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幼女の好奇心は僕を殺す 5

「セルシス! どこだ!?」


 遮蔽物がたくさんあるせいでセルシスの姿を見つけることができない。


「だ、だめ! こないで!」


 近い。声色からすると泣いているようだ。


「そんなこと言ってる場合か? 鬼獣がいたんじゃないのか?」

「そ、そうだけど、とにかくだめなの!」


 何故だ。悲鳴をあげるくらい怖い鬼獣なんじゃないのか。だったら、すぐに合流した方がいいだろう。構うものかと声の方へ走る。


「上見ちゃだめ!」

「え?」


 咄嗟に声の方を仰ぎ見てしまう。木の上には号泣し、何故か下半身裸のセルシスがいた。すぐに顔を背けるけれど遅かった。


「見るなって……ひっく……言ったのに……」

「ご、ごめん! 悪気はなかったんだ」

「ぐすっ……さいあくよ……」


 やってしまった。そういうことだったのか。お前、トイレのときは下を全部脱がないとできない系幼女だったのか。先に言えよ……。まあ、プライドの高いセルシスのことだから、恥ずかしくて言えなかったんだろうな。


 肝心の鬼獣は見当たらない。諦めたのだろうか。近くにセルシスの下半身装備一式があったので、なるべく形を崩さないように拾う。幸い、パンツはパンツの――下着はパンツの中に入っている。顔を俯かせた状態で、セルシスのいる木の下にそれを置く。


「僕は戻ってるから、履いたら戻って来いよ」


 去ろうとすると、セルシスが声を上げた。


「ま、待ちなさい」

「どうした? 一人じゃ履けないのか?」

「ば、ばかじゃないの!?」

「じゃあ何だよ」


 セルシスは口ごもった。けれど、背に腹は替えられないと思ったのか、消え入るような声で言った。


「そこで……まってて」


 急にしおらしい態度になった。そんなに怖い鬼獣だったのだろうか。言われたとおり、待つことにした。


「ぜ、ぜったいに振り返るんじゃないわよ!」

「分かってるよ……」


 別に見たくない。ほんとだよ? これがエマさんだったら見る。カミュだったら自分の目を潰す。絶対に見ないようにね。リノだったら置いて帰る。マリアさんはママだから別にいいよね。


 セルシスが僕の服の裾を掴んだ。着替え終えたようだ。

 お前、手を洗ってないだろ、なんて野暮なことは言わない。言える雰囲気じゃない。


 目に一杯の涙をためて、セルシスは僕に身を寄せる。袖で拭っても彼女の涙は尽きない。その理由は悔しさと恥ずかしさ、それから怖さだろう。


 仕方ないので、僕はセルシスの頭を撫でてやった。普段なら絶対手を振り払うのに、甘んじて受けている。ついでに手も繋いでやった。握ってみると、手のひらはリノよりも硬い。この歳でこの硬さ。いったいどれだけ剣を振ればこうなるのか。僕は改めて彼女たちの運命を呪った。


「安心しろ。何が来ても僕が守ってやるからさ」

「……うん」


 リノたちの姿が見えるところまで来ると、セルシスはそっと手を放した。涙を拭って深呼吸する。弱いところを見せたくないのだ。そんなに頑張らなくてもいいと言ってやりたい。けれど、これがセルシスなのだろう。


「…………ありがと」


 風に飛ばされてしまいそうなほどか細い声だったけれど、確かに僕の耳に届いた。恥ずかしいからか、そっぽを向いている。赤い髪から少しだけ覗いた耳は、髪と似た色をしていた。


「おーい」


 リノの声だ。手を振っている。


「手、振ってるぞ」

「いやよ。馬鹿みたいじゃない」


 と言いつつ、躊躇いがちに手が上がる。胸の辺りまできたとき、リノがまた何かを叫んだ。


「うしろ! うしろだぞ!」

「うしろ?」


 言われて僕らは同時に振り返る。リノは手を振っていたわけではなかった。後ろにそれがいることを知らせようとしていたのだ。手を振り返さなくてよかったな、セルシス。


 それは高さ二メートルほどで、両腕が鎌になっていた。口を四つに開かせ、グロテスクな口内が覗く。鬼蟷螂だ。鎌は鋭い光を宿しており、人体など易々と切り裂くだろう。


 隣で声にならない悲鳴が上がった。セルシスは尻餅をついて、首を振りながら号泣していた。蟷螂が怖いのか。鬼猪すら容易に倒す彼女が、鬼蟷螂には戦意喪失するというのだから滑稽だ。


 鎌がセルシスへ向けて振り下ろされる。寸でのところで僕が剣で弾き返し、セルシスを抱きかかえて走り出す。彼女はしっかりと僕の首に腕を回し、しがみついてくる。鬼蟷螂相手では戦力にならない。


 僕の全速力に鬼蟷螂はついてくる。それどころか相手の方が速い。距離はじりじりと詰められていく。まずい。そう思った瞬間、真横をもの凄い速さで何かが通り過ぎた。


 硬いものが弾け合う音。振り返れば、リノが鎌を受け止めていた。


「わたしに任せておけ、セルシー」


 かっけえ……。くそ、僕だって負けていられない。さっき守ってやるって言ったばかりだ。

 しかし、セルシスは僕から離れようとしなかった。何を言っても首を振るばかりだ。


「セルシーちゃんは蟷螂を見ると泣いちゃうんです。アルカゼノマーになる前に襲われたそうで。以来、普通の蟷螂も駄目になったって言ってました」


 弱みを握った。けれど、使う気にはなれなかった。これほど人目を憚らず泣くのだから、相当怖い思いをしたのだろう。背中を撫でて、少しでも恐怖が和らぐように努める。


 リノは鬼蟷螂を相手に苦戦していた。目にも止まらぬリノの攻撃を奴は的確に弾いている。しかも相手は二刀流だ。手数ではリノが劣る。

 高速の打ち合いはリノが下がることで中断された。


「マリアー! 足止めしてくれ!」


 リノを追おうとする鬼蟷螂をマリアさんの銃弾が牽制する。あっという間に戻ってきたリノは、懐から紙切れを出して僕に見せた。


「読めるか?」


 そこに書いてあったのは、アルカゼノムを発動させるための示音だ。下手くそなひらがなで書かれている。


 アルカゼノムは使用する系統に応じた言葉を紡ぐ必要がある。ただし、それは言葉が重要なのではなく、音が重要なのだ。音として発したときに発動する。


 特筆すべきは系統によって音の出し方が異なるということだ。人によって発音できる音が微妙に異なり、自分が出せない音を練習しても習得できない場合がほとんどだ。そのため、得手不得手が生じる。こればかりは生まれ持った才能だ。


 セルシスが火以外を操れないのはそのせいだ。マリアさんとカミュも特定の系統しか使えないらしい。ただ、リノだけはほとんどの系統を使えると聞いている。つくづく頭の足りなさが残念でならない。


「リノお前、まさか読めないのか?」

「そうだぞ。文字は習ってないからな」

「いやいや、そんなわけ……」


 あった。リノたちは勇者協会にいた。そこに子どもを売る多くの理由は貧しさだ。そうなるように政府が仕組んでいる。だから子どもを使い捨てにできるのだ。どうせすぐ死ぬのだから、意思疎通のために言葉が話せれば十分だと考えられていたのかもしれない。貧しければ、売られる前に教育を受けることもできなかっただろう。


「セルシーは読み書きできるんだけどな、わたしは読めないんだ。セルシーは凄いんだぞ。自分で勉強したんだ。これもセルシーが書いてくれた。いつもはセルシーに読んで貰うんだけど、シャルで我慢してやるぞ」


 独学ということは施設に入ってからだろう。壮絶な日々の中で言語の勉強とは、並々ならぬ覚悟ではできない。きっと戦いのあとのことまで想定していたのだろう。つくづく子どもらしくない。けれど、彼女の努力は素直に賞賛したかった。


「読んでもいいけど、文字だけじゃ無理だろ?」


 示音は音が重要。口頭伝承が基本となる。だから、ただ文字を読んだだけでは発動しない。


「というか、示音を暗記してないのか?」

「知ってるだろ? わたしは馬鹿だから覚えられないんだぞ」


 何だか凄く可哀想になってきた。リノが馬鹿なのは、彼女のせいだけではないのかもしれない。学ぶ機会を与えられず、効率的な鬼の殺し方だけを求められたせいなのかもしれない。彼女は被害者なのだ。

 自分のことを馬鹿だと笑って言えてしまうことが、納得して諦めてしまえることが、悔しかった。いつも馬鹿って言ってごめんな。


「帰ったら文字を教えてやるよ。みんなにも」

「ほんとか? えへへ、シャルはいいやつだな」


 これくらいのことで、そんなに嬉しそうに笑うなよ。こっちまで嬉しくなるじゃないか。


「そろそろ限界です!」


 鬼蟷螂は銃弾を打ち落としながら前進を始めた。もうその速度に順応したのか。このまま行けばすぐにここまで辿り着くだろう。


「とりあえず読んでくれ。そしたら音を思い出すと思うぞ。何回も使ってるからな」


 それを先に言えよ。読み上げてやると、リノはポンと手を叩いた。


「それだ! ありがとな」


 無事思い出したようで、リノは鬼蟷螂へ向けて走り出した。

 というか、何度も使ってるのに忘れるのかよ。それたぶん馬鹿とかじゃなくて、脳になんかあるぞ。病院に連れて行くべきだろうか。


「――主よ、風は破壊の担い手とならん。私は願う。この道筋にある生は尽き、彼の地へお運びください」


 槍に風が渦巻き、リノはそれを力強く投擲した。


 鬼蟷螂は避けようと羽を広げるが、飛び立った直後に身体が槍の方へ吸い込まれた。凄まじい音を立てて羽を震わせるが、逃げることは叶わない。その身体を穂先が貫き、跡形もなく吹き飛ばした。

 瞬殺。さすがと言うべきか、アルカゼノムを使いこなしている。


 槍はそのまま直進して、木々をなぎ倒しながら止まる気配を見せない。


「リノ、あれどこで止まるんだ」


 首を傾げて僕を見上げた彼女は、屈託のない笑みを浮かべてこう言った。


「分からん」

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