(6)
火のコントロールははるかに上手くなっていた。一度、誤って私を傷付けた際にひどく落ち込んだヴァンは、その後アーティやジャックと共に炎を操る練習をしていたのだ。
「きゅっ!」
足元の拘束が解けた私に、ヴァンが鋭く鳴く。我に返り、私は身に着けていたウエストバッグから鉄製の小さなナイフを取り出した。身を翻して駆け出す。
「そこをどいて!」
妖精は鉄を苦手とする。家を出る前、『妖精の輪』の対策用として、バッグには鉄釘や蹄鉄、細いロープや蝋燭などを入れてきていた。いざという時の護身用のナイフを、まさか本当に身を守るために使うことになるとは思わなかったが。
きゃあきゃあと、笑い声とも悲鳴ともつかぬ声を上げて前方の妖精達が逃げる。本気で彼らを傷付けるつもりはない。できた間を通り抜けて、私はブルーベルの森を駆けた。
駆ける足元で、ブルーベルの青い花びらが散る。花々の間に潜んでいた妖精達が散っていく。
どうやったら、この森を抜け出せるのか。
背後から妖精達が追ってくる気配を感じながら、足を止めずに進む。白い靄に覆われた森は同じような光景ばかり続いて、終わりが見えなかった。
だが、必ず果てはある。妖精に道を惑わされることなく、まっすぐに進むしかない。あるいは、道案内があれば……。
「きゅうっ!」
ポケットから移動して私の肩に陣取っていたヴァンが、後方に向かって炎を吐いた。近くの木から伸びた枝が私を捕えようとしていたらしく、すぐ近くで細い枝が燃えあがる。
それを皮切りに、他の木も枝をうねうねと伸ばしてくる。鉄のナイフは精霊に効果はあっても、木自体には効かないため、伸びる枝に捕まらないようにするしかなかった。
絡みついてくる枝をナイフの刃で払い、盛り上がる根を飛び越える。何度か転倒しては立ち上がり、それでも駆ける。次第に息が切れ始め、額に汗が滲んできた。
先の見えない逃亡に追い打ちをかけるように、背後の妖精達が矢のようなものを射ってきた。矢じりは無いが、背中や脚に当たって痛みを与えてくる。逃げる私を、枝の上に座った妖精は見下ろして、くすくすと笑っていた。
焦りと疲れが、注意を散漫にする。
進行方向にいた数匹の妖精が、梢の先を掴んでしならせていることに気づけなかった。妖精達が笑い声と共に手を離せば、反動で勢いよく梢はしなる。
眼前に迫る梢を避けることはできるはずもなく――。
「きゃっ……‼」
「ぎゅっ!」
咄嗟に顔の前に腕を出したため、顔面への直撃は防げたが、尖った枝の先端が鞭のようにしなり、手から腕へと鋭い痛みが走る。小枝や葉に上半身を殴打された衝撃で、一瞬息が詰まった。さらに、肩に乗っていたヴァンは梢の葉に巻き込まれ、弾き飛ばされてしまう。
衝撃で後ろに倒れ込んだ私を、幾つもの足音が取り囲む。
追いつかれた。痛む腕を押さえながら立ち上がれば、周囲の妖精達は息の一つも切らしていない。さっきと変わらず平然として、綺麗な恰好のままだ。その中心にいる森の女王もまた、相変わらず美しい姿で立っている。
私だけ、汗と泥と草木の汁で汚れていた。買ったばかりの黄色いコートは梢の一撃で腕の部分が裂けて、ジーンズは泥だらけで何ともみすぼらしい姿をしていた。
この中で、自分だけが異物なのだと否応なしに分かってしまう。
じくじくと痛む腕を押さえながらも、お守りのように鉄のナイフを構えた私に、女王は少しだけ表情を動かす。小さく眉を顰めて、困った子供を見るような眼差しを向けてきた。
「あきらめなさい、討伐者。お前はここから出られない」
「……いいえ、私はここから出て行きます。家に、帰ります」
「どうして? ジャックに死を与えるために?」
「……」
緊張で口の中が渇く。唾を飲み込み、私は答える。
「たしかに、私の血はその力を持ちます。ですが、私はジャックを死なせるつもりはありません」
だから、と言いかけたとき、女王が憐れむように目をわずかに細めた。
「お前がそう言っても――ジャックが、それを望んでいるのよ」




