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英国カントリーサイドの吸血鬼   作者: 黒崎リク
第一章 春には早い、三月
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(3)


 結局、バンクス氏の家でそのまま昼食までご馳走になった。

 帰る頃には、私も少しは町の人と打ち解けることができた……と思う。

 バンクス氏の孫のメアリーとトニーに手を引かれ、家の中や庭を案内され、倉庫にいるという犬のゴーストの見物にも行った(会うことはできなかったが)。帰り際、二人は「またね」「遊びに来てね」と元気よく手を振ってくれた。

 食料品店で牛乳と卵、トースト用のパンを買って、町一番の大通りを歩く。隣では荷物を抱えたジャックが、私の歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれる。


「あまり昼食を食べていないようでしたが、体調は大丈夫ですか?」

「朝にたくさん食べたので……。その、緊張したけれど、とても楽しかったです。ありがとうございます」


 私が答えると、ジャックはほっとしたように目元を綻ばせた。


「それはよかったです。家に戻ったら、あなたは予定通り部屋の片づけをして下さい。私とアーティは散歩に……」


 ジャックの言葉の後半を、私は聞き流してしまっていた。

 歩きながら横を向いて、ついには立ち止まって振り返って、今しがた横を通り過ぎた男達を見つめる。

 黒い帽子に黒い服を着た、影のような男が三人。道沿いの家の壁に張り付くようにした彼らは、窓を一心不乱に拭いていた。


 一人は足が異常に長く、二階の窓に簡単に手が届く。

 一人は腕が異常に長く、離れた二つの窓を両手で同時に拭ける。

 最後の一人は、異常に手が大きくて、大きな窓でも一拭きで綺麗にできる。


 次々に家の窓を拭いていく彼らを、私は呆気に取られて見やる。


「……」

「ああ、あれは『窓拭き男』ですよ。この時期になると出てくるんです」


 私の視線を追ったジャックが、あっさりと答えた。

 春先の嵐で汚れた窓を拭いてくれる三人組は、もちろん人間ではない

 道行く人は、彼らの異様な風体に見向きもせずに通り過ぎてしまう。散歩中の犬は怯えて三人組に吠えたてるが、飼い主は吠える理由が分からず、叱りながら犬を引いていった。拭いている最中に内側から窓を開かれて、足長の男がよろめいても、住人は気づいた様子はない。

 ゴーストなのか、精霊なのか。詳しい正体は分からないが、害は無いようだ。ジャックは「もう彼らが来る時期なんですね」と嬉しそうだった。


「そろそろ三月の嵐も終わりますよ。春はすぐそこですね」




***




 家に帰り着いたジャックは、新品の丈夫な布巾を六枚、バケツに掛けて玄関の外に置いた。窓拭き男へのお礼だという。

 そうして、留守番していた犬のアーティを連れて散歩に出かけていった。

 私は一人家に残り、荷ほどきをして部屋を片付ける。

 とはいえ、荷物はさほど多くないので、一時間も掛からなかった。少ないワードローブ一式はクローゼットに。日本語の本や英語の辞書、異人管理局関係の資料は本棚に。パソコンタブレットと付属のキーボードはデスクに。化粧水や化粧品(公爵が勝手に用意していた)、常備薬などは、バスルームの鏡の裏の棚にしまった。

 携帯用の音楽プレーヤーを充電しながら、サイドテーブルに置いたミニスピーカーに繋げて音楽を流す。

 陽気なテンポのケルト音楽。バイオリンの軽やかなメロディは軽快で楽しくも、何となく懐かしい気持ちにもなる。小さな音量で流していると、換気のために開けていた窓を叩く音がした。

 窓の方を見ると、黒い帽子を目深に被った男の顔が外にある。

 ここは二階だ。驚きで固まっていると、口をへの字に結んだ男はこつこつと指先で窓ガラスを叩く。ジェスチャーで「閉めろ」と言っているのがわかった。

 彼があの窓拭き男の一人――おそらくは足長の人――だと分かり、私はおそるおそる近づいて窓を閉める。

 男はいささか乱暴な手つきで窓を拭いていった。濡れた布巾を片手に、乾いた布巾をもう片手に。昨日の雨や風で汚れていた窓が、きゅきゅっと音を立てて、あっという間に綺麗になる。

 男は再び、窓をこつこつと叩いた。

 ……今度は「開けろ」だろうか?

 窓を開けると、男はベッドの方を指さした。意味が分からずに首を傾げると、男がぴゅうひゅうと口笛を吹いてメロディを紡ぐ。

 ちょうど、流れているケルト音楽のバイオリンに合わせるように。

 急いでミニスピーカーの音量を上げれば、男はそれ以上窓を叩くことなく、別の窓へ移動した。への字だった口元が、わずかに緩んでいる。

 どうやら窓拭き男は、音楽好きだったらしい。

 綺麗になった窓を開いて前庭を見下ろすと、他の二人も楽しそうにステップを踏みながら一階の窓を拭いていた。

 五分ほどで窓拭きは終わり、窓拭き男たちは、汚れてボロボロになった布巾をバケツの中に放り込む。新しい布巾を嬉しそうに手にして、隣の家へと移動していった。

 彼らを見送った後、私は窓を閉めて、スピーカーを小さな音量に戻す。

 そして、一つだけ開けていなかった段ボールのガムテープを剥がした。

 荷造りした覚えのない箱には、乾燥だし、インスタント味噌汁、切り餅に海苔、私の好きなメーカーのせんべいやおかきなど、日本の食品がこれでもかと詰め込まれている。おそらく義父が用意したものだろう。

 ふと、箱の一番底に紙袋があるのに気付く。中身を取り出せば、青と緑色のチェック柄の、大判のストールが綺麗に畳まれて入っていた。

 それから、淡い桃色のメッセージカード。取り出せば、丸みを帯びた文字が並んでいる。


『 イギリスは寒くないですか? 風邪をひかないよう、気を付けてね 』


 見慣れた日本語を目で追えば、頭の中で彼女の声が再生された。

 知らずに、息を詰めていた。嬉しいはずなのに、苦しい。ぎゅっと拳を握りしめて、息を吐き出した。


「……姉さん」


 ストールはとても柔らかくて、少しだけ冷たい。広げるのを躊躇い、私は畳んだままのそれを、そっとクローゼットにしまった。



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