(4)
「え……」
尋ねられて、私はしばし言葉に詰まった。
レイラは真剣な目でこちらを見ている。
『貴様、なぜここにいる?』
先日、ロンドン支部でそう投げかけてきた青年――自分と同じ『薔薇の血』を引くケイの顔が脳裏を過ぎった。
頰が強張りそうになるのを抑え、自分を落ち着かせるように、できるだけゆっくりと答える。
「保護官の、研修のためです」
「どうしてわざわざブライアーヒルに来たの? 日本ですればいいじゃない」
「それは……ジャック、いえ、ミスター・オールドマンに師事するためで……」
「どうしてジャックに? ……ねえ、あなた。本当は何をしにここに来たの。ジャックに何かするつもりじゃないわよね?」
レイラに詰め寄られ、私は困惑しつつも言葉を返す。
「そ、そんなことしません。ジャックは優秀な保護官で、それに日本よりもイギリスの方が管理局の対応事例も多く、研修に良いと勧められたからです。ジャックからたくさん学んで、一人前の保護官になることが私の目標で……」
そう、そのためにここに来たのだ。何も問題はない、はずなのに――。
私は、朝のジャックの様子をなぜか思い出してしまった。
吸血鬼を死に至らせる、私の『薔薇の血』を見つめるジャックの目。あの血に触れ、口を付けていれば、ジャックは――。
「っ……」
朝の想像が再び蘇って、背筋が寒くなった。
私はジャックに何かするつもりは毛頭ない。だが、ジャックに『何かする』ことはできる。異人の中でも強い力を持つ吸血鬼を、害することができる人間。それが私だ。
私の頬から血の気が引いたのを見て取ったのか、レイラが目を細める。細い手が、私の腕を強く掴んだ。
「……ジャックに何かしたら許さないわ。そう思っているのは私だけではないわよ。……お願いよ、このブライアーヒルには彼が必要なの。あなたは要らない。余所者は、私達の『庭』に入ってこないで」
淡々と言われる言葉は、切実な響きを持っている。
厳しいことを言われているのに、レイラに対して怒りが湧かないのは、彼女の目に必死な色があったからだ。それゆえ、余計に彼女の言葉が身に染みた。
さすがに様子がおかしいことに気づいたのだろう。足元にいたアーティが、タイミングよく「わうっ!」と大きく鳴く。
レイラははっと我に返ったように瞬きした後、私から手を離した。
「……ごめんなさい、言い過ぎたわ。失礼するわね」
レイラは気まずそうに立ち上がり、早足でその場を去る。私は何も返せないまま、彼女の後ろ姿を見送ることしかできなかった。
アーティが、くぅん、と小さく鳴いて私の足に身を寄せてくる。レイラが来た時にポケットに隠れてしまったヴァンも、同じように身を摺り寄せてきた。手の甲に温かな熱が伝わってきて、自分の手が冷えていることに気づく。
「……ごめん、大丈夫。何でもないよ」
返しながら、アーティとヴァンの頭を撫でた。まだ心配そうな二匹に、ぎこちなく笑ってみせる。折りしも、広場の向こうからジャックが戻ってくるのが見えた。
強張った頬を手で解し、顔を上げる。片手にベイクドポテト、もう片手にはミルクティーの入った紙コップを持ったジャックが少し早足で目の前に来た。
「サキ、何かありましたか? カーソンさんと話していたようですが……」
「保護官の仕事について話していました。……あ、ミルクティー、ありがとうございます」
まだ何か言いたげなジャックに気づかぬふりをして、彼が持つミルクティーの紙カップに手を伸ばす。
「熱いので気を付けて下さいね」
受け取った紙カップには、ホットミルクティーが入っている。ジャックの忠告通り、口を付けると火傷しそうなほど熱かった。
立ちのぼる湯気をふうふうと吹いていると、ジャックもやがて隣に腰かけてくる。
私は吹き冷ますのに集中しているふりをして、横目でジャックの様子を窺った。ジャックはベイクドポテトを切り分けて、アーティにジャガイモの部分だけをあげている。
はくはくと口元を動かして平らげるアーティに、「おいしいかい?」と尋ねるジャックは、これ以上こちらに尋ねてくる様子は無さそうだ。
胸を少し撫で下ろしながら、私は熱いミルクティーを一口飲む。ジャックが淹れるものよりも薄くて、渋くて、正直そんなにおいしくはなかったが、口元からは離さなかった。
喉から出そうになる言葉をすべて押し込めるように、ミルクティーを飲む。
ぽつりと落ちた黒い点が滲んで広がるように、いつの間にか空は曇り始めて、にぎやかなはずのメイ・フェアにほの暗い影を落としていた。




