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英国カントリーサイドの吸血鬼   作者: 黒崎リク
第一章 春には早い、三月
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2.ブライアーヒルと窓ふき男(1)


 ピピッ、と電子音が静かな部屋に鳴り響く。

 目覚まし時計のアラームを止めようと、目を閉じたまま頭の上に手を伸ばしたが、指先は空を切る。

 枕に頬を押し付けて手探りしていれば、時計の代わりに硬い木の板が当たった。痛みと違和感に薄目を開けると、見覚えのない若草色の花柄のカーテンが視界に入る。そこで、ここが自室でないことを思い出した。……否、昨夜から『自分の部屋』になった。

 のそのそと起き上がって、ベッド横のサイドテーブルに手を伸ばす。目覚ましをセットしていたスマホの光る画面をタッチした。つい数日前まで、ベッドヘッドに置いたアナログなベルの目覚まし時計を使っていた。身体に染みついた習慣は海を渡っても消えない。

 ベッドから降り、カーテンを開く。時刻は七時。日は上っているが空は薄曇りで、弱い光が室内を照らした。

 窓の光を背に、改めて室内を見回す。八畳くらいの横長の部屋に、ベッド、デスク、アームチェア、本棚などの家具が納まっている。どの家具も古いがよく手入れされてあり、木製部分は綺麗な飴色になっていた。壁に掛けられた絵画には満開の花の庭が描かれ、そこだけ先に春が訪れているようだ。

 床にはアラベスク文様の絨毯が敷かれ、廊下と通じる扉の前のマットの上には脱ぎ捨てたサイドゴアブーツがある。

 壁際には、部屋に運び入れたままの大小の段ボールが五箱。イギリスに渡る前に日本から送っていたものだ。衣類や生活用品が入っているが、二泊程度の着替えはバッグパックに詰めていたので、昨夜は荷ほどきをしなかった。

 南側にあるこの部屋は日当たりがよく、三室あるベッドルームの中で一番のお勧めらしい。また、二階にあるバスルームに直結しており、今後は私専用で使っていいと言われている。

 バスルームで顔を洗って、身支度を済ませる。短い髪は、手で梳いて軽く整えた。チェック柄のネルシャツにセーターを重ね、ジーンズを履く。昨日とほとんど変わらない服装に着替えて、一階に降りた。

 何かを焼いている香ばしい匂いが廊下に漂う中、リビングの向かいにあるダイニングに入る。


「……おはようございます」

「おはようございます、サキ」


 ダイニングに隣接するキッチンから出てきたジャックは、微笑みながら挨拶を返してきた。

 ジャックは豊富な銀髪を軽くサイドに流し、白いワイシャツに灰色のカーディガンを重ねている。クリーム色のエプロンが妙に似合っていた。昨日の園芸用のエプロンもよく似合っていたものだが。

 ジャックは一度キッチンに戻り、マグカップを持ってくる。カップからふわりと白い湯気が立ち、紅茶の香りがした。


「アーリーティーをどうぞ。昨夜はよく眠れましたか? だいぶ疲れているようでしたが」

「はい……」




 昨日、ジャックがライオンに攫われた羊を探しに出た後、私はそのままリビングのソファで眠り込んでいたらしい。肩を優しく揺すられて目を覚ませば、綺麗な青い瞳に覗き込まれていた。夢の中かとぼんやりしていたが、苦笑するジャックを見て、ようやく我に返ったものだ。

 ちなみに、羊は無事に取り返したらしい。どうやって取り返したのかは聞けなかった。ただ、ジャックもアーティも怪我はなく元気だった。

 その後、軽い夕食を済ませ、ジャックに家の中を案内してもらった。

 部屋を決めて荷物を運びこみ、シャワーを浴びて、持ってきたタブレットパソコンだけ取り出してロンドン支部へのメールを作成した。

 ライオンのことを書いた方がいいのか悩んだものの、とりあえず無事に着任し、ジャックの家に滞在することが決まったと無難な内容だけを送った。日本へも同じ内容のメールを日本語で送る。パソコンは一回フリーズしたものの、何とか送ることができた。

 そしてベッドに潜り込み、慣れない枕でしばらく寝付けずにいたものの、その後は一度も起きることなくぐっすりと眠り――今に至る。




「それはよかったです。ああ、そうだ。朝食にポリッジを出そうと思うのですが……」

「……」


 ポリッジ。オートミールをどろどろのお粥状に煮込んだ料理だ。

 ハチミツやゴールデンシロップ、ミルク、バナナやイチゴなどの果物を添えたものを、朝食の定番だと公爵の家で出されたが、私は少し苦手だった。口の中に残るあのつぶつぶの食感がどうも好きになれない。

 返事をする前に私の表情を読み取ったらしく、ジャックは「それではコーンフレークスにしましょう」と答えた。

 申し訳なく思い、せめて準備を手伝おうとジャックの後を追ってキッチンに入る。

 キッチンでは、薄いパンがトースターで焼かれて、大きなソーセージと分厚いベーコンがフライパンの中でじゅうじゅうと音を立てていた。ガラスの器にはカラフルな豆と根野菜のサラダが盛られ、カットフルーツの入ったボウルもある。

 白い大きな丸皿の三分の一には、たっぷりのマッシュルームとトマトのソテー、ベイクドビーンズが乗っていた。これから、この皿にいろいろ盛られていくのだと予想がつく。


「あの、ジャック……これ全部、朝食ですか?」

「ええ、もちろん。サキ、卵はどうします? フライド、ボイルド、スクランブルド、ポーチド……ああ、日本のダシマキも作れますよ。何種類か作りましょうか?」


 そんなに食べられない。日本にいた時は食パン一枚と紅茶ですませていたくらいだ。

 戸棚からコーンフレークスの箱を取り出そうとするジャックを、私は慌てて止めた。すると、彼は心配そうに眼鏡の奥の青い目を揺らす。


「食欲がありませんか? もしかして体調が悪いのでは……」

「い、いいえ、大丈夫です。その、朝はあまり食べないので」

「おや、それはいけません。朝はしっかり食べなくては、一日が持ちませんよ。あなたは少し細すぎる。大丈夫、イギリスの朝食ブレックファーストは美味しいから、いくらでも入りますよ」


 にっこりと、おそらくは親切心からくるジャックの言葉は、私の軟弱な胃にきゅっと悲鳴を上げさせた。



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