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英国カントリーサイドの吸血鬼   作者: 黒崎リク
第三章 薔薇が綻ぶ、五月
35/47

(4)


「え……」

 

 尋ねられて、私はしばし言葉に詰まった。

 レイラは真剣な目でこちらを見ている。


『貴様、なぜここにいる?』


 先日、ロンドン支部でそう投げかけてきた青年――自分と同じ『薔薇の血』を引くケイの顔が脳裏を過ぎった。

 頰が強張りそうになるのを抑え、自分を落ち着かせるように、できるだけゆっくりと答える。


「保護官の、研修のためです」

「どうしてわざわざブライアーヒルに来たの? 日本ですればいいじゃない」

「それは……ジャック、いえ、ミスター・オールドマンに師事するためで……」

「どうしてジャックに? ……ねえ、あなた。本当は何をしにここに来たの。ジャックに何かするつもりじゃないわよね?」


 レイラに詰め寄られ、私は困惑しつつも言葉を返す。


「そ、そんなことしません。ジャックは優秀な保護官で、それに日本よりもイギリスの方が管理局の対応事例も多く、研修に良いと勧められたからです。ジャックからたくさん学んで、一人前の保護官になることが私の目標で……」


 そう、そのためにここに来たのだ。何も問題はない、はずなのに――。

 私は、朝のジャックの様子をなぜか思い出してしまった。

 吸血鬼を死に至らせる、私の『薔薇の血』を見つめるジャックの目。あの血に触れ、口を付けていれば、ジャックは――。


「っ……」


 朝の想像が再び蘇って、背筋が寒くなった。

 私はジャックに何かするつもりは毛頭ない。だが、ジャックに『何かする』ことはできる。異人の中でも強い力を持つ吸血鬼を、害することができる人間。それが私だ。

 私の頬から血の気が引いたのを見て取ったのか、レイラが目を細める。細い手が、私の腕を強く掴んだ。


「……ジャックに何かしたら許さないわ。そう思っているのは私だけではないわよ。……お願いよ、このブライアーヒルには彼が必要なの。あなたは要らない。余所者は、私達の『庭』に入ってこないで」


 淡々と言われる言葉は、切実な響きを持っている。

 厳しいことを言われているのに、レイラに対して怒りが湧かないのは、彼女の目に必死な色があったからだ。それゆえ、余計に彼女の言葉が身に染みた。

 さすがに様子がおかしいことに気づいたのだろう。足元にいたアーティが、タイミングよく「わうっ!」と大きく鳴く。

 レイラははっと我に返ったように瞬きした後、私から手を離した。


「……ごめんなさい、言い過ぎたわ。失礼するわね」


 レイラは気まずそうに立ち上がり、早足でその場を去る。私は何も返せないまま、彼女の後ろ姿を見送ることしかできなかった。

 アーティが、くぅん、と小さく鳴いて私の足に身を寄せてくる。レイラが来た時にポケットに隠れてしまったヴァンも、同じように身を摺り寄せてきた。手の甲に温かな熱が伝わってきて、自分の手が冷えていることに気づく。


「……ごめん、大丈夫。何でもないよ」


 返しながら、アーティとヴァンの頭を撫でた。まだ心配そうな二匹に、ぎこちなく笑ってみせる。折りしも、広場の向こうからジャックが戻ってくるのが見えた。

 強張った頬を手で解し、顔を上げる。片手にベイクドポテト、もう片手にはミルクティーの入った紙コップを持ったジャックが少し早足で目の前に来た。


「サキ、何かありましたか? カーソンさんと話していたようですが……」

「保護官の仕事について話していました。……あ、ミルクティー、ありがとうございます」


 まだ何か言いたげなジャックに気づかぬふりをして、彼が持つミルクティーの紙カップに手を伸ばす。


「熱いので気を付けて下さいね」


 受け取った紙カップには、ホットミルクティーが入っている。ジャックの忠告通り、口を付けると火傷しそうなほど熱かった。

 立ちのぼる湯気をふうふうと吹いていると、ジャックもやがて隣に腰かけてくる。

 私は吹き冷ますのに集中しているふりをして、横目でジャックの様子を窺った。ジャックはベイクドポテトを切り分けて、アーティにジャガイモの部分だけをあげている。

 はくはくと口元を動かして平らげるアーティに、「おいしいかい?」と尋ねるジャックは、これ以上こちらに尋ねてくる様子は無さそうだ。

 胸を少し撫で下ろしながら、私は熱いミルクティーを一口飲む。ジャックが淹れるものよりも薄くて、渋くて、正直そんなにおいしくはなかったが、口元からは離さなかった。

 喉から出そうになる言葉をすべて押し込めるように、ミルクティーを飲む。

 ぽつりと落ちた黒い点が滲んで広がるように、いつの間にか空は曇り始めて、にぎやかなはずのメイ・フェアにほの暗い影を落としていた。




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