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英国カントリーサイドの吸血鬼   作者: 黒崎リク
第二章 めぐり出会う、四月
17/47

(5)


 すっかり暗くなったフットパスを戻って町に着くと、ベラは「少し休みましょうか」と小さなパブを指差した。ジャックが断る前にベラは言う。


「さっきの桜の木に付いて調べてあるの」


 眉間に皺を寄せつつもジャックは了承し、三人でパブに入った。

 パブというと、日本ではお酒を飲むイメージがあったが、ここは食堂やカフェも兼ねているそうだ。

 紅茶を頼めば、一緒にケーキも付いてくる。おまけのようだ。艶然と笑んで礼を言うベラに、店員の若い男――店主の息子らしい――が頬を染めた。


「ここのヴィクトリア・サンドイッチは美味しいのよ。私のお気に入り」


 スポンジにラズベリージャムと生クリームを挟んだ素朴なケーキは、ヴィクトリア女王が好んだと言われている菓子だ。バターと砂糖と卵がたっぷりのスポンジ生地は、しっとりふんわりしていて、甘酸っぱいジャムと甘みを抑えた生クリームがよく合う。

 夜のフットパスを歩くのに、自分で思っていたよりも体力を消耗していたようだ。夕飯を食べた後だというのに、大きな甘いケーキをあっという間に平らげてしまった。「食欲があるのはいいことです」「サキはもっと食べた方がいいわ」とジャックとベラがお代わりを注文しようとしたのを、慌てて止めたものだ。

 熱い紅茶で一息ついたところで、ベラが鞄から資料を取り出した。


「さっきの桜、日本から送られたものだって言ったでしょう?」


 以前、この町に住んでいた者が日本に移住した縁で町同士での交流を行うようになり、八年前に桜が寄贈されたらしい。土壌のせいか気候のせいか、なかなか咲かずにいたが、今年ようやく花を咲かせた。


「それでね、その交流先の町で九年前、子供が一人亡くなっているの。桜が咲いていた土手の近くの川で溺れたそうよ」


 資料の写真に写る笑顔の子供の顔は、先ほど会った少女とそっくりだった。


「名前はユミ・アサクラ。享年七歳。まあ、間違いなくこの子ね。おそらく、日本から桜にゴーストが憑いてきたんでしょうね。今年ようやく桜が花を咲かせたことで、ゴーストも復活した……あるいは、こちらの気に馴染んだ桜が力を与えた、ってところかしらね」


 川で溺れ、死ぬ前に見上げたであろう桜の木に少女の意識が移った。その桜の木がコッツウォルズに移植され、異人が多く独特の気に満ちた風土に馴染んだことで、力が与えられ、ゴーストとして現れたのでは――とベラが説明する。


「……そこまで分かっていながら、なぜ私達を呼んだのですか?」


 ジャックが尋ねれば、ベラはにこりと笑って答えた。


「正体が分かっても、あそこにいる理由が分からなかったんだもの。直接話して聞いた方が早いでしょ? あなた達のおかげで分かったんだからいいじゃない」

「……それで、サンダルの方は?」

「手配するわ」


 ジャックとベラは、さくさくと会話を進める。私は黙って側で話を聞くだけだ。

 ふと、私はここに来る必要があったのかと考えてしまう。

 詳細な資料を用意していたベラは、桜を調べてユミの正体に辿り着いていた。ユミに話しかけるのも、私でなくジャックでよかったはずだ。ジャックなら、ユミに警戒心を抱かせることなく話を聞くことが十分できただろう。

 自分にできることが無くて、ここにいることが少し恥ずかしい。同じ日本人の少女の幽霊。寂しそうな彼女の助けになればと勢い込んでいた自分は、空回っていたのかもしれない。


「――キ、サキ。どうかしましたか?」

「……あ」


 黙ったままの私を怪しんだのか、ジャックが顔を覗き込んでいる。

 私は急いで「何でもありません」と答えた。だが、ジャックは心配そうな表情を浮かべたままだ。


「そろそろ帰りましょうか。疲れたでしょう」

「いえ、あの、大丈夫です」

「そうだわ、サキ。せっかくだから、うちにいらっしゃいよ。何だったら泊まって――」

「いいえ、けっこう。ベラ、私達はそろそろお暇しますよ」


 私が答えるより先に、ジャックがベラの言葉を遮った。

 店を後にし、オフロード車に揺られながら帰路に着く。窓の外は真っ暗で、来たときのような美しい光景は見えない。

 ラジオから流れるのは、この時間帯にやっているラジオドラマだ。最近はアガサ・クリスティーの短編をシリーズで流しており、『あなたの庭はどんな庭』と聞いたことのあるフレーズに何となく耳を澄ませていた。

 すると、ジャックの声がドラマの俳優の声に重なる。


「サキ。元気がありませんが、何かありましたか?」


 唐突な問いかけに思わずジャックの方を見ると、彼は前を向いたまま、視線だけ寄こした。


「今日はありがとうございます。おかげで、ユミさんの警戒を解くことができました」

「い……いいえ、私は何も……」


 私は〝させてもらった〟だけで、ジャックがいれば十分できたことだ。卑屈な考えになる私に、ジャックは言葉を続ける。


「サキ。管理局の保護官に必要なことは、何だと思いますか?」

「え?」

「人間であれば、第六感は必須です。ゴーストもフェアリーも、見えなければ、声が聞こえなければ、対応はできません。そして第六感と同じく必要なのは、彼ら……私達、異人に対する意識です」


 ジャックはハンドルから離した片手で、己を指さす。


「第六感を持ち、異人を見ることができる者の多くは、まず私達を恐れます。仕方のないことではありますが、それは時に相手を傷付け、怒らせ、悲しませるものでもあります。だから保護官になる人間のほとんどが、管理局で経験を積んだ者です。異人をよく理解し、彼らのタブーを熟知した者。異人と人間の橋渡しとなり、上手に渡り合うには、多くの経験と知識が必要です。サキ、あなたにはどちらもまだまだ足りない」

「はい……」


 落ち込んでいた理由は、とうにジャックに気づかれていたようだ。俯く私に、ジャックは言う。


「知識も経験も、これから積めばいいことです。今のあなたが気に病むことではありません。そして……こちらの方が、むしろ重要かもしれませんね。異人への恐れは、そう簡単に無くなるものではありません。ですが、サキ、あなたにはその恐れが無い。ゴーストにも、魔女であるベラにもね。あなたは普通の人間に接するように、異人に接しています。ユミさんが泣きそうな時、あなたはすぐに彼女を慰めた。それが彼女にとって、どれだけ救いになったことか。サキ、あなたがしたことは、簡単にできることでは無いのですよ。あなたは保護官に向いている。そう、私は思います」

「っ……」


 ジャックの言葉に、胸が詰まった。

 私が保護官になりたいと決めた時、すぐに受け入れて背中を押してくれた者は、義父だけだった。「どうして保護官に」「君には向いていない」と、日本だけでなくロンドン支部でも散々言われてきた。

 保護官には向いていないのだと、自分でもどこか思っていた。自分がちゃんと保護官になれるのか、ずっと自信が無かった。不安を抱く中、例え慰めの言葉であったとしても、ジャックに背中を押してもらえたことが嬉しかった。


「……ジャック。明日、アーティを一緒に連れて行っていいですか。ユミちゃんと、約束したから」

「もちろん。道は覚えましたから、一緒に行きましょう」

「はい。……ありがとうございます」


 ラジオドラマのエンディングが流れるのを聞きながら、私達はアーティの待つ家へと戻った。



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