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英国カントリーサイドの吸血鬼   作者: 黒崎リク
第一章 春には早い、三月
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(2)


 朝食はおいしかった。

 イングリッシュ・ブレックファーストだからというより、ジャックの料理の腕が良いからだと思う。

 卵二個を使ったスクランブルド・エッグはふわふわとした口当たりで、バターとコショウが効いていた。カリカリのベーコンは噛めばじゅわっと塩気と旨味が出て、ソーセージは香辛料が効いて美味しい。ベイクドビーンズは缶詰から出すだけではなく、鍋に移して塩、黒コショウ、パセリを加えて煮込み、甘さ控えめに仕上げてあった。

 大皿に盛られた料理を何とか全部食べ終えて、たっぷりのマーマレードを塗った薄いトーストも一枚食べた。たぶん、今までの人生で一番の量を食べた朝食だろう。そして、一番美味しい朝食でもあった。

 向かいの席に座るジャックの食欲は旺盛で、私の二倍の量は食べていた。吸血鬼がこんなに食事をするとは思っていなかった。私の知る吸血鬼、もとい公爵は小食であったし、彼らが栄養とするものは本来は『血液』だ。

 普通の人間のように食事を楽しむジャックは、優雅な所作でデザートの小さなプティングまでおいしそうに食べ終える。

 ジャックの食べっぷりを食後の紅茶を飲みながら見ていた私に、彼が話しかけてくる。


「そういえば、部屋の片づけは済みましたか?」

「あ……いいえ、まだです」

「そうですか。今日の予定ですが、天気のいいうちに町の中を案内しようと思っています。片づけはその後でもいいですか?」

「はい、構いません」

「よかった。では、町長や町の人達にも挨拶をしに行きましょう。管理局の新しい保護官として」


 ジャックの言葉に、今日からさっそく研修が始まるのだと緊張しながら、私は頷いた。




***




 ブライアーヒルは、北コッツウォルズの外れにある小さな町だ。

 グロスターシャーに属し、人口は六百人程度。農業と観光業が主な産業である。

 緑の丘に囲まれたハチミツ色のライムストーンの街並みは美しいが、とくに有名な観光名所は無い。数マイル先のガイドブックに必ず載るような町に比べれば、穏やかでのんびりとした風情がある。もっとも、最近は町に一軒しかないパブで出されるプティングが人気で、観光客が以前よりも増えているらしい。

 町には、教会、郵便業務もやっている食料品店、パブ、それから観光客向けのアンティーク雑貨屋に、B&Bの宿が一軒ずつある。バス停の近くには大きな広場があり、月に二度、定期市フェアが開かれる。

 また、近くの街には大型のスーパーマッケートがあり、日常生活に必要なものはたいてい揃うという。街には小学校から大学まであり、町の子供達のほとんどはそこに通っているそうだ。


 一時間ほどで町をぐるりと一周、中心部を一通り見ることができた。

 ジャックが担当するのはブライアーヒルだけでなく、周辺のいくつかの町や村、丘や森を含む一帯の治安維持を担っているそうだ。


「昨日のように小さな案件であれば自分で解決しますが、大規模のものや人手が足りない場合は、オックスフォード支部やロンドン支部に協力を要請します」

「……」


 風の巨大なライオンが小さな事件。

 日本では研修前の訓練として義父の仕事に同行し、幽霊や鬼に関する事件に関わった。だが、ファンタジー世界から飛び出てきたようなライオンに比べれば地味で可愛い方だ。イギリスの基準は高そうだ。

 その後、ジャックと共に町長のバンクス氏の家へ挨拶に行けば、イレブンジスティーに誘われた。

 イレブンジスティーはその名の通り、午前十一時のお茶の時間だ。

 広く明るい温室コンサバトリーに招かれ、中央に置かれた長テーブルでバンクス氏とその妻、さらに幼い孫二人に囲まれる。色鮮やかなチューリップやアネモネ、水仙の植木鉢が置かれた温室はまさに春爛漫としていた。


「ずいぶん若い子が来たものだね。それに東洋人の管理局の人は初めて見たよ」

「どこから来たの? 中国? タイ? ……あら、日本! 十年前に行ったのよ。キョートが特に良かったわ」

「ねえねえ、サキは人間なの? ジャックはヴァンパイアでしょ」

「サキはゴースト見たことある? 僕はあるよ! うちの倉庫にいるんだ。ビリーって言うんだよ。灰色の大きな犬なの。そうだ、見せてあげる!」


 次々に尋ねられて答えていると、温室の中だけでなく外も騒がしくなってくる。話を聞きつけた町の人々が訪ねてきたのだ。


「はぁい! コンニチワ! あなた、英語は話せる?」

「おいおい聞いたぞジャックさん! 若い女の子と同棲するんだって? さすが色男、隅に置けないねぇ」

「まあ、うちの孫よりも年上なのね。てっきり十四、五歳かと……」

「ほっほ、お嬢さん、日本の話を聞かせてくれんかね」

「ねえあなた、スシは作れる? 私、最近日本食にはまっていて――」


 と、最終的には温室に十数人の老若男女が集まった。

 テーブルには紅茶のカップ、熱湯がたっぷり入った大きなポットにミルクジャー、籠に山盛りのティーバッグ。ジャムが乗ったタルトや小さなミートパイ、バタークッキーなどの手で摘まめるお菓子も並び、さながらティーパーティーだ。

 賑やかな歓待を受けて、私は戸惑う。勝手なイメージだが、イギリス人は個人主義で保守的、外国人にはそんなにフレンドリーではないと思っていた。

 もっとも、私一人だけだったら歓待を受けることは無かったかもしれない。人の輪の中心にいるのは、ジャックだ。穏やかな笑みを浮かべて話を聞き、相槌を打っている。

 ジャックは町の皆に慕われているらしい。膝の上にはバンクス氏の孫娘が座り、両隣は婦人が占拠していた。特に女性に人気があるようだ。

 そういえば、町を案内してもらっている間も、ジャックはすれ違う人に声を掛けられていた。この町では、異人であるジャックを人々が恐れている様子は無い。ジャックもまた、町の人々に親切で、横柄にふるまうことはしない。

 異人と人間が、壁も境も作ることなく共存している。

 横浜ではあまり見られなかった光景だ。さすが、古くから異人と人間の共存が行われてきた国である。

 感心していると、一人の老婦人がジャックに尋ねる。


「ねえジャック、あなたまさか、保護官を引退するの? 彼女に引き継ぐわけ?」


 言いながら、老婦人は横目で私をちらりと見た。よそ者を見る険しい目に、身が竦む。


「あなたがいなくなったら寂しいわ。このブライアーヒルはおしまいよ」


 眉根を寄せる老婦人がジャックに詰め寄る。どうやら私がジャックを追い出すと思っているようだ。誤解だと言う前に、ジャックがやんわりと訂正してくれる。


「いいえ、引き継ぐわけではありません。彼女はこちらで一年間、保護官になるための研修を行います。……まあ、私も年ですので、そろそろ引退してのんびりと田舎暮らしを送りたいものですが」

「もう、ジャックったら」

「今だってそんな生活をしているじゃないか」


 どっと笑いが起こる。不穏な空気はあっという間に消えた。


「彼女が一人前の保護官になれるよう、どうか皆さんもよろしくお願いします」


 しっかりと町の人達に頼むジャックに倣い、私も急いで頭を下げた。



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