(2)
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まさか支部長に面会するとは思ってもいなかった。
ロンドン支部長は、異人管理局でも一目置かれる存在だ。管理局発祥の地であるロンドン支部のトップは、実質管理局のトップといっても差し支えない。
動揺する私をよそに、老人がノックして声を掛けると、返事が返ってきた。
「入りたまえ」
低い声の後に、扉が開かれる。老人に促されて入ると、中には二人の人物がいた。
一人は、ジャックと同年くらいの灰色の髪の男性だ。中央にある応接用のソファに腰かけている。
座っていても分かる高い背に、上品なスーツを纏っていた。厳格そうな顔に口髭と顎髭を生やし、背筋を伸ばして堂々と座る姿は、ジャックとはまた違った感じの英国紳士だ。
太い眉の下の目が、こちらを見やる。
「サキ・シキシマ、よく来たね。座りなさい」
存外柔らかな口調で名を呼ばれた。
彼がロンドン支部長のスミス。緊張しながら、向かいにあるソファに近づこうとした私は、スミスの背後に控える青年の顔を見てぎょっとした。
金色の髪に白い肌、緑色の目。尖った耳を持つ美貌の青年。ルカだ。
彼の髪は項の辺りでバッサリと切られて短くなっており、いつも浮かべている笑みも無い。冷たい眼差しに、どこか違和感を覚える。
狼狽える私の肩を、ジャックが軽く叩いた。
「サキ。座りましょう」
ジャックに促されて何とかソファに座ると、テーブルを挟んでスミスが名乗る。ロンドン支部長だと改めて知ると、緊張が戻ってきた。
「ミス・シキシマ……言いづらいな。サキと呼んでも?」
「か……構いません」
「それでは、サキ。サラマンダーの子を保護したそうだね」
「はい」
足下に置いていたバッグを開き、ハンカチに包んだサラマンダーを取り出す。サラマンダーをテーブルの上に置こうとしたが、すぐに動いて私の手の上に乗ってきてしまう。きぅ、と小さく鳴いて甘えてきた。
「その、すみません。孵化の際に顔を見せてしまって……」
「サキのせいではありません。リュカリウスが孵化直前の卵を渡してきたからです」
ジャックが庇う中、小さく溜息を吐いたのはスミスの後ろに控えているルカだ。眉間に皺を寄せ、厳しい表情をしている。注意されるかと思いきや、ルカは淡々と言う。
「話は聞いております。不肖の弟が面倒を掛けましたね」
「…………おとうと?」
「ええ。リュカリウスは、私の弟です」
きっぱりと言う彼の目をよくよく見れば、ルカのものよりも濃い緑色をしていた。
「申し遅れました。私はシドニアといいます。スミス氏の秘書をしております。どうぞ、気軽にシドと」
ルカではなく、シドニア。もといシドは、私に向かって頭を下げる。いつも微笑んでいるルカと異なり、シドの表情はあまり動かず、彼もまた感情が読み取れない。
シドは私に近づき、サラマンダーを渡すよう手を差し出した。彼の手にサラマンダーを乗せようとしたが、小さな蜥蜴は思いっきり身を捩って暴れる。
だが、シドは顔色一つ変えずに素早くサラマンダーを手に捕らえた。
「これは、こちらで預かります」
シドは、いつの間にか片手に持っていた小さな鳥籠に、サラマンダーを放り込む。籠の格子にぶつかったサラマンダーは「ぎゅっ」と声を上げて痛がった。私は思わず声を上げる。
「待って下さい、その子に怪我をさせないで。お願いします」
「……」
私の言葉に、シドはわずかに口の端を上げる。初めて見せた笑みは、冷ややかなものだった。
「これは失礼をしました。ですが、この程度でサラマンダーは死にはしないし、傷もつきません。普通の蜥蜴と違うことはご存じでしょう? 見習いとはいえ、一応は管理局に所属しているのなら、わざわざ精霊一匹に心を砕いていては……」
「シドニア」
スミスが名を呼ぶと、シドはぴたりと口を閉ざす。そして、表情を消して頭を下げた。
「すみません。こちらで丁重に保護することを約束しましょう」
「あ……いえ、すみません、私、失礼なことを……」
今さらながら、頭から血の気が引いた。研修生の身で、支部長の秘書に対して苦言を言うなんて。青ざめる私だったが、ジャックがその場にいる皆に言う。
「保護官として言わせてもらえれば、今のサキの言葉は失礼でも何でもありません。当然のことを言ったまでです。謝ることはありません」
力強いジャックの言葉に、竦みかけた肩の力が抜けた。やり取りを見ていたスミスが、小さく笑いを零す。
「ふむ、ジャックの言う通りだ。異人や精霊を下に見て粗雑に扱うより、対等に大切にしようとする心意気の方がいい。もっとも、心を配りすぎては釣り合いが取れなくなるから、バランスは気を付けなさい。……しかし、なるほどなぁ。ジャックが気に入るわけだ」
「エイブ」
ジャックがロンドン支部長のファーストネームを愛称で呼ぶ。
スミスはくっくっと笑い、ジャックは少し困ったように眉根を寄せる。二人の間にはどこか砕けた空気が流れていた。
「さて……サラマンダーの件はこれで終いだな。サキ、他の報告は別室で聞くので、シドについて行きなさい」
「え……」
シドの方を見ると、すでに彼は澄ました表情に戻っている。少し気まずい気持ちを抱えながらも、ソファから立ち上がった。
ジャックも同じように立ち上がろうとした時、スミスが止める。
「ジャック、少し話をしないか。三年振りに支部に来たんだ、ゆっくりしていくといい」
「……」
ジャックは無言でスミスを見た後、上げかけた腰を落とした。
「すみません。先に行ってもらえますか? すぐに終わらせますので」
「は、はい」
ジャックを残し、私はシドの後について部屋を出た。
無言のシドの後を追い、廊下を来た方角へと引き返す。
……さっきの件、もしかして怒っているのだろうか。シドと二人きりの状況に緊張を高める中、前を向いている彼が淡々と言った。
「別に怒ってはいませんから、怯えなくていいですよ」
こちらをちらとも見ていないのに、まるで心の中を見透かしたような言葉にどきりとする。
「ただ、呆れているだけで――」
シドが言いかけた時、彼が手に持っていた鳥籠が激しく揺れた。同時に、籠から大きな炎が上がり、開いた格子の隙間からサラマンダーが飛び出す。
「きゅうっ!」
隙間をこじ開けて出てきたサラマンダーは、私の元へと飛んでくる。その寸前、シドが目にも止まらぬ速さで手を出して、サラマンダーを捕まえた。
「……だから言ったのですよ。幼子は甘やかすと手に負えない」
手の中でばたばたと暴れるサラマンダーに、シドは溜息を吐く。
「さて、どうしますか、サキ? これを丁寧に扱えと言いますが、このように暴れていては多少力づくになるものですよ」
「……」
「優しくすることと甘やかすことは違います。時には躾も必要です」
シドが軽く手に力を込めた。きゅっ、とサラマンダーは鳴き声をあげて、ぐったりとする。その姿を見て、私は咄嗟に手を伸ばして、シドの手の中からサラマンダーを奪い取った。
あっさりと手を離したシドが、冷たい目でこちらを見下ろす。
「……それをどうする気ですか?」
「わ……私が、預かります。この子を保護します」
「保護の仕方も知らないのに? ああ、それともオールドマンに泣きつきますか? 先ほども庇ってもらっていましたからね。気楽なものだ、見習いは」
冷たい物言いに怯みそうになったが、堪えて口を開く。
「……たしかに、私は見習いです。だから、サラマンダーの保護の仕方を教えて下さい。ちゃんと覚えます。わ……私を見習いと言うのなら、あなたも見本になるような振舞いをして下さい」
「……」
「……お願いします」
目上の彼に生意気なことを言っているのは分かっている。だが、ジャックに頼ってばかりではいられない。固唾を飲みシドを見上げると、彼は緩やかに目元を細めた。
「ふぅん、ルカが人間にちょっかいを出すのは珍しいと思ったが……なるほど。『薔薇の血』の件を引いても奇妙な人間ですね、君は。我々エルフにそんな口の利き方をする人間は、なかなかいない。度胸だけは認めましょう」
くつくつと、口元を押さえたシドから笑いが零れる。少しスミスの笑い方に似ていた。呆気にとられる私に、シドが鳥籠を差し出す。
「そのサラマンダーであれば、大した世話は必要ありません。普通の蜥蜴を買うようなものです。世話の仕方はオールドマンが知っていますから、彼に聞いて下さい。……元々は私の弟のせいですからね。今回は大目に見ましょう」
「あ、あの……」
「サラマンダーの保護は君に任せることにしたと、支部長には伝えておきます。オールドマンには、君からどうぞ」
そう言って、シドは「行きますよ」と身を翻す。あっさりと変わったシドの態度に戸惑いながらも、私はサラマンダーを抱いて追いかけた。




