(2)
五月も半ばになれば、朝夕の冷え込みも少なくなる。霜の心配がなくなれば、ガーデニングにも力が入るというものだ。
今日は、温室で育てておいた苗を花壇に植え替えて、来たる夏に向けた花園を造る。ジャックが作成した花壇の地図を見ながら、夏の花のメインとなるダリアやヒマワリをそれぞれの場所に植えていった。苗の根が張った土の部分を解して、掘った穴の中に入れて土を被せる。
作業する傍らの花壇では、五月を彩る花々が咲いていた。ピンクの可憐なヴィオラ、小さな水色の星のようなワスレナグサ、白い線香花火のようにも見えるカウパセリ。
ガーデンシェッドの裏手に生えたリラの木には、紫色の花が穂のように集まって咲き誇り、風に揺れるたびに甘く優しい香りが漂ってくる。リラ……別名ライラックは、香水の原料にもなるそうだ。
「リラが咲くこの季節は華やかですね」
ジャックが言うように、四月も庭を賑わせていたチューリップにフロックス、ポピーの遅咲きのものが満開になり視界を楽しませてくれる。
私とジャックが作業する中、アーティとヴァンは最初こそ大人しく座っていたものの、今はひらひらと飛ぶ黄色い蝶を追いかけて庭を駆け回っている。
よくよく見れば、アーティ達が追いかけているのは淡い燐光を放つ妖精だ。くすくすと笑う様子から、彼らの余裕ぶりが伝わってくる。追いかけてくる二匹をからかっているのかもしれない。
そういえば近頃、庭で妖精をよく見るようになった。賑やかに咲く花々を気に入ったのだろうか。日本ではこんなに頻繁に見ることは無かったが、原始の森がそこかしこにあるこの国には、妖精が多く存在する。
花壇に最後の苗を植え、私は額に滲んだ汗を拭いながらジャックを探した。
ジャックがいるのは薔薇の花壇だ。
薔薇は手入れが難しいことは知っている。日本にいた時、ジョアンは育てるのが難しいと言っていた。もっとも、イギリスは低温、低湿度で、日本に比べて病害虫が発生しにくく、まだ育てやすいそうだが。
とはいえ、素人が手を出すのも気が引けるし、ジャックもそちらを手伝ってくれとは言わない。
『ジャックはね、薔薇が好きなんだ。庭で大切に育てているだろう?』
以前ルカが言っていたように、ジャックは庭の花々の中でもとりわけ、薔薇を丹精込めて育てているように見える。
『君は垣根を超える覚悟があるかな? 茨の垣根を越えるためには、己が傷つき、そして相手を傷付ける覚悟を持たないといけないよ』
ルカの言葉を聞いた時、ジャックの大切なものに触れてはいけないと思った。自分と相手が傷ついてまで、知る必要は無いと。いや、そこまでして知ることが怖かった。
だが、ロンドン支部の帰りに己の胸の内をジャックに吐露したことで、私は少なからず救われた。真っ暗な道の先に明かりが見えたように、進む方向はまだ定まらずとも、前に進む意志は生まれた。
もしも、ジャックに何か思い悩むあることがあるのなら。私が彼のように誰かを救い導くことはできないことは分かっているし、何かできると思っているわけでもない。ただ、少しでも、何か恩返しをしたい。
……まずは、自分が成長することが先ではあるが。
イギリスに来て早二か月。今さらだが、私はこれから先の未来を考えるようになった。あと一年も無い研修の間に、一人前の保護官になることができるのか。日本に戻った時に、姉に胸を張って会うことができるのか。姉と私が、今まで抱えていた思いを話すことができるのか。
課題はたくさんで、気に掛かることも多い。最近の寝不足はそのせいかもしれない。
それにメイ・フェアの際にレイラに言われたことも、胸の中に影を落としている。
『私達の庭に入ってこないで』とはっきり拒絶されたのは、ブライアーヒルに慣れ、少しずつ住民達と打ち解けていると思っている中で、だいぶ痛い言葉だった。
「――サキ?」
考え事に集中していたせいか、その場でぼんやりしていた私に、ジャックが視線を向けてくる。
「疲れましたか?」
「あっ……いえ、大丈夫です。こちらの花壇は終わりました。他に何かありますか?」
私は軍手をはめた手で花壇と、空になった籠を示す。ジャックは花鋏とタオルを作業用のエプロンのポケットに入れ、空を見上げた。
「そろそろお昼ですし、今日はこれで終わりましょう。サキ、植えた部分にたっぷり水を撒いて下さい。そちらの片付けもお願いします」
「はい、分かりました」
片付けと水撒きの作業をする姿を、花々の間から妖精達がじっと見つめていることに、私は気づくことはなかった。




