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英国カントリーサイドの吸血鬼   作者: 黒崎リク
第三章 薔薇が綻ぶ、五月
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(4)


 午前中は晴れ間があったが、今はどんよりと雲が空を覆っている。先日買ったレインコートを羽織ってきたのは正解だ。今にも雨が落ちてきそうな空の下、私は急いでレイラ・カーソンの家へ向かった。

 最初はアーティも一緒に来たがったが、ジャックに留守番も頼まれている。渋々家に残ったアーティは、代わりにヴァンを連れて行かせた。家を出る直前、アーティは何やら真剣な顔つきで、ヴァンに向き合っていたものだ。

 きっと『サキのことを頼む』と言い含んでいたのだろう。黄色のレインコートのポケットに収まったヴァンは、きりっとした顔で辺りを見回しながら、大人しくしている。

 早足でレイラの家にたどり着いた時には、まるで待っていたかのようにぽつりと雨粒が落ちてくる。ヴァンが濡れないようポケットの蓋を被せて、前庭に足を踏み入れる。


「カーソンさん、いらっしゃいますか?」


 声を掛けながら玄関扉に近づくと、前庭にレイラが現れた。

 私は緊張しつつ彼女に目礼した。レイラは目を逸らすように伏せた後、「こちらよ」と踵を返す。

 やはりよく思われていないのか、それともメイ・フェアでのことが気まずいのか、レイラの態度は硬いものだった。

 今は気にしても仕方ないと、気持ちを切り替えて彼女の後ろをついて行く。ジャックの家と同じように、裏手には広い庭があった。

 その芝生の一角に、釣り鐘型の青い花が輪を描くように生えていた。


「これよ」


 レイラが少し離れた場所に立って輪を示す。

 彼女を後ろに下がらせて、私は輪の傍らに膝を付いた。遠目から見て分かってはいたが、念のために確認する。

 ――本物だ。

 妖精が作った『妖精の輪』で、間違いない。

 紫がかった濃い青色の花が生える地面には、普通の人には見えないきらきらとした輝きがある。それに、周囲にはまだ妖精が残っており、青紫色の光を帯びた粉を漂わせては、くすくすと小さな笑い声を響かせていた。

 見に来てよかった。もしかしたら、レイラや他の人が被害に遭っていた可能性もある。

あとは、輪に絶対に近づかないよう注意して、周囲にロープを張り、ジャックの到着を待てばいい。

 ほっと息を吐き、足に力を入れて立ち上がる。


「カーソンさん、これは本物の妖精の輪です。しばらくここには近寄ら――」


 言いかけた時、肩を強く押された。

 立ち上がりかけていた私はバランスを崩し、前によろける。

 顔だけ振り返らせた私の目に映ったのは、強張ったレイラの顔と、彼女の伸ばした手。


 倒れる。触れる。妖精の輪に――。


 回転して流れる視界が最後に映したのは、激しくなる雨の白い線と、はるか遠くの灰色の雲。

 それらがぐにゃりと歪んだ直後、強い波にさらわれた時のように息ができなくなって、視界が真っ暗になった。




 白い雨が、さあさあと降る。

 シャワーと呼ばれる通り雨よりも強い雨が、一人佇む老婦人の全身を濡らしていく。


「……仕方が無いのよ」


 雨に濡れた銀髪を額に貼りつかせ、彼女はぽつりと呟いた。

 彼女が見下ろす先には、青い花でできた妖精の輪がある。その輪の中に先ほど倒れ込んだ日本人の少女の姿は、きれいさっぱり消え失せていた。


 ――くすくす、くすくす。


 老婦人の周りを、青い光を持つ妖精達が楽しそうに飛んでいた。




***




 頬に何かが触れて、目が覚めた。

 途端、ぐわんと頭の中を掻き回されているような強い眩暈に襲われた。視界が揺れ、ひどい船酔いになったかのように頭も身体も重くて、気持ちが悪い。


「っ……」


 固く目を瞑って、浅い呼吸を繰り返す。何とか気持ち悪さをやり過ごした後、再び目を開いた。少し眩暈はしたが、さっきよりはだいぶマシになっている。

 私は身体をゆっくりと起こして、辺りを見回した。

 そこは青い花園だった。白い靄が掛かる森の中、地面を覆いつくすように釣り鐘型の青い花が咲いている。紫がかった濃い青色が一面に広がる様は、まるで青い絨毯だ。

 これらはたしか、ブルーベルという花だ。

 イギリスの春の花。五月の森の中に密集していっせいに咲く。これらが群生する森は『ブルーベルの森』と称され、幻想的な美しい景色を作り出すことで有名である。

 ヨーロッパに多く自生する植物で、イギリスの一部では古代の森の指標生物とされるほど貴重なものだ。また、その幻想的な美しさのためか、『ブルーベルの森には妖精が住む』と伝えられているそうだ。

 古代から存在する、外界から守られた森。そこは、格好の妖精の棲み処となる。


 それを裏付けるかのように、起き上がった私を妖精達が取り囲んでいた。



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