(3)
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電話がかかってきたのは、昼食を食べ終え、リビングで休憩していた時だった。
ラグに寝そべるアーティのブラッシングをしていると、廊下にある電話のベルが響いてきた。立ち上がろうとした私を手で軽く制し、ジャックが立ち上がる。階段横に置かれた電話を取ったジャックは、二言三言話した後、リビングに顔を出した。
「サキ、少し出てきますね。テレーズさんのお宅の庭に『妖精の輪』らしきものができているそうなので、処置をしてきます」
「はい」
「アーティと留守番をお願いします。何かあればアーティに伝えて下さい」
ジャックはトレンチコートを羽織りながら、アーティにも「よろしく頼むよ」と屈んで頭を撫でた。
妖精の輪、フェアリー・リングは芝生などの草叢の上で、妖精が踊ることにより生じる円状の跡だ。丸い輪の形に白いキノコが生えたり、輪の部分だけ草が枯れていたり、逆に異様な早さで草花が生えたりする現象である。
これは、妖精達が満月の夜に輪になって踊ることでできる。
もっとも、自然現象でできることもあった。例えば菌輪と呼ばれるものは、キノコが個体を増やす際に胞子を放射状に発することで、円上にキノコが生えて『妖精の輪』のように見えるのだ。
本物か自然現象か。見分け方は異人や第三の目を持つ人間であればすぐ分かる。しかし、普通の人間には判断がつかない。
もしも本物の妖精の輪であれば危険だ。時間が経って力が無くなったものであればさほど害は無いが、できた直後の妖精の輪に足を踏み入れれば、妖精の世界に迷い込んだり、踊りの邪魔をしたとして手酷い目に遭ったり、誘拐されたりすることもある。
逆に加護や祝福を授かるという話もあるが、妖精は気まぐれであり、楽観視はできない。
月に二、三度は起こる現象であり、それらしい跡があれば調べて対処するのが、保護官の仕事の一環であった。
私も何度かジャックと共に現場に行って対処した。
本物である場合は、妖精がいないことを確認した後、輪の一部に鉄釘や蹄鉄を置いておけばいい。鉄を置くのは妖精避けのためで、一晩も置いておけば輪は消滅し、害は無くなる。
さほど難しくはなく、一人で十分対処できる仕事だ。さほど時間もかからず、午後に行う丘の見回りまでには戻ってこられると算段して、ジャックは一人で行ったのだろう。
留守番を頼まれた私は、ひとまず途中だったアーティのブラッシングを終わらせた。
何もしないで待つのも勿体ない。月末にはロンドン支部の出向も控えているし、報告書の作成をしておこうと思った時である。
ジリリン、と電話のベルが鳴った。珍しく立て続けになる電話に、急いで廊下に出て受話器を取る。
「はい、オールドマンです」
『……ジャックはいる?』
年配の女性の声だ。まだ村の人達全員を把握できていない私には、声だけで誰かは分からない。誰だろうと思いつつも応答する。
「いいえ、外出しています」
『そう……』
「何かありましたか?」
管理局対応の異変であれば、すぐにジャックに知らせなければと用件を聞こうとしたら、早口で相手が言った。
『庭に妖精の輪ができているの。急いで調べてもらえないかしら』
どうやら、またもや妖精の輪の件のようだ。一日に二個現れるというのも珍しいが、近頃多く妖精を見かけるから、そのせいなのかもしれない。
ジャックに連絡して現場に行ってもらうか。いや、テレーズさんの家はたしか村の外れにあって、戻るのに少し時間が掛かる。それに、自分だけ何もせずに家で待つのは、気が引けた。
『お願い、できるだけ急いでほしいの。何だか怖くて……』
電話の相手も、どこか切羽詰まった様子だ。
ジャックの監督付きで妖精の輪の対応をしたことはあるから、ひとまず判別して、近づかないよう住人に周知することなら大丈夫だろう。その後の処置は、ジャックが来てから行えばよい。
「……分かりました。ジャックは不在ですので、まずは私が伺います」
アーティに頼んで、テレーズ宅にいるジャックに急いで伝えてもらい、対応が終わったらこちらに来てもらおう。そう判断して答えた私の耳に、ほっと息を吐く音が聞こえた。
『それじゃあ、来てちょうだい。ウッドベリー通りの十番地。カーソンよ』
「っ……」
名前を聞いて、私は小さく息を呑んだ。
まさかレイラ・カーソンだったとは。彼女にあまり好かれていない自分が行っても大丈夫なのだろうかと、一瞬不安が過ぎる。
しかし、だからと言って断ることはできない。これは保護官の仕事だ。見習いとはいえ、私は管理局に属する研修生で、保護官を目指しているのだから。
一つ息を吸って、私は彼女を安心させるよう、ゆっくりと落ち着いた声で告げた。
「すぐに向かいます。妖精の輪には近づかないよう、お願いします」
電話を切った後、私はアーティに言伝を頼んでから家を出た。




