら様で?」
「これは申し遅れました。私たちはセルシスの親です」
驚きのあまり声を漏らしてしまう。偶然の親子再会に、僕の方が混乱してあたふたしてしまった。セルシスの方が慌てているだろうに。
セルシスを振り返ると、何故かこちらに背中を向けていた。
「おい、セルシス。両親が――」
彼女の肩を叩くと、雷にでも撃たれたように肩を震わせた。唇を真一文字に引き結んでいて、表情が消えていた。
どうして彼女は喜ぶことなく、怯えているのだろう。
両親はセルシスに駆け寄ると、強引に振り向かせて彼女を抱き締めた。小さな身体が余計に小さくなる。
「こんなに大きくなって。また会えて嬉しいぞ」
「ずっと探してたのよ? 見つかってよかったわ」
心がモヤモヤした。気持ち悪い。どうしてこいつらは、実の娘に作り物の笑顔を向けているんだろう。平気な顔して嘘を吐くんだろう。
まるで本題へ移るための前置きのように、彼らの言葉には感情が込められていない。
「あの……」
セルシスを引き剥がそうとした僕の手から彼女を遠ざけ、父親が立ちはだかる。
「あなたがセルシスの面倒を見てくれていたんですね。今までありがとうございました。これからは家族三人で暮らしたいと思います」
「それは法で禁じられているはずです」
一瞬、父親の笑顔が途切れた。そこに垣間見えた怒りの感情は、すぐに偽物の笑顔が塗り潰す。
「法なんて関係ありません。私たちは娘を愛しています。私たちを引き裂くことなど、何ものも出来ません。さあセルシス、家まで案内するんだ。荷物を持って家に帰るぞ」
セルシスは何も言わない。ただ、服の裾をキツく握り締めているだけだ。
母親の腕の中で息苦しそうに振り返るセルシスと目が合った。潤んだ瞳。震える唇。救いを求める眼差し。それだけで十分だった。
こいつらは親なんかじゃない。こんなの親と呼べるわけがない。
「セルシスは僕が引き取ります。安心して帰ってください」
「何言ってるんですか。親の私たちが迎えに来たんですよ。他人のあなたがとやかく口を挟まないでくれませんか」
「セルシスが嫌がって――」
「うるせえんだよ!」
突如、父親の方が怒鳴り声を上げた。街行く人々の視線が集まるけれど、豹変した彼は気にする様子もなくまくし立てる。
「さっきからグチグチグチグチよ。ぶっ殺されてえのか? ああ?」
彼は僕の胸ぐらを掴み上げ、前後に激しく揺らす。
こんなやつ簡単に叩きのめすことができるけれど、ゴミとはいえ一応はセルシスの親だ。手荒な真似は気が進まない。ここは口で押し勝つしかない。
「まあまあ、落ち着いてくださ――」
「気持ち悪いんだよロリコンが! うちの娘にハアハアしてんだろ? 警察呼ぶぞこの野郎!」
危ない危ない。ついうっかり殺すところだった。誰がロリコンだよ。ハアハア? してねえよそんなもん。ペロペロならしてやったけどな!
もちろん僕は口に出さない。下手に街の人々の心証を悪くしたくないからね。というか警察なんて呼んだら捕まるのそっちだよ。
「ほら、行くぞ」
僕を突き飛ばし、父親はセルシスの手を無理矢理引いていこうとする。けれど彼女はその場から動かなかった。
「わ、私は――」
乾いた音が鳴り響き、彼女の小さな頭が揺れた。見る見るうちにマシュマロのような白い頬が赤く染まる。打たれた方の目から滴が静かに流れ落ちた。
「なに逆らってんだ? あ? てめえは黙って俺の言うことを聞いてりゃいいんだよ。ほら、早く金を持ってこい」
「え……」
「金だよ金。見ろよ、俺たちの格好。何で親の俺たちがこんなに苦労してるのに、お前は綺麗な身なりをしてるんだ? おかしいだろ? あんなちっぽけな金にしかならなかったくせに、俺よりいい暮らししてんじゃねえよ」
彼はセルシスの赤い髪を掴み上げ、痛みに顔を顰める彼女の顔を見て笑った。
「産んでやったんだからよ。親孝行してくれよ。な? さあ、早く金を持ってこい!」
怒鳴り声とともにセルシスを蹴り飛ばした。ボロボロと涙を流すセルシスに舌を打ち、拳を振り上げる。
「お前、それでも親かよ」
僕は父親とセルシスの間に入り込み、それを受け止める。随分と軽い拳だった。
「あ? 部外者は黙って――」
「……いわ、よ」
セルシスの震える声に、彼は怪訝そうに眉を顰める。
「ない、わよ。お金なんて、ないわよ」
「嘘吐け! 知ってるんだぞ! お前が鬼王を倒して、その報奨金を貰ったことくらい! さあ、早く出せ! 出すんだ!」
「ないって言ってるじゃない!」
セルシスは悲鳴を上げるように叫んだ。けれど彼の父親は信じようとしない。
「何のためにお前を産んだと思ってるんだ!」
これ以上は彼女に聞かせられない。黙らせようと拳を握ったそのとき、幾つもの足音が聞こえた。
「何なんだてめえら!」
「お前か、騒いでるのは」
濃紺の軍服を着た人たちがセルシスの父親を両隣から押さえ込んだ。警察だ。
「離せ! 俺はこいつから金を――」
「言っておくが、そこの連中は無一文だぞ」
警邏隊員が僕たちに起きたことを淡々と説明する。さすがに国家機関からの言葉は信じざるを得なかったのだろう。父親は真っ青な顔になってセルシスへ振り返る。動揺を隠しきれず、瞳が忙しなく右往左往した。
「うそ、だよな? な? 本当は持って――」
「ないわよ……ぜんぶ、なくなっちゃったわよ……」
その言葉にセルシスの父親は膝を折って崩れ落ちた。警官が立たせようとするけれど、彼は糸の切れた操り人形のように項垂れる。
それも束の間だった。大金を逃した絶望が怒りへと変わったのだろう。カッと目を限界まで見開いた彼は、獣のように唸りながらセルシスへ突進する。しかし、それは警官によって阻まれた。それでも構わず食いかかろうとする。唾をまき散らし、怨嗟の声を唸らせた。
「この出来損ないが! クソ! クソが! 醜い化け物め! お前が俺の子だと思うと胸くそ悪くて反吐が出る! なんでお前みたいなのが生まれてきちまったんだ!」
警官が腕を取り組み伏せる。地面に頭を押さえつけられてなお、その醜悪な口はセルシスに呪いの言葉を投げつける。
「お前なんか産むんじゃなかった! お前なんか――死んじまえ!」
セルシスの父親は引っ立てられ、ビクビクと震える母親とともに連行されていった。
「大変だったね」
エマさんが駆け寄ってくる。
「もしかして、エマさんが?」
「うん。やばそうだったから警察を呼んだの」
助かった。さすがエマさんだ。本当ならお礼にこのあと二人でお茶でもしようと誘うところだけれど、今はそれどころじゃない。
セルシスは絶え間なく涙を流し、遠ざかっていく両親の背中を見つめていた。
「あんなの気にするなよ。さあ、かえ――」
頭を撫でようとした手をセルシスはぴしゃりと振り払った。痛くはなかったけれど、僕は反射的に声を漏らしてしまう。
それを見た彼女は目を丸くして、言葉を探すように視線を彷徨わせる。しかし、開きかけた唇はきつく結ばれ、セルシスは僕を睨みつけた。
僕は何も言えず、彼女は逃げるように走り去った。
追いかけるべきか迷っているリノたちが、伺うような視線を僕に送る。けれど僕は沈黙した。
「追いかけなくていいの?」
エマさんの声に、もう見えなくなったセルシスの背中を見つめる。どうすればいいか分からなかった。あれはすべてに絶望した顔だ。
あのときだって絶望する女の子を前にして逃げることしかできなかったのに。
三年経った今も、僕は何も成長していなかったのだ。