(3)
ルカは、以前コッツウォルズの丘で出会ったエルフだ。
ジャックの友人であり、扉の番人――人間の住む世界とあちらの世界の入り口を管理する者。その際、私はルカが設けた二つの世界の間にある狭間に迷い込まされた。
「久しぶりだね、サキ」
美しい笑みを浮かべながら、ルカが私の肩を抱く。背筋に緊張が走った。
まさか、また狭間に入り込んでしまったのでは――。
「あっ、ルカだ!」
トニーの声に、我に返った。ルカの背後には目を丸くしたメアリーとトニーがいて、彼らの後ろには、先ほどと変わらず広い庭園が広がっている。
「やあ、トニー、メアリー」
ルカは気さくに二人に声を掛け、私から離れると、手に持った赤い卵をトニーに差し出した。トニーはぱっと笑顔を浮かべ、メアリーは頬を赤くする。
「ありがとう、ルカ!」
「どういたしまして」
親しげな様子に呆気に取られていると、ルカがくすりと笑ってこちらを見た。
「トニーは『迷い子』の常連だからね。家に送り届けたこともあるよ」
迷い子は、狭間に迷い込んだ者を示す。
幼いトニーはあちらの世界に引っ張られやすく、狭間に迷い込むことが度々あるそうだ。扉の番人であるルカは、彼をしょっちゅう保護しては元の世界に帰していた。その件でメアリーもルカと会っていたようで、美しいエルフの彼に憧れの眼差しを向けている。
ルカはトニーの前に屈みこみ、いっぱいになったバスケットを見て褒める。
「すごいな、トニー。エッグハントは順調だね」
「うん! でも、さっきから全然見つけられなくて……」
「おや。じゃあ、探すのを手伝おうか」
「いいの? やったぁ!」
トニーは嬉しそうだが、私は急な展開に戸惑う。そうしている間に、張り切るトニーともじもじとするメアリーがエッグハントの続きへと戻っていった。
残された私にルカが振り向く。
「じゃあ一緒に行こうか、サキ」
***
トニーを先頭にして、庭園を行く。
私はまだ実感のないまま、彼らの後を追った。
斜め前には、薄曇りの空の下でも輝くような美貌のルカがいる。今日は丈の長い白いブラウスに皮のベストを重ね、細身のパンツにブーツを履き、まるで舞台で見るようなエルフっぽい格好だった。実際にエルフである彼に、とてもよく似合っている。
しかし、前回の狭間でのこともあって、私はじりじりと焦っていた。卵を探すどころではない。
本当はすぐにトニー達を連れて戻りたいところだが、楽しそうな二人を見るとできなかった。ジャックもアーティもいない今、何かあれば自分が対処しなければと、気を張ってルカの挙動に目を向ける。
視線を感じ取ったのか、ルカがこちらを振り向いた。
「そんなに警戒しなくていいよ。何もする気は無いからさ」
「……それなら、どうしてここにいるんですか?」
「春は精霊も妖精も浮かれやすい。この季節は迷い子が増えるから、見回りをしているのさ」
特にイースターはね、とルカは言う。
「精霊達も復活祭を祝うんですか?」
尋ねる私にルカはきょとんとした後、ふっと鼻で笑った。
「まさか。イースターはそもそも、生命溢れる春の到来を祝う祭りだよ。それを人間が勝手に復活祭にしただけだ」
イースターの名は、サクソン民族の春と夜明けの女神、そして繁殖の神である『Eostre』からきているという。その神のシンボルは、春の訪れと多産の象徴である野兎。すなわちイースター・バニーである。
葉が落ち木々は枯れ、すべての生命が死んでしまったような冬。若葉が芽吹き、花が咲き乱れる春は、まさに生命が息を吹き返す時である。
そして卵は再生と生命の象徴であり、春を表すシンボルと考えられている。春のシンボルである卵を、春の神のシンボルである野兎が運んでくる。エッグハントの由来はそれだ。
イエス・キリストの復活祭となったのは、三世紀の初め頃からだ。死んだような冬から、生命を吹き返す春を祝う祭りが、イエスの復活を祝う祭りと結びついたのだという。
「どうして僕らが、人間の作った神を祝わなくてはならないんだい?」
おかしそうにルカは首を傾げる。
「イエスもブッダも、僕らからすればただの人間だ。僕らにとっての神は、この世界そのものさ。全てに等しく生と死を与え、優しくも厳しくもある。もっとも、近頃はその理すらも人間が捻じ曲げようとしているけれどね」
復活祭を祝っている町の人達に聞かれれば、顰蹙を買いそうな台詞だった。
異人を毛嫌いする人間がいるように、人間を毛嫌いする異人もいる。
むしろ異人の方が、人間を嫌っている者が多いだろう。幾度もの抗争と和解を繰り返し、対立してきた過去がある中、劣勢だったのは圧倒的に数の少ない異人だ。
山の開発により、住む場所を追われたドワーフ。何もしていないのに勝手に恐れられ、処刑された魔女。棲み処である樹を伐られ、命を落としていった精霊達。見目の美しさから、闇で奴隷として取引されたエルフ……。
人間から酷い目に遭ってきた異人の話は、たくさん聞いていた。ルカもまた、人間を嫌っている方の異人なのだろうか……。
「……」
ルカの横顔を見ていると、彼は振り返って、緑色の目をきゅっと細めた。
「そんなに熱烈に見つめられると照れるね」
「っ、ち、違います」
からかうような物言いに、私は急いで否定する。からかっていたのだろう、ルカは軽やかに笑い、足の進みを緩めて私の隣に並んだ。
「別に人間を嫌っているわけではないよ。好きなわけでもないけれどね」
少し屈んで、こそりと耳元で囁いてくる。彼には、こちらの考えはお見通しのようだ。
「相容れない存在を無理に受け入れる必要はない。隣の庭で遊んでいる分には構わないさ。向こうが垣根を越えて庭を荒らさない限り、僕らは手を出さない」
「……良き隣人、ですか?」
私が返すと、ルカは驚いたように目を丸くした。
「その通り。いい例えをするね」
「ジャックが……」
良き隣人でいるためには、垣根を越えてはならない。つい先ほどジャックから聞いた言葉だ。
ルカはくすくすと笑う。
「なるほど。ジャックが言いそうなことだね。……もっとも、ジャックの庭の垣根を超えるのは大変だよ。今まで彼の庭に入れたのは一人だけだ。きっと今でも、ジャックの庭には〝彼女〟がいるのだろうね。これからも、永遠に」
「あの、それはいったい……」
思わず聞き返してしまったが、はっと口を噤む。ルカの話に聞き入って、ジャックのことを聞こうとしていた自分を諫める。
しかしルカは気にすることなく話を続ける。
「ジャックのこと、知りたくなった? 君は垣根を超える覚悟があるかな? 茨の垣根を越えるには、己が傷つき、そして相手を傷つける覚悟を持たないといけないよ」
「……」
私の脳裏に浮かんだのは、ジャックが庭で丹精込めて育てている薔薇の花の繁みだった。
繁みを越えようとすれば、薔薇の棘で己は傷つく。同時に、薔薇の花も傷ついて、それはきっと、ジャックを悲しませることになるだろう。
私にその覚悟は無かった。
「……いいえ」
小さく首を横に振る私に、ルカはそれ以上追及せずにあっさりと身を引く。
「まあ、覚悟ができたらいつでも聞いていいよ」
そう言い残して、ルカはトニー達の方へ行ってしまった。




