3.ロンドン支部(1)
異人管理局は、異人と人間との間に起こる問題や事件を扱う組織である。
前身となる組織ができたのは、十八世紀の後半。吸血鬼の始祖一族であるアンセルム・ブラッドフィールドが公爵の地位を得て、異人が公的に認められるようになった際、彼の親友であった人間と共に、ロンドンに自警団を作ったことが始まりだ。
当時はイギリス国内の問題を解決するだけであったが、イギリスが強大になるにつれて世界に広まっていった。想像の中の存在だった異人が世界各国で公式に認められるようになると、今のように、世界各国に支部が置かれる国際機関となった。
それゆえ、組織の始まりの地となったロンドンは、管理局にとって特別な地となっている。
世界大戦後、スイスに本部は移されたが、今もなおロンドン支部を中心と考える者は多く、組織の重要な部署はロンドンに置かれていた。
そんなロンドン支部に、私は一度だけ訪れたことがあった。
イギリスに来てすぐ、着任の挨拶の時のことだ。研修生である私は、支部で事務手続きをした後に簡単な講習を受けた。その後は、すぐに任地となるブライアーヒルに向かったため、観光するどころか、ろくに周りを見る余裕もなかった。
あの時とは逆に、モートン・イン・マーシュ駅から電車でパディントン駅へ。駅を出て、南にあるハイド・パークの方へ向かう。
ロンドンの中心にあるハイド・パークは、一四〇万平方メートルを超える広大な公園だ。十六世紀にはヘンリー八世の狩猟場であり、一八五一年には万国博覧会の会場となり、ロンドンの歴史とのかかわりも深い。隣接するケンジントン・ガーデンズには、ヴィクトリア女王が生まれたケンジントン宮殿がある。
そして、公園のすぐ北を走るベイズウォーター・ロード沿いに、ロンドン支部はあった。
二度目の訪問となると、少し余裕が出てくるのか。
高い鉄の柵の向こうにある建屋をあらためて見ると、その荘厳さに圧倒される。ゴシック様式の尖ったアーチに細長い窓のある石造りの建物は教会みたいで、いかにも歴史があって古そうだ。とはいえ、この辺りの建物はたいてい似たような造りをしている。
柵越しに見上げていると、隣に立ったジャックに声を掛けられた。今日の彼は、いつもの恰好にジャケットを羽織っている。
「行きましょうか、サキ」
「はい」
頷いて、私は肩にかけたバッグを抱え直す。バッグの中で、「きゅうっ」と小さな鳴き声がした。
イースターに行われたエッグハントで、私はエルフのルカから卵をもらった。
それがサラマンダー……火の精霊の卵で、しかも孵化寸前だったことに気づかず、生まれたばかりのサラマンダーに親と認識されてしまったのは、二日前の話だ。
精霊であるサラマンダーは、人の手で育てることは禁止とされている。これは幻獣――ユニコーンやドラゴンなどにも言えることで、それらの卵、あるいは幼生を見つけたら、保護して連絡するのが常だ。
サキも定例に倣い、管理局に連絡を入れた。
すると、サラマンダーをロンドン支部に連れて来るよう、すぐに折り返しの連絡があった。月に一度義務付けられている出向の日も近かったため、それも兼ねて報告しろとのことだった。
ジャックはその際、私と同行するよう、別に連絡があったようだ。それで、こうして一緒にロンドン支部を訪れることになった。
ちなみにアーティは留守番だ。一緒に来たがったのだが、保護官であるジャックの不在時、何かあれば対処できるようにと、留守番をジャックから命じられた。
アーティは最初、大いに拗ねた。ブラッシングと散歩をいつもの倍する約束を取り付けて、何とか留守番を承知させたものだ。帰りにアーティが喜びそうな土産を買って帰ろうと考えていると、ジャックが門番に声を掛けた。
大柄な門番は、ジャックを見て少し驚いた顔を見せる。そして、すぐに門を開いて中に招き入れた。門番は私達を通した後、内線でどこかに連絡をしていた。
石畳のアプローチを通って木製の扉の前に立つと、重そうな扉がひとりでに開く。内側から現れたのは、黒い執事服に身を包んだ老年の男性だった。
「ようこそお越しくださいました、男爵」
「今の私は男爵ではありません。ただのオールドマンです」
ジャックは静かに返すが、その声はどこか硬く冷たい。
ひりつくような空気を一瞬感じて、私はジャックの横顔を見上げる。優し気な笑みを浮かべる顔には、なぜか少し近寄りがたい雰囲気があった。
老人は「失礼いたしました」と平坦な口調で答えて、扉を大きく開いた。
「こちらへどうぞ。ミスター・オールドマン、ミス・シキシマ」
中には受付があり、広いホールになっていた。高い天井には繊細な彫刻が彫られていたが、眺めている暇もなく、先を行く老人についていく。
ホールは吹き抜けで、二階へ続く階段がある。円形のホールを囲むように柱が並び、回廊のようになっていた。回廊には扉があり、その一つに入る。
扉の先には長い廊下が続いていた。無言で進む老人とジャックに倣い、私も口を噤む。
人の気配は無く、絨毯が敷かれているせいで足音もせず、どこか張り詰めたような静けさがあった。沈黙による静寂が重く感じられ、緊張が高まる。
廊下も沈黙も延々と続くかと思った頃、ようやく老人が一つの扉の前で足を止めた。
立派な木製の扉に付けられた金属のプレートを見て、私は息を呑んだ。
『エイブラハム・ロウ・スミス』
その名は、ロンドン支部長のものだった。




