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英国カントリーサイドの吸血鬼   作者: 黒崎リク
第三章 薔薇が綻ぶ、五月
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(8)

 ルカは何とも場にそぐわない、しかし彼らしい飄々とした口調で尋ねてきた。まるで散歩中に会った時のような気軽な問いかけに、呆然としながらも答える。


「いいえ……」

「答えられる意識があるなら大丈夫だね」


 ルカは私の返答ににこりと笑い、腰に下げた短剣を抜く。

 さっと素早く左右に動かしただけのように見えたが、私の身体を拘束していた茎や葉がぱらぱらと落ちていく。目の前を銀色の刃先が通り過ぎたことで、眠気も一気に吹き飛んだ。肝も冷えた。

 ルカを見上げると、彼は作ったような笑いではなく、意地悪く片頬を上げる。


「まったく。あまり手間を掛けさせないでほしいな」

「……すみません。ありがとうございます」


 助けてもらったことは確かなので礼を言うと、ルカは目をぱちぱちと瞬きさせて、呆れたように息を吐く。


「君、そんなだから付け込まれるんじゃないの。……まあいいや。付け込むよりはマシか」


 独り言ちた後、ルカは妖精達の中央にいる、ブルーベルの女王の方を向いた。

 ルカの登場に妖精達はざわめくが、女王は無感情な目でルカを見つめ返す。


「はぐれの番人。なぜ、人間それを助ける?」

「こちらこそ問おう、青き花の長よ。なぜ人間を捕らえようとする? これは明らかな規約違反だよ」

「それは人が作った約束ルール。なぜ私達が守らなくてはならないの」

「隣人だからさ。互いのことわりは理解できずとも、勝手に破ってはいけない」

「その人間はこちらの世界に入ったのだから、こちらの理に従うまでよ」

「彼女が意図的に入り込み、あなた方に害を与えようとしたのであれば、その理に従おう。……でも、そうではないだろう?」


 ルカは女王を冷ややかに見据えた。


「彼女をこちらの世界に閉じ込めるために、罠に掛けた。レイラ・カーソンを利用してね」


 出てきた名前に、私は目を瞠る。まさかというより、やはりという気持ちが大きかったが、いざ知ると動揺した。

 しかし女王は動揺を見せることなく、ゆるく頭を傾けただけだ。


「あの子が望んだことよ。あの子はジャックを失いたくない。だから、その人間をこちらに渡した」

「それはあなたの望みでもあった」


 そこで女王の目に揺らぎが生まれる。図星を突かれたからだ。


「……『薔薇の血』は危険よ。こちらの世界の者は危惧しているわ」

「その通り。たしかに危険だけれど、彼らはこの世界に生まれた。すべての世界の理の下で、誰かが故意に作ったわけでもなく、自然に生まれたんだ。だから僕らは、どんなに彼らを恐れても、許容しなくてはならない。それが僕らの理。

 ……ねえ、女王。薔薇から棘を奪うのは人間だけだと思っていたけれど、ひょっとして妖精もそうだったのかい?」


 美しい薔薇の鋭い棘。身を守るために生まれた棘を、人間は鋏で切りとり、さらには棘が生えないよう品種改良まで行った。

 すべては自分たちの安全のためで、薔薇のことなど考えもせずに――。

 ルカの皮肉に、女王の頬がぴくりとわずかに動く。


「はぐれの番人。口が過ぎるぞ」

「これは申し訳ない。女王陛下の前で無礼な真似を」


 少しも申し訳なさを感じない口調でルカは謝罪した。女王は青い目にゆらゆらと陽炎のような光を浮かばせる。


「お前はジャックを死なせてもいいの?」

「いいや、できれば生きていてほしいよ。僕もあなたと同じように、彼のことが好きだから」


 ゆっくりとルカは首を横に振り、そして微笑んだ。作り笑いではなく、自然に零れでたのは儚い笑みだ。


「だけど、それは僕が決められることじゃない。……そうだよね、ジャック」


 ルカの言葉の後に、空気が変わる。

 青い花の園に佇む銀髪の老紳士――ジャックの姿に、妖精達がざわめいた。

 少しだけ髪と服装が乱れていたが、普段と変わらぬ静かな表情で、ゆっくりとこちらへ向かってくる。


「お久しぶりです」

「……」


 女王は無言で表情を歪める。

 神秘的な雰囲気を持っていた彼女は、今はまるでいたずらが見つかった子供のように頼りなく、哀しげに見えた。視線を逸らす女王に、ジャックは困ったように眉尻を下げる。


「あの頃とお変わりありませんね」

「……お前は、ずいぶんと老けたわ」

「そうですね。あれから百年は経ちますから」


 ジャックは静かな表情で女王と相対した。


「サキを迎えに来ました。連れて帰ってもよろしいですか」

「……その人間は、お前を滅ぼすわ」

「生あるものも無いものも、すべてに終わりはあります。命に永遠はありません」

「お前が望めば手に入るのに?」

「私は永遠を望みませんから」

「でも――」


 女王は、そこで言葉を切る。「でも」と口の中で再び繰り返しながらも、その先は出てこない。やがて俯いてしまった彼女に、ジャックは淡々と告げる。


「あなたもレイラも、私を心配してくれていることは知っています。その気持ちはありがたく思います。ですが、サキを傷付けたことは受け入れられません。とても許しがたいことです。今後、彼女に何か害を加えるようなことがあれば、容赦はしません」


 穏やかな口調に潜むのは、怜悧な刃物のような冷たさだ。


「……」


 女王はしばらくの間黙った後、ゆっくりと顔を上げる。先ほどまで浮かんでいた動揺は消え去り、無機質な眼差しに戻っていた。


「ならば、帰りなさい」


 そう言い残し、女王は背を向ける。もはや私に視線を寄越すことも無かった。

 数歩歩いたかと思うと、彼女の姿は消え失せ、同時に他の妖精達もてんでに散っていく。

 残されたのは、私とルカ、そしてジャックだ。

 ジャックはこちらに向かってくる途中で屈みこむと、草叢の中からヴァンを拾い上げる。先ほど梢に当たって吹き飛ばされていたヴァンは、ぐったりとしていた。顔色を変えた私に、ジャックは安心させるように言う。


「大丈夫、意識を失っているだけです」

「よかった……」


 ほっと息を吐く私に、傍らのルカは肩を竦める。


「君の方が、よほど怪我がひどいのにね。……ほら、早く出ないとウラシマになっちゃうよ」


 浦島太郎のことを言っているのだろう。あちらの世界は、時間の流れが早いことが多い。長く滞在すればするほど、元の世界に戻った時の時間がずれる。

 ヴァンをポケットに入れたジャックが、屈んで手を伸べてくる。彼の顔を、私は見ることができなかった。


「帰りましょう、サキ」

「でも……」


 躊躇う私の手を、ジャックの方から握ってくる。顔を上げた私の目に映ったのは、静かな笑みを浮かべるジャックの顔だった。


「……あなたに、話さなければならないことがあります」





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